「エディンは確か俺より10才年上で内乱が始まって早い時期に軍に入りました。そしてそのままずーっと戦場にいたんです」
手渡された熱いコーヒーに手をつけるのも忘れてロイはハボックの話に聞きいる。芝生にシートをひいてバスケットから出したミートパイやスコーンが並べられたそこは一見長閑な早朝ピクニックという光景だが内容は平和と程遠かった。
「内乱が始まって7年。大佐達国家錬金術師が投入されるまで俺達が戦線を支えてきたんだと一度話していたっけ」
「親しい間柄だったのか」
「家も近所だったし田舎の子育ては村ぐるみですからね。大きい子が小さい子の面倒を見るのは当たり前っしょ。俺も木登りの仕方から始まって良い事も悪い事も教わりましたよ」
そうやって俺も近所のチビ達の面倒みましたよと笑う男にロイは世話焼きハボックのルーツを見たような気がした。
「戦場で彼に会う事はなかった。大佐も知っての通り俺は補給部隊だったけど彼は最前線で戦っていた。それで彼は内乱終結前に負傷兵として村に帰っていて俺が戻ったのはもう少し後でした」

村に帰った時の事をジャン・ハボックは良く憶えている。季節は夏の終わりだった。道端に生えていた大きな向日葵が種ですっかり重くなった頭を垂れてまるで戦争で死んでいった人々を悼んでいるかのような光景が広がって
「・・ジャン!」
戸口に立った息子の姿に母親は持っていた陶製の水差しを床に落とした。その派手な破壊音と母親の声が皆に聞こえたのだろう。
「ジャンですって?」「ジャン兄?」「帰ってきたのか、ジャン!」
あっという間に家族全員がその場に集まって来る。そしてそのまま固まったように動かない家族に向かって
「あー、えーと、その、ただいま?」
いささか間の抜けた挨拶が送られる。その瞬間
「生きていたんなら連絡ぐらいしなさい!」「お帰りジャン兄!」「おい何処も怪我はないのか?」
全員がハボックに抱きついてくるからたまらない。支えきれずにハボックは後ろ向きに倒れそのまま家族全員に押しつぶされ圧死しかけるという大変珍しい体験をした。

「俺の村で内乱に出征したのは10人ぐらいでした。で帰ったのは4人。多いかどうかは知りませんが隣の村じゃ五体満足の奴は1人もいなかった。エディンも右腕を失いました。彼の家は俺の家の近くで母親と出兵前に結婚した奥さんが彼の帰りを待っていたんです。だけど俺は彼が先に戻ってたのを知らなかった。最初は戦死したのかと思ってました・・だって帰ってから彼の姿を1度だって見た事なかったから」

「なぁ姉貴、エディンはまだ帰ってこないのか?俺1度も姿見てないし、おばさんも殆ど外に出て来ないから聞けないんだけどもしかしてあいつ・・」
帰ってから数日は親族やら友人やらに誘われてあちこち出歩く日々が続いた。内乱の激しさは長閑な彼の村にも伝わっていて友人達は皆ハボックの身を案じていたから喜びも大きい。それが一段落したある日ハボックは姉にふと気になっていた事を尋ねたのだが
「・・帰ってきてるわ。エディンはあんたより3ヶ月も前にイシュヴァールから戻った」
まるで人目を憚るように声を潜めた姉にハボックの顔も曇る。無事生還したのなら何故姉はこんな沈痛な声なんだろう。
ところが事情を聞く内にハボックの顔も同じ色に染まる。
「一晩中魘される事もあるらしいわ。うわ言で助けてくれとか、ごめんなさいとか叫んで・・起こそうとした奥さんの首を締めかけた事もあったらしいの」
それは帰還兵には珍しい話ではなかった。戦場の過酷さに帰還してからもその恐怖が忘れられず心を病むという事は。

「エディンは帰ってからずっと家に引きこもったままだったんです。夜は魘され時に錯乱状態になり人に会うのを酷く怯えるようになった・・。ま、俺にも憶えがあるからこれはそっとしておくしかないって思いました、村の連中も」

苛酷な戦場はいとも簡単に人の心を壊す。妻や友人を敵兵の姿と間違え耕耘機のエンジン音に爆撃を思い出す。安息の眠りさえ悪夢に侵略される人々を癒す特効薬などどこにもありはしないのだ。ただ周囲の愛情と献身、静かな環境と時間だけが彼等を癒す術だと昔から多くの帰還兵を抱える東部の人々は知っていた。
時が経てばいつかは愛する人も元に戻ると信じて村の人々は彼等を見守っていたのだが─不幸な事件は起きてしまった。

「その日は村の収穫祭でした。こんな小さな村だからサーカスとか旅芸人は来ないけど広場に天幕張って1日中飲んだり踊ったりするんです。家畜の品評会とかパイコンテストとかまぁそんなものがあって子供にはわくわくする1日でした。エディンの具合もある程度は良くなったのかたまに庭に出てくるのを見ました・・会いに行くのはまだ早いと思ってたけど」
戦場を忘れたがっている男に同じ戦場で戦ったハボックが会ったらまた状態は悪化するだろう。そう思って様子を見に行かなかったのは今思えばまずかったかもしれない。
「本当ならもっと早く俺が話相手になってた方がよかったかもって今は思います。だって俺なら彼の気持ちが判る。奥さんにも母親にも理解できないあの恐怖と罪悪感を俺なら知っていたから親身になって話を聞く事もできたはずなんだ。それをしなかったのは本当は俺自身が彼の苦しむ姿を見たくなかったから。彼の狂気が自分にうつるのが怖かったんです」
ハボックだって同じような体験をしたのだ。当然同じ傷を心に負っている。ただほんの少しそれが浅かったのと彼の心が強かったから笑えただけで。
「ちゃんとエディンに向き会っていれば良かったと今なら言える」
そうすれば事件は起きなかったと悔やむ男の苦しげな横顔にロイはかつて親友に言われた言葉を思い出した。
『イシュヴァールの全てが自分のせいだと思うな、ロイ。そいつはとんだ思い上がりだよ。あの内乱の後で罪の意識に苦しむ兵士は沢山いるんだ。お前、自分の方が沢山殺したからって彼等より苦しむ権利があると思うのか』
そうだな、ヒューズ。ハボックにも彼の友人にも等しくイシュヴァールは痛みを残した。あのアームストロング少佐だって逃げた自分をまだ責めている。けど私はその事をちゃんと判っていたのだろうか。
「ハボック・・自分を責めるな。お前のせいじゃない」
戦争は全て軍の責任だ。そう言おうとしてロイの舌は固まった。その言葉が何の慰めにもならない事を一番良く知ってるのは他ならぬロイ自身だから。
それ以上何も言えない─でも何かしたくてロイはそっと力なく下がった肩に手を置いた。その温もりに驚いたようにハボックが振り向く。ふっと空の蒼さをうつした瞳に光が戻った。
「すんません、話が脱線しましたね。事件が起きたのはその祭りの晩です。夜になると広場には踊りの輪ができて小さな子供も今夜ばかりは夜更かしを許されているから外を走り回っていました。その中には俺の4才になる姪っ子もいたんです。先を走る兄さん達に追いつこうと走っていた時彼女は男にぶつかった・・それがエディンだった」

「ほら妹置いていくつもりか?ちゃんと面倒見るって約束したろう?」
「わーってるって、ジャン兄」
「でもあいつ遅いんだもの、早く行かないとダンス終わっちゃうよ」
早く広場に行こうと手を引っ張る甥達をハボックはたしなめた。子供だけじゃあぶないと姉から頼まれた(押し付けられた?)子供達だが中々言う事を聞いてはくれない。
「ほらリジー置いていくぞ」
面倒見の良い兄の方が妹の方に駆け寄る。妹の方も追いつこうと小さな足を懸命に動かしていたからあまり周りは見ていなかったのだろう。ふらりと道に彷徨い出た人影にぽすんとぶつかり反動でころりと転がった。
「あーほらちゃんと前見てないと、大丈夫かリジー」
ぺたんと地面に尻餅ついたままの妹に兄が声をかけたその時だ。
ドォンと腹に響くような音と共に夜空に眩い閃光が走る。祭りのクライマックスを告げる花火が始まったのだ。

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