しばらくするとハボックは心地よい手から名残惜しげに離れしゃんと背筋を伸ばした。
「ごめんなさい、イロイロ気を使わせて。でもあの事件のせいで俺は軍に戻ったんじゃありません。故郷に帰る前にもう上官のウィーバー中佐の推薦で仕官学校に入学する事は決まってましたから。両親にも帰った次の日に話してはいたんです」
「御両親は反対しただろうに」
「ええ。でも最後には俺の人生だから好きにしろと言われました。姉にはフライパンで頭殴られましたけど・・って俺の事は良いんです。大体俺がこの話をしたのはあんたを落ち込ませるためじゃない」
そう言われてロイは思い出した。この事件はロイにも関係あるとハボックが言った事を。だけど詳しい話を聞いてもロイにはまるで心当たりはない。
「あの後エディンとは爺さんの診療所で一度だけ会いました。正気に返った彼はもちろん事の次第を憶えていたけど俺は気にするなって言いました、あんたのせいじゃないんだと。まぁ気休めにしかならなかったけど俺達はそれ以上事件について話す事はしなかった。そのうちエディンがぽつりぽつりとイシュヴァールの事を話し始めたんです」
もちろんハボックだって実戦を経験した兵士だったから戦場の悲惨さは身に染みている。でも長年最前線で戦ってきた男の記憶はそれを遥かに上回っていた。
小さな手で銃を構える子供達、赤ん坊の死体の下に爆薬を忍ばせて近づく母親、補給も途絶え、瀕死の戦友を見捨てての敗走。
「最後に彼はこんな話をしました。自分は命がけで助けに来てくれた人を化け物呼ばわりした挙げ句殺そうとしてしまったと・・その人の名はロイ・マスタング、焔の錬金術師」
ハボックの言葉に弾かれたようにロイは顔を上げた。見開かれた黒い瞳の奥に一瞬浮かんだのは恐怖に強ばった叫びと逆光にきらめくナイフの刃。
「第11歩兵部隊所属カーライル分隊・・サンガ地区の東区域の事か」
心当たりがありましたかと頷いたハボックは静かに話を続ける。
「あの時彼の隊は大きな神殿の1つを攻撃していた。でも連係で攻撃するはずのもう1つの分隊は移動の途中で襲撃され全滅。ところがそれを知らされないままエディン達は作戦を開始してしまった・・結果は想像つくでしょう」
敵の背後から挟撃するはずの友軍はいつまで経っても来ない。彼等がじわじわと岩山に追い込まれていったのは戦力の差から考えれば仕方のない事だった。イシュヴァールの武僧達の戦闘力は普通のアメストリス兵と比べ物にならない。

「あの時・・私は他の地区の殲滅に向かった帰りだった。その途中で襲われた分隊の生き残りを見つけ彼らの危機を知ったんだ」
俺達が行かなきゃあの神殿は落ちない、ここままじゃ連中は無駄死していまう。瀕死の兵の訴えにロイはもちろん部下に進路の変更を命じる。作戦後だったので体力も気力もボロボロの状態だったが見捨てる事はできなかった。
「そうッスか。大佐らしい。あの時エディン達の隊はもう数人しか残っていなかったそうです。それも散り散りなってただナイフ1つで逃げまどう事しかできなかった。もう戦う気力も消え失せた彼を奴ら猫がネズミをいたぶるみたいにわざと止めを差さないで襲ったらしい・・その恐怖は想像もできませんや。そうして追い詰められ数人に囲まれて最後かと思った時突然そいつらが燃えだした」
まるで蝋燭みたいだったとその光景を思い出した男は震える手を押えながら語る。
いきなり周りの人間が火を吹いてのたうち回ったんだ。驚くなという方が無理だろう?ジャン。しかも他の所からも火柱が次々と上がるんだ。俺はその時もうヤバいとこまできてて・・自分が助かったなんて思わなかった。次に火を吹くのは自分じゃないかって怯え切っちまってそんなところに『彼』が現れたんだ。
辺りを包んだ焔を砂漠の風が吹き散らす。その向こうから現れたのは馴染みの青い軍服に黒い瞳。
『大丈夫か、軍曹』
差し出された手は戦場に不似合いな白い手袋に包まれていた。紅い紋章のようなものがそれにくっきりと描かれているのを視線の何処かが捕らえていたけど
『私はロイ・マスタング少佐だ。生存者は君だけか?他には』
揺らめく焔はまるでマントのように彼の背後を飾っていたんだ。その姿は昔おとぎ話に聞いた焔を操る悪魔そのままで
「触るな!ば,化け物!」
気づけばナイフをふるっていた。相手は寸前でそれをかわし落ち着けと叫んだようだが俺は止まらなかった。けどその時彼の背後からもう1人の男が飛び出して俺の腕を押えると思いきり殴り倒した。岩に叩き付けられて意識は朦朧としてたけど、胸ぐら掴んだ腕は容赦ない。でもそれを
『よせ、ヒューズ。殺すつもりか!』
彼の声が止めたのを聞いた。そのまま俺の意識はブラックアウトしたんだけど黒に塗りつぶされる視界の片隅で確かに『彼』の顔を見た。それはまるで泣くのを必死に我慢してる小さな子供、人間兵器にはまるで不似合いなその表情に俺は『彼』をどれだけ傷つけたのかを知った。自分を助けてくれた人なのに。
「ずっとそれが気にかかっていたとエディンは言ってました。でも会う機会も勇気もなかった。だから俺にこう言ったんです」
なぁ、ジャン。お前は軍に残るんだろう?お前なら俺よりきっと出世する。きっと士官にだってなれるだろう。だからもし、もし『彼』に焔の錬金術師殿に会う事があったら伝えてくれ。助けてくれてありがとう。とあなたのおかげで俺の隊は全滅せずに済んだ。なのに臆病な俺のせいで嫌な思いをさせて申し訳ないと。
「・・それで彼は今どうしている?」
「爺さんの勧めで信頼できる病院に入院しました。確か2年ぐらい前に退院して隣町で奥さんと一緒に働いてるそうです。ね、そうやってちゃんと元気で暮らしてる、息子だってできたんだ。それも大佐のおかげだよ」
私は自分の義務を果しただけだ。そう言おうとするロイの唇を武骨な指が塞ぐ。
「だめですよ、彼の感謝をちゃんと受け取って下さい、大佐。じゃなきゃ彼も救われない」
ハボックの言葉が静かにロイの胸に染みる。これまで何度か似たような事はあった。終戦直後声をかけてきた部下達も『感謝します、少佐』と言った。でもそれは素直に受け取れなかった。自分には力があったのに救えたのはたったこれだけ─己の無力さに怒りしか感じなかったけれど。たったこれだけでもそれ1人1人はかけがえのない命だったはずだ。それなのに自分は数字としか見ていなくて─ハボックの言葉にそれはとんだ傲慢だったとロイは気づく。
「そう・・だな、ハボック。確かにエディン・カーライルは私が救った」
自分に言い聞かせるように言うロイにハボックは何度も頷く。
「そうッスよ、大佐はそうやって何人もの命を救ったんです。殲滅の過去が消せないならその事だって消えやしないはずだ」
そっと白い頬をハボックの手が包む。黒い深淵の瞳に魅せられたまま男は友人の最後の伝言を伝えた。
「エディンは最後にこう言ってました。マスタング少佐は人間兵器じゃない。兵器はあんな目をしないと」俺もそう思います。あんたは普通の人間だよ。ちょっとばかり人と違う事ができてちょっとばかり頭が良いいだけの」
ちょっとばかり─国家錬金術師の力をそう言う奴は多分こいつくらいだとロイは苦笑する、でもだからこそ手放せない。傍にいて欲しい。
「生意気いうなこの駄犬」
ぱしと頬を包む手を払ったロイはそのままお返しばかりにハボックの頬をぐいと両手で挟むと自分は立て膝になった。
そうするとハボックの蒼い瞳はロイを見上げる形となる。普段と違う角度のそれにロイは満足げに笑った。
「私がちょっとばかりならお前なんかまるきり普通の人間だよ。この村の人間とまるで変りない。善良でお人好しの田舎者だ」
「ひでぇなぁ、大佐」
あんまりな言い方に苦笑するハボックにもロイの気持ちはもちろん伝わっている。
あの事件の後村の人々の態度が変った訳では決してない。家族だってもちろんそうだ。(幸い子供達はすぐに家に避難させられ、この騒ぎを殆ど見る事はなかった)ハボックだって気にしていないはずだった。でもやっぱり傷みは残った。あの日からハボックは自分と村人達は違うと無意識に線引きしてたけれど
「お前はここの人達とおんなじだ。田舎者で善良でお人好し・・でもこの大地のように強く揺るがない」
誰より大事な人はそうじゃないと言う。そうして柔らかい笑みがその顔に浮かんで
「だから・・好きだ」
何より欲しかった言葉が静かに囁かれた。
「たい、さ?」
見開かれた蒼い瞳を覗き込むようにロイの言葉は続く。
「ドクターからお前の憂いを晴らしてやってくれと頼まれた時、何処かでイヤだと言う自分がいたんだ。もしそれでお前が田舎に戻るって言い出したら・・」
長閑で平和な村、ハボックの居場所は本当はここで軍にいる事が間違いじゃないか。そうしてもし彼がそれに気が付いたら─この村に来て時折感じる傷みの元はそれだった。
「俺の居場所は大佐の傍ですよ」
空の蒼が間近に近づく。その澄んだ色にロイは溺れそうになる。
「この村は好きだけど俺がいたいのは大佐の傍だ。こんなに誰かを好きになったのはあんたが初めて」
見上げる瞳はいつもと逆だ。見慣れない角度から見る男の顔にいつもと違う表情が浮かび
「前に言ったよね?続きは後でって。憶えてますか」
甘えを含んだその声にかぁっと身体の熱が上がる。思わず離そうとする身体はいつの間にか逞しい腕にがっちりホールドされてて逃げる事は叶わない。そのままの姿で見詰めあう事数秒。
「この駄犬、変なことだけ憶えて・・」
小さい罵声と共に2つの影は重なった。

秋の天気は気紛れだ。空は晴れているのにさあっとそこに空から金の糸が走る。朝早くから畑に出ている農民達が驚いたように空を見上げても丘の上の人影は動く事はなかった。






「雨降って地固まる」(笑)です。「遺言状」から続く無駄に長いお話におつき合い下さった皆様ありがとうございます。もう最後は色々ぐたぐたでしたがようやくロイが告白できて一安心。やっとこれから恋愛モードになる・・筈。えーこの話はいわゆる過去からの脱却がテーマとなっておりまして
ロイはロイでハボックはハボックでイロイロ抱えていたものを見詰め直す・・というのを書きたかったんです。おかげで過去話がやたら多くなり暗い展開になってしまいました。暗いの苦手な方すいません。でもそこを超えて手を取り合ってほしいな・・とか思ってます。

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