ケイン・フュリーは我慢強い。それは小さい頃からコツコツと1つの事に集中して何かを作り上げるのが好きだったからかもしれないが、ともかく何本もの線が入り組んだ機械を分解したり細かい部品を点検し修理する事をつらいと思った事はない。彼にとってそれは少年の頃からの遊びの延長線なのだから。
トレードマークの黒縁眼鏡がまだその顔になかった頃ある日父親がトランジスタラジオを買ってきたのがそもそもの始まりだ。こんな小さな四角い箱から人の声が聞こえる事に驚いた少年はさんざん父親を質問攻めにしたが生憎父親も詳しい仕組みを理解していなかった。そうして息子のどうして攻撃に耐えかねた男はつい言ってしまったのだ。この箱の中には小人が住んでいて声はその小人のものなんだと。
─翌朝居間にあったのは綺麗に分解された新品のラジオと小人はどこへいったのと泣く子供。結局ラジオは近所の電気屋に持ち込まれ修理をした電気工が丁寧に原理をフュリー少年に教えてくれたのがその後の彼の人生を決定した。それから彼の玩具は鉱石ラジオにトランジスタの部品、教師は電気工で将来の夢は技師だった。軍人になったのも兵学校の工兵科ならただで最新の技術が学べると思ったから。
生来の機械好きはそこで水を得た魚のように才能を伸ばしていったけど彼が学んだのはそれだけじゃない。
「こちらケイト、状況の説明をお願いします。どうぞ」
たった1本の線で遠く離れた人の声こちらにが届く。
「こちら1班、ターゲットの姿は見えません。どうぞ」
声は情報を運び情報は戦局を左右する。実戦で何より大事なそれに関わる自分の役目にフュリーは何より誇りを持っている。

「こちらジャクリーンよ、ロイさん。お目当てのハンサムさんは影も形も見えなくてアタシもう腐っちゃう」
微妙に甲高い声は正直耳に心地よいとは言えないがここでイヤホンを外す訳にはいかない。
「我慢したまえ、ジャクリーン。情報は確かなのだから、君の愛しい人はきっと現れるよ」
「えーあんな不細工アタシの恋人なんかじゃないわよぅー。本命はちゃんと別の所にいるんだから。本当は早くその人の顔見たいのに」
語尾にハートマークが浮かびそうなほどノリノリの声に思わずプッと噴き出しそうになるが
「仕事中だぞ、ジャクリーン。いい子だからそっちに集中してなさい」
いささか焦ったような声に顔を引き締める。これでもう2日の張り込みなのだ。確かに動きがあっていい頃と思った時
「ターゲット発見!例の家に入り込みました!」
さっきとは別人のように緊張した声が響いて
「よし、ジャクリーン、行け!」
絶対のオーダーが矢の様に司令部から放たれる。それに答えたのはたった一言。
「YES,SIR!」
獲物を見つけた猟犬の雄叫び似たそれにフューリーは作戦の成功を確信した。

「ジャン・ハボック少尉以下第2小隊任務を終え無事帰還しました」
ピッと伸ばした指はまだ黒い手袋に包まれたままだ。普通の軍服に着替えないまま報告に来た男の黒い戦闘服はいまだ戦いの匂いを纏っているようでロイは微かに目を細める。
「報告を少尉」
「かねて手配中のバイデン・ラングの身柄は本日16時15分我々の監視下にあった酒場に姿を現わした時確保されました。当時店は閉まっており中には彼の協力者と思しき人物が数名おり、多少の抵抗はありましたが全員逮捕しました。双方若干の負傷者はあったもののいずれも軽症。バイデンの身柄は司令部に拘留中です」
「よし、獲物を料理するのは捕った者の権利だ。尋問はこちらで行い憲兵隊には報告のみしろ。連中が文句言おうと無視してよろしい」
傲慢に言い放つとロイは徐に組んだ手に顎を乗せて目の前に立つ男を見上げる。まるで猫そっくりのその表情に見とれたハボックは気付かなかった。その黒い瞳に宿る剣呑な光を。
「ところでハボック、報告は詳細にしろといつも言っているだろう?我が方の負傷者の名前は?」
「すんません、いずれも軽症だったもんで・・ジョン・ディとヒックスが腕に打撲を、多分ヒビが入ったと思われます。あとライナスの足に銃が掠りましたが表面をちょっと抉ったぐらい・・・以上です」
「・・そうか、御苦労少尉。負傷者には十分な休息を取らせるように。お前も一段落ついたら帰っていいぞ」
「アイ・サー」
どことなくホッとした声でハボックがもう一度敬礼するとすっと黒い瞳が細められる。
「ところで少尉、悪いがその右腕のそでめくってみてくれないか?そう肩のところぐらいまで」
「・・はい?」
奇妙な要求にハボックは笑おうとした。何の冗談だと笑い飛ばそうとしてようやく自分を見上げる黒い瞳の光に気付く。
「ハボーック」
命令の実行を促す声は静かだ。チェシャ猫の笑みを浮かべたロイは一見機嫌が良さそうにさえ見える。だけど
「イエス・サー」
悪戯を見つかった子供のように大柄な男は首をすくめてゆっくりと黒いシャツをめくる。しっかりとした筋肉に被われた腕が肩まで露になったところで白い包帯がそこに現れた。まだ真新しいそれは白く微かに赤い色が透けて見える。
「虚偽の報告は重大な命令違反だよ、少尉。負傷者の名前を言えと私は言ったろう?」
「すんません・・」
萎れた姿は正しく尾を垂れた犬だ。それが効いたのか少しロイの声が柔らかくなる。
「怪我をするなとは、ハボ、私は言わない。怪我しないですむ程お前の任務は楽じゃないし、それを意識し過ぎて返って動きに隙ができたら大変だ。だが隠すのはなしだ、絶対に」
もしロイがただの上官としてなら説教はここで終わりだったろう。だけど今は違う。
「私はお前の腕を信頼している。滅多な事で不覚を取る男ではないと。だからこそ嘘をつくのは止めてくれ。そんな事をされたら次から心配でしょうがなくなる。大丈夫だと伝えるお前の声を信じられなくなるのは嫌だ」
自分は指先一つで彼を危険な任務に就かせるのだ。それが自分の役目だと理解していても今のロイの感情はうんと言わない。
例えば繋がらない通信、雑音の向こうに聞こえる現場の叫び─心の奥底に押し込めた不安はほんの些細な事で黒い染みのようにロイの心に広がって苛むのだ。
「大佐・・その・・俺あんたに心配かけたくなくて・・でもホント、ごめんなさい!」
以前のハボックだったらこの程度の怪我、きっと『いやードジやっちまいました』と苦笑しながら報告しただろう。それを隠したのはただロイに心配かけたくなかっただけ。けれどその思いが反って相手に不安を与えると知ってハボックは思いきり頭を下げた。
お互いに相手を大事に思う気持ちは同じ。だけどそれが相手を傷つける事もある。そのジレンマを多分2人はこの時初めて知ったのかもしれない。
「・・お前の気持ちは判っているよ、ハボ」
いつ席を離れたのか。下がったままの金の頭にぽすとロイの手が乗せられ、いつまでも沈んでるなとばかりにぐしゃぐしゃと金髪を掻き回せばくすぐったいと頭が振られ
「以後気を付けます、サー」
と離れた手を掴んだ男は恭しくそこに唇を落としてへたくそなウィンクを送った。ロイの気持ちを察したのかそこにはもう萎れた雰囲気は微塵も残っていない。
「ところでどうしてばれたんです?隊の連中には口止めしたのに」
「うちの通信機は性能がいい。優秀な曹長が絶えずメンテナンスをし独自の改造を施しているから遠くの音も拾う。お前現場の報告を中断した時あっただろ。誰かに呼ばれて。その時スイッチオンにしたままだったからあの新兵の声が聞こえてしまったのさ。自分のせいで隊長殿が怪我したって上ずった声が・・彼は大丈夫か」
「ええ、今は落ち着いています。大体あれはあいつを前に出しちまった俺の判断ミスですよ。町中だから大した抵抗なんかないと思って度胸を付けさせようとしたんですがね・・まぁこの程度ですんでよかった」
「初陣は誰でも経験することだ。それにどんな現場にも危険はある。見通しの甘さのツケはお前自身が払ったんだからまぁ今回は大目にみよう・・ところで少尉いい加減手を離したまえよ」
気に入りの玩具を銜えた犬の様にさっきからがっつり掴んだ手をハボックは離さない。それどころか
「離してもいいけど条件付きです。・・今日大佐の家に行っていいスか?」
ずうずうしく交換条件を出してくる男をロイは睨むが手は動かない。
「ずっと張り込みで大佐の家に行ってない。冷蔵庫の中身を補充したいしちゃんとした晩飯食べて欲しいんですよ。あんたまた無理したでしょう」
白い手袋から覗く手首は心無しか細くなってるようで。逃亡したテロリストを追って自分が目を離してした間のロイの生活を考えればハボックは黙ってる事なんてできない。
「あ、その下心なんかないスよ?ただ一足先に帰って市場で旨そうな仕入れてそれで飯作ろうと思っただけで・・」
別に何を言った訳でもないのにしどろもどろになる男はそれでもその手を離さない。その姿にロイはロイは笑いを堪えられなくて
「判ったよ、ハボック。6時過ぎに連絡しろ。中尉のノルマがこなせたら帰る。・・ほら等価交換だ。お前にやる」
右手の対価に差し出されたのはポケットから取り出された銀の鍵。予期せぬ贈り物にハボックは声もでない。
「帰れなくても掃除はしておけよ。ああ冷蔵庫も空だからなんとかいしておいてくれ。遅くなるようなら帰って構わないから・・ておい!」
ぐっと引っ張られてロイの身体は黒い胸に抱き締められ
「待ってます。だから早く帰ってきて」
耳元に囁かれるのと唇に熱が掠ったのはほぼ同時だ。そっと身体を離された時はもういつもの部下の顔で
「それでは失礼します、マスタング大佐!」
見愡れる程見事な敬礼を返して大型犬は尻尾を振りながらロイの前から消えた。

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