「畑の右の端にあるでしょう?あの青い屋根です」
指差す先には小さな青い屋根があった。そしてそれの周りには幾つかの茶色い屋根に背後は緑の木々が並ぶ。
「あそこが俺ん家です。青い屋根が雑貨屋ハボック。隣が両親の家でその隣が姉貴の一家です。義兄さんは果樹園を経営しててもうすぐ葡萄の収穫です。前に一度あげたっしょ?実家から送ってきたって」
「そう言えばそんな事あったな」
「俺の田舎の話聞いてる時大佐言ったじゃないスか、一度俺の田舎見てみたいって。こんな形になっちゃいましたけどこの風景を見せたかったんです」
どこまでもなだらかに続く麦畑は金色にうねり、すっかり実った穂は収穫を待ちわびながら心地よさげに風に揺れる。あちこちに点在する家と緑の牧草地、白黒の牛と綿みたいな羊の群れ。どこまでも牧歌的な風景画の世界をロイは黒い瞳を輝かして見入る。
収穫の作業なのか金色の波の中では数人の人影が動きまわり、茶色い地面が見える所に束ねた藁らしきものが幾つも置かれている。あれ結構重労働なんですよと説明する男の瞳は本当にこの空と同じ蒼でああここはハボックの故郷なんだとロイは素直に思う。彼はこの大地に育まれたのだ。金の大地に金の髪、この風景に彼はとてもきれいに馴染むだろう。戦場にいるよりずっと。
ちくり。小さな棘がロイを刺す
「・・ジャン・ハボック少尉」
「何スか急に」
いきなり階級付きで呼ばれた名に大型犬は眉を上げた。彼の御主人がこういう顔をする時は大抵ロクな事を考えてない。
「今から明日の朝までお前に臨時の休暇をやる。実家に帰って家族と一晩過ごすがいい」
「はい?あのね俺は今あんたの護衛中なんです、傍を離れる訳にはいかないでしょうが。ここには遊びに来た訳じゃない俺の家の事なんか気にする必要無いですよ」
「ばか者、何が気にする必要無いだ!」
何の気紛れかと笑おうとしたハボックの頭にロイの拳固が落ちる。傷に響くじゃないかと文句を言おうとしたところでハボックは見上げる黒い瞳の真剣さに顔を引き締めた。
「いいか、お前は何の予告も無しにいきなり姉上に物資の調達を頼んだのだろう?それも他の家族に口止めしてだ」
「そう・・です」
答えるハボックはロイがなんで急に家に帰れと言い出したか判らず困惑する。大体なんでこの人は怒っているのだろう。
「軍務に就く弟が急にやって来て弾薬などを持って出て行く。何の任務だと心配するのが家族じゃないか。彼女はきっと心配で昨晩は一睡もできなかったに違い無い。おまけに口止めされたから親にも相談できなかった・・そこのとこ考えてなかったか、ハボック少尉」
いやうちの姉貴はそんなヤワじゃありません。そうハボックはロイの杞憂を笑い飛ばそうとしてふと思い出した。
さっき会った姉の目の下が黒く染まっていたのを。それこそ不眠症なんかと一生縁がなさそうな姉なのに。
「・・・すんません、大佐。俺そこまで考えてませんでした」
素直に下げられた頭をふわりと白い手が乗せられる。判ったかとばかりにぐしゃぐしゃと金の髪が掻き回されそれからそっと離れた。恐る恐る顔を上げたハボックの目に写るのは柔らかな笑み。
「お前はたまたま近くの基地に居て鉄橋事故の救助作業でここに派遣された。そうして補給に不備があって仕方なく実家を頼る事になった。頭の怪我はその時のもので、物資の代金は東方司令部が責任をもってお支払いする・・そう姉上に伝えたまえ」
「大佐でも」
あくまで護衛の顔をする男の頬に熱い感触がすっと掠め
「家族を安心させるのも軍人の仕事の1つだよ。私ならコレがあるから一晩くらい大丈夫だ」
その熱はいつの間にか手にした銀のライターに移る。
これはお前の代わりだろう?と囁く顔にはさっきと違う徒な笑み。見上げる瞳にも艶めいた光が宿って
「ああもう!」
一声唸った大型犬はライターから強引にその熱を奪い取った。

「何だ、馬鹿息子は帰ったのか」
見事な夕日が辺りを赤く染めあげる頃、2階の患者の顔を見るなりそう言った。往診であちこち回っていたのか白い白衣は叩けば埃がたちそうだが頓着せずに病室代わりにしている部屋に入ると首にかけていた聴診器をデスクに置く。どうやらここは医師の書斎を兼ねているらしい。
「ハボック少尉は家に帰しました、ドクター。今晩一晩は家族と過ごさせたいので」
「若いのに気が利く大佐殿だ。ああフレッド鞄は向こうの部屋に置いておけ」
とととっと器用に黒い診察鞄をくわえて後をついて来た犬はそれを聞くとすぐに隣の部屋に向かう。フサフサの茶色い尻尾が去って行くのを名残り惜しげに見ながら
「利口な犬ですね、ドクター」
思わず素になってロイ言うと灰色の眉がほうと上がる。イシュヴァールの英雄がこんな表情をするとは思っても見なかったという顔だ。
「犬は好きかね、マスタング大佐」
「ええ、とても。忠実な人間の友ですよ」
そうだなと皺の寄った目元が微かに緩む間に犬は部屋に戻ってくる。そうして主人の足下にきちんと座ると何の話をしていたのとばかりに黒い瞳で主人を見上げた。
「こいつはずっと儂の助手をしている。これの母親もそうだったが彼等には病んでいる人間の痛みが判るらしい。重い病の者が来るとずっと傍にいるんだ。昨晩もあんたの傍を離れなかったよ。まぁそれはあの馬鹿息子も同じだったけどな」
「ハボ・・いえハボック少尉が?」
「ああ。お前も怪我人なんだから下のベッドで休めと言っても聞きやせん。大佐を守るのが俺の役目だと言ってこの椅子に座り続けてたよ。全くあのイタズラ小僧がいつの間にかいっちょまえの男の顔するようになるんだから儂も年を取るはずだ」
皮肉気な言い方とは反対に細められた目には柔らかな光が宿っている。少年から大人へ、その成長を間近に見てきた者にとってそれは何より嬉しい事に違い無い。
ちくり。また小さな棘がロイを刺した。
「ドクターは彼を良く御存じのようですね。ハボック少尉はどんな少年でしたか?」
「そりゃあいつを取りあげたのは産婆をしていた儂の女房だからな。話せば長くなるが・・」
と医師がどかりと椅子に腰掛けようとした時だ。ちょっと待ってというように傍らの犬がわん!と吠える。気がつけば古ぼけた柱時計はもう夕刻を示し、窓の外ははや黄昏れ時の色に染まっていて天空には小さな光が灯っている。そのことに気がついた医師は
「いかん、すっかり暮れちまった。先に夕食にしよう、大佐殿。儂じゃ大したものは出来ないが幸いジャンが家からの差し入れを置いていった。ハボックの上の娘は料理が上手でな。おかげで儂もお相伴にあずかれる」
ちょっと待っててくれよ。言いおいて慌てて下に下りて行く。残されたのはロイと茶色の大きな犬。
「・・食事よりハボックの話のほうが良かったのにな」
なぁフレッドと思わずこぼすロイを慰めるように差し伸べられた手をペロンと湿った舌がなめた。
そっと頭に手をやると相手は撫でていいよと言うようにくんと鳴くからロイは滅多に触れられないふさふさの感触を思う存分楽しんだ。



フレッドのイメージは有名な「○命の犬」から。でも犬種はグレートピレニーズあたり。のどかな話が続きますが後でハボの捏造過去話とかでる予定。

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