「おかえりなさい、大佐」
扉を開けた途端掛けられた言葉にロイは一瞬何と応えたらいいか判らなくなった。灯りの付いた家に笑顔の出迎え。最後にそう言われたのは何時だったのか思い出せないほどで
「・・ただいまハボック」
まるで下手な役者のようなぎこちないセリフを隠すように帰宅途中で手に入れた年代物の赤ワインを手渡せば
「お、気が利きますね、大佐ー」
喜ぶ男はロイの戸惑いには気付かない。もうちょっとで焼き上がりますからさぁ早く入って手を洗ってとまるで母親のように言う男の手には木のペッパーミル。くるりとむこうを向いた腰のあたりには以前ロイが買い与えた青いエプロンの斜になった蝶々結びが尻尾のようにヒラヒラと揺れている。
「支度は大体できてますからー。早く着替えて来て下さいね」
ダイニングから漂う湯気に食欲をそそる匂い。それに釣られたように
「判ったよ、ハボ。すぐ行く」
今度の笑顔は心からのものだった。

「やはり鴨を選んで正解だったな。私の決断に間違いはない」
100センズ銅貨に丸投げした事は棚上げにしてロイは食後の紅茶を手に満足げに頷く。その姿は飽食した猫科の獣にそっくりだった。ゆったりと髭を撫でてソファーに寛ぐ漆黒の猫。
うーむ、頭に黒い三角の物体がないのがいっそ不思議なくらいだぜ。
「今は脂が乗ってますからね。でもヒラメも美味しそうでしたよ。それに新鮮な魚はあまり市場では見かけないんですよ」
正直な感想は伏せて片づけを終えたハボックはカップを片手に居間に入って─そうして足が止まった。
・・俺どっちに座っていいのかな。
いつもならロイの向いの1人用のソファー。そこがハボックの定位置だった訳だが
どうせなら大佐の隣がいいなぁ。折角久しぶりに2人きりなんだし。あのソファなら大きいからべったりくっつく訳じゃないしさー
広い居間に相応しい大きな革張りのソファ。古いが座り心地は抜群のそれは大の男2人が並んで座ってもなんの問題もないのだが
今さら隣座って良いですかって許可求めるの変じゃないか?
「む、それを早く言いたまえよ、少尉。急にヒラメが食べたくなるじゃないか。しかしやはり東部だと海産物は手に入りにくいのだな。もっと商人が流通経路を開発すべきなんだろうが・・」
なんだか話が大きくなった所でどうした?とロイが所在なげに立ったままの男を見上げる。へらりと情けない笑顔が黒い瞳に写ったところ白い手がポンとその脇のクッションを叩く。それは犬にだって判るサインだ。
「そうですね、今度見かけたら必ず確保しておきますよ。大佐。ヒラメはムニエルにすると美味しいんです」
いそいそ。見えない尻尾を振りながらハボックは叩かれたクッションの上に座れば飼い主は満足げに頷く。ソファは広く並んだお互いの肩すら触れあう事はない。でももう見えない境界線は消え失せて2人は一時穏やかな沈黙を共有した。
「ソースは何が良いスかね?季節がらキノコのクリームソースが良さそうですが大佐はワイン好きだから」
そんな雰囲気の中話されてる話題といえば夕食のメニューだ。甘いも何もあったもんじゃないが正直ハボックにはこれが精一杯。
だってどーやったらこの人と甘い会話なんて成立するんだよ!今さら無理、絶対無理!
「ふーむワインはやはり飲む方を楽しみたいからやはりキノコソースの方がいいかな」
それに大佐だってこの方がリラックスできるだろうしさ。
望むのは大事な人が幸せそうに笑う事。それが第一でそれ以外は二の次・・なはずだ。
「じゃあこれからはもっとこまめに市場をチェックしますよ、生きの良いヒラメを手に入れるために。ところで大佐、もう休んだらどうですか?明日も朝からでしょう?」
さっきからしきりに生あくびする人の目元には積み重なった疲労で淡い影ができている。日付けが変るにはまだ数時間あるが休むにはもうピッタリの時刻で
「うん?そうだな・・」
壁の時計を見上げたロイは素直に頷いた。

「朝食のパンはそこに。スープは今日の残りがそこの鍋にあるからそれ温めて。冷蔵庫にハムとチーズ切ったのあります。あ、サラダも忘れないで下さいよ」
いつの間に片付けられたのかダイニングのテーブルの上には明日の朝食の用意ができている。テキパキと説明する男は今夜、泊まっていくつもりはないらしい。
・・まぁ、今夜はまだ12時前だし。明日はあいつも日勤だしな。
今までならこういう時ロイは気軽に「もう遅いから泊まっていけ、ハボック」と言った。それなりに真面目な男は最初3回に2回は断わったけど、ロイがハボック専用に用意したDOG HOUSEができてからはちょくちょく泊まっていくようになっていった。でも
「じゃあ、俺帰ります。明日のお迎えは俺じゃないから寝坊しないで下さいね」
「やかましい、この駄犬。人をなんだと思っている」
今はそれができない。言おうとしてもまるで喉に何かが突っかかったように言葉が出ないんだ。無理に言おうととしても自分がその時どんな顔をするか─なって想像したらもうダメだ。きっと多分しばらくの間あいつの作る朝のオムレツとはお別れなんだろう。
「ああ、もう休んでくれて良いですから。お休みなさい・・」
玄関ホールまで見送ろうとするロイを押しとどめてハボックはザックに手をかけた。挨拶の最後に口にしようとした名前は残念ながらロイには聞こえなかったけどそっと肩に乗せられた手に黒い瞳は静かに閉じられる。急に強くなるのは煙草の香り。それに誘われるように薄く開いた口に侵入してくる熱と苦味と直に感じる相手の鼓動少し早まるそのペースに自分も同調しかけた所でスッとその熱は離れて
「おやすみなさい、良い夢を。でも朝は寝過ごさないでね」
へたくそなウィンク一つ残して出て行く男の背を
「お前こそ遅刻するなよ・・おやすみ」
呟くような声が追いかける。そっと閉じられた扉を見つめながらロイの指は無意識に熱の去った唇に触れた。
「これも等価交換一つなのか」
オムレツの代わりに与えられるのはこの熱と苦味。どちらが良いかなんて─それはロイにも判らないかも知れない。

「お早うございます、ホークアイ中尉」
「お早うフュリー曹長」
「おう引き継ぎ頼むわ、俺は帰って寝るぞー」
「夜勤御苦労様です、少尉」
東方司令部の朝はにぎやかだ。ある者はスケジュールを確認し、ある者は仕事の申し送りをする。これから始まる1日に備え一番活気とやる気が満ちるその爽やかな空気の中に
「まったくもう俺が目を離すとすぐこれだ。だから気をつけて言ったじゃないスか」
「余計なお世話だ、駄犬!大体何で迎えがお前なんだ今日は別の人間の予定だったろうが」
「ヤな予感がしたから早めに司令部に行って替わってもらったんです!そしたら案の定俺がベル鳴らすまでベッドの中に居たじゃないですか!夕べ寝過ごすなってあれ程言ったのに」
「う、うるさい!大体お前があんなにワインすすめたのが悪い」
「あ、俺のせいにするんですか?ひっでー」
響くのは子供のような口喧嘩。大部屋に入った時から続くそれに誰もが口を挟めずただ諦めの表情で視線を逸らす。まるでじゃれあいのような会話に終止符を打ったのはもちろん氷の一声だ。
「お早うございます、マスタング大佐、ハボック少尉。お話に熱が入るのは結構ですがそろそろスケジュールの確認をしたいので執務室にどうぞ」
「あ、ああお早うホークアイ中尉。すまない今行くよ。ハボック、コーヒーを煎れてこい」
「へいへい」
騒ぎの元は扉の向こうに消えた。だけど残された3人の軍人の顔には微妙な疲れのようなものが残って
「・・誰かなんとかしてくれよ」
ため息と共にこぼれた言葉に彼等は深く頷いた。

多分これが東方司令部の日常風景─なのだろう。


キスはオッケーでも名前は呼べない、そういう2人です。カップルという自覚があまり無い分周りの目を意識してません。逆にしっかりデキてしまえば意識するようになるでしょう(笑)
だらだらと緩いお話におつき合い下さりありがとうございます。何も起きない日常をさらりと描ける方をホント尊敬します。もっと精進しなければ・・。

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