「ロ・・ロイ・マスタングって奴はいるか!」
人質の身体を楯に出てきた犯人は叫ぶ。その要求にざわざわとバリケードの向こうでなにやらざわめきが起きるがそれが急に鎮まるとバリケードの一部が動きそこから1人の軍人が現れた。
「私がロイ・マスタングだ。この通り武器も持って無い。今からそちらに行く」
低いが良く通る声はいたって平静で言葉通り銃も何も持っていないその手はむき出しのままだ。丸腰のその人物はゆっくりと犯人の方に向かって歩きちょうどバリケードと中間の地点で止まった。
「さぁ来たぞ。要求を言いたまえ」
数メートル先には犯人とその人質。両手を後ろ手に縛られた軍人のこめかみに当てられた銃口は微妙に震えているが当の人質はいたって普通の顔をしてた。その垂れた蒼い目が下手なウィンクを送るのを黒髪の大佐は確かに見た。
「くっ、車と金を用意しろ!金額は・・百・・万センズだ!」
震える声といい場当たり的な金額といい計画性ゼロなのは誰の目にも明らかだ。だがそれだけに扱いが慎重になる筈なのだが
「無理だな」
きっぱりはっきり言い切る男に犯人ばかりか周囲も目を剥く。驚かなったのは人質の軍人だけだ。
「怒ってますねぇ」
「ああそろそろ爆発するぞ」
バリケードの向こうで男達が動く。
「いきなり呼びつけて百万センズ要求するなどずうずうしいにも程がある。話にならんな、忙しいんだ、私は帰る」
あっさり言って踵を返そうとする男に
「な・・何を言ってやがる、こっちには人質がいるんだ。可愛い部下がどうなっても良いのかよ!」
激昂した犯人はそう叫ぶと羽交い締めにした男の頭に銃口をぎゅっと押し付ける。トリガーに掛かった指に無駄な力が入って危険な状態になった時、ロイが叫んだ。
「何をしている、さっさと片付けろ!この駄犬!」
「アイ・サ−!」
怒声と共に手に握り込んで隠していた発火布から小さな火花が飛び犯人と人質の目の前で巨大な火球になる。小物の犯人はもちろん直に見た事が無かった、焔の錬金術師の脅威の技を。眼前で爆発したそれに度胆を抜かれた犯人の動きがコンマ数秒完全に止まった。
訓練した男にはそれで十分。
大きな身体を素早く沈め密かに緩めてあった荒縄を力任せに解くと両手で男の銃を持った腕を掴んでねじ上げる。いきなりの攻撃に抵抗も無くあっさり離した銃を取りあげそのまま腕を掴んで綺麗に地面へ沈めた。
要した時間はたったの数秒。
「確保!」
指揮官の声に控えてた男達が一斉に飛び出す。あっという間にぐるぐる巻きにされた男に
「な言ったろう?あれでも部下に優しい上司なんだよ」
笑いかけた男の金の前髪はほんの少し焦げていた。

立てこもり犯の名前はレオ・ヤングといった。最近闇で武器の密売に関わっていた彼は不法な武器を持ってる時に職務質問され、びびって闇雲に犯行に及んだけだと震えの止まらぬ声で供述した。
発生からおよそ4時間。立てこもり事件にしては稀に見るスピード解決である。

「報告は後で聞く。取りあえずお前には現場の後片付けと検証を命ずる。ちゃんと店のガラスなおしとけよ」
「アイ・サ−」
不機嫌な御主人様はそれだけ言うとさっさと車に向かってしまった。1人ぽつんと残された犬はへたりと尻尾を垂れさせるとあーあと頭をかきながら仲間の所に向かう。
勤務中に軍人が事件に巻き込まれたのだ。うまく解決したから良いものの下手をすれば上司の責任問題になったろう。だからロイの怒りも無理はないと思いながら。

「・・よろしいのですか?大佐」
「何がだね、中尉」
「ハボック少尉も数時間に渡って監禁されてました。それなりのストレスと疲労を感じてると思いますが・・」
暗に後片付けまでやらせるのはどうかと言う副官の言う事に頑固な上司は耳を貸さない。
「銃口を頭に突き付けられてるのにへらへら笑ってウィンクする奴の何処がストレスを感じるんだ。本来なら減俸ものの所を始末書で済ましてやろうと言うんだ。後始末くらい当然だね」
どこまでも素直でない(いやある意味非常に自分の感情に忠実な)男はそう言って車に乗り込もうとする。そこへ
「すいません、あの・・責任者の方ですか?」
控えめな声で呼び掛ける人物が居た。

「どーも、皆さん御迷惑かけました!」
大部屋に帰るなり頭を下げた男を迎えたのは
「そんな!ハボック少尉のせいじゃないです、あの事件は」
「むしろ少尉のおかげでスピード解決できたと思いますな」
「おう、貸しは明日の昼飯で良いぞ」
同僚達の暖かい?お言葉でほっとした男は数時間ぶりに自分のデスクに着いた。もう時刻はすっかり夕刻。天気の良かった昼間を反映して空を綺麗な茜雲が彩っている。ほぼ1日仕事が出来なかった男の机には白い紙が何枚も溜まっていたがそれは覚悟できてたのだろう、大して落胆もせずそれらを脇に寄せた。
実際それ程疲れてる訳ではない。数時間緊張を強いられたとはいえそこは戦場を経験した軍人である、回復は早い。それなのに架空の尻尾が今だ垂れてる理由は一つ。
・・まだ怒ってるかなぁ、大佐。情けない奴とか思われたかなぁ。あーあ結局アレ渡せなかったし。
そもそも自分が事件に巻き込まれる原因となった物をハボックはあのどさくさで何処かに置き忘れてしまった。気がついた時には現場の後片づけでそんな事やってる暇もなく結局彼は手ぶらで帰還したのだ。
えーい、すんだ事は仕方ねぇ!アレはまた再チャレンジすることにしてともかくちゃんと謝罪しないと。
拳固の一つや二つは覚悟の上(しかしこれ以上前髪を燃やされるのは勘弁して欲しい)と潔く
「じゃあ、大佐に報告して来るわ」
「おう、怒鳴られてこいや」
部屋を出ようとすると扉でかち合ったのはヘイゼルの瞳。
「あら、早かったわね少尉」
「ホークアイ中尉!あ、今日の事は本当に申し訳ありませんでした!」
長身を折り曲げて謝罪する部下を氷の副官は
「事件そのものは貴男に何の落ち度もありません。偶然に発生した事件に巻き込まれたのは不可抗力ですし貴男が人命を最優先に考え行動した事は正しい判断です」
冷静に評価する。
「ただ仕事上の連絡は的確に相手に伝えるように。メモなど不確かな手段はなるべく避けて。今日も外に出てからでも私に連絡をすべきでした。上官は勤務中、常に部下の所在を把握してなければならないの。判りましたね、少尉」
「イエス,マム!2度と無いよう心掛けます」
「これから大佐のところ?」
「はい」
「報告は正確に事実をキチンと伝えるのよ、少尉。嘘や誤魔化しは無し。ちゃんと理由を言いなさい」
言ってる事は厳しいがヘイゼルの瞳には悪戯めいた光があった。

「ジャン・ハボックです、大佐」
ノックの音に返事は無い。返事する気も無い程怒ってるのかと職員室に入る生徒の心境で恐る恐るドアを開けたハボックの目に入ったのはがらんとした執務室。
「あれ・・居ないのかな、大佐・・へ?」
取りあえず中に入ってハボックの目に付いたのは机上の一枚のメモ用紙。書かれていたのは
「30分以内に私を見つけなければ減俸3ヶ月。さっさと捜したまえ、駄犬」
と書いた本人が部屋を出たらしい時刻。一瞥したハボックが慌てて時計を見れば既に10分は経過している。
「ったく、もうあの人は!」
三十路前の男のする事か、これが!可愛すぎるぞ、畜生!

皆は不思議がるがハボックはロイを見つけるのにそれ程苦労した覚えは無い。確かにロイの着任したての頃はその逃げっぷりに手を焼いたがある日気が付いたのだ。要するにロイの行動は家で飼っていた猫と同じ。行きたい所に行くだけだと。そこには何の思惑も無い。昼寝したければ気持ちの良い中庭に行くし、静かにしたい時はホコリの匂いがする書庫に行く。その辺の心理は物凄くストレートだ。そこに気付いてからハボックの探査能力はぐんとあがった。惚れた欲目で何かにつけロイの事を気にかけるようになてっからは尚更。
例えば今みたいに夕焼けが綺麗な気持ちの良い黄昏、爽やかな空気が辺りに満ち一日の疲れを癒したい時はきっと─。

「ビーンゴ」
司令部の東棟、給水タンクがある屋上への階段はいらなくなった備品の置き場と化して近寄る者など殆ど居ない。
がハボックは知っている。幾つかの段ボールを脇に避けると簡単に屋上へ出るルートができているのだ。わざわざそんなものを作った人物が誰なのかは言う間でも無い。
「捜しましたよ、マスタング大佐」
愛犬の声にどこから持ってきたのか古ぼけたソファにもたれた人物は夕日を見ながらパチンと手元の銀時計を見てチッと舌打ちをした。
「5分オーバー。仕方ない、減俸1.5ヶ月で勘弁してやる」
言い方はそっけないが声にはもうさっきまでの冷たさは無い。そこにほっとしながらもハボックは背筋を伸ばして背を向けたままの相手に謝罪する。
「今日は御迷惑かけて本当に申し訳ありませんでした!マスタング大佐」
「事件に巻き込まれた件は仕方ない。幸いけが人もなかったし。ただ勤務時間中に寄り道はまずいな少尉、こんな」
そう言って上げた手が持っていたのは中くらいの紙袋。茶色の地色にピンクで『BAKERY RUDOLF』の文字が丸いドーナッツのイラスト共に書かれていた。


本当に今日はありがとうございました。幸い被害はガラスぐらいでお客様にも怪我がなくてほっとしました。
現場を去ろうとしたロイに声を掛けてきたのは被害にあった店の主人。40代だろうか自分も人質に取られて大変な目にあったというのに他人の心配する芯のしっかりしたエプロンの女性だ。
あの少尉さんが偶然いてくれなければどうなっていたか。あの人が皆を庇って励ましてくれてたんです。『人質に傷つけたら軍は絶対お前を逃さない。そこんとこ覚悟して行動しろ』ってヤケを起こしそうになった犯人に言ってくれて・・。
それで、あのこれ少尉さんに渡して下さい。30分も並んでくれてやっと手にした矢先にあの事件が起きて。新しい商品を入れておきましたから
話題の主は片づけの指揮に急がしそうで声をかけにくかったのだろう。差し出された紙袋からは甘い香りが漂っている。
いや自分は甘いもの好きじゃないんだけどね。どうしても食べさせたい人がいるんだ。ほらここいつも混んでんだろ?その人並ぶ訳には行かないから食べられなくてさ。でもここの前通ると視線がいっつも釘付けになってるんだ。だから丁度空いてる今がチャンスと思って。あ、いやカノジョってやつじゃ無いよ、なんて言うか・・そう食べさせ甲斐のある軍人?

「・・何時、私がドーナッツ屋に視線を釘付けにしてたかね、少尉」
ようやく振り返った人の目付きは剣呑で声も低い。でも白い頬が薄紅に染まっていたのは夕日のせいだけじゃないだろう。
「送迎なんかであの店の前通った時は大抵そうですよ。長蛇の列見ちゃため息付いてました・・気が付きませんでした?」
見ろハボック、2時間待ちだそうだ。全くドーナッツ1個に御苦労な事だ。
その店はもともとパン屋だったが最近始めたドーナッツの味が評判で新聞にも取り上げられていた。その記事をじーっとロイが熟読してたのも無論ハボックは気付いていたのだ。
「いつ買ってこいって言い出すかと思ってましたよ。けどぜんぜん言わないし。こりゃカッコつけて言えないんだなと思って。したら丁度あの時空いていた。これは良い機会だと思って並んだんです・・それがまぁ真相です」
「当たり前だ。上官たるもの私用で部下を使うなどもってのほかだ」
「あんたのセリフとも思えませんがねぇ・・俺が好きだって言ったから遠慮した?」
「・・・」
「そんな遠慮すること無いのに。好きな人の喜ぶ顔見たいってのは当たり前の感情でしょ?俺はあんたの喜ぶ顔見れるなら2時間待ちぐらい何でも無いっスよ。けどどうしてそれ大佐が持ってるんスか?」
気負いも無くさらりと言う男の顔は何の曇りもない。それがロイには少しうらやましくて悔しい。彼はもう迷わないのだから。
それに比べて私は─。
「あの店のマダムが私に託した。勇敢な少尉さんに渡してくれとな。折角並んだんだ、ちゃんと食べさせたい人にあげてくれと」
「気が利くマダムですね今度御礼言っておこう。だからどうぞ大佐食べて下さい。あと30分ぐらいなら中尉も気が付きません。俺が気になるなら部屋に戻ってます・・では」
もう夕日は殆ど消えかけて、深い蒼の闇がゆっくり空を被う。微妙に居心地悪そうな顔をするロイにハボックはここは引いた方が良いと考えた。だって追い詰めたい訳じゃないのだ。ただ安らいで欲しいだけ、美味しい物を食べてちょっとの間でも張り詰めた心が穏やかになって欲しいだけだから。そのためなら自分の恋情など二の次だ。
気持ちの良い風が屋上を去ろうとするハボックの焦げた金髪を揺らした。
「待て、少尉!」
縋るような声に聞こえたのはハボックの都合の良い幻聴か。振り向いたハボックの目に映ったのは茶色のドーナッツを手にしたロイの姿。
「マダムに礼を言うのに自慢の商品を食べないなんて失礼だろ、少尉。これは砂糖がかかって無いからそんなに甘くない。大体5つもあるんだ。1人で食べきれるもんか。責任とって手伝えハボック」
横柄な言い種も頬を赤くしては効果も無い。それに気付いてないのか睨む相手にハボックは両手を上げて降参したくなる。
ああもうこの人は!ドーナッツごと食っちまいたいぜ。
「謹んでお手伝いします、大佐。あ、下の販売機でコーヒー買ってきますね」
ぱたぱた。尻尾を振ってその場を去る大型犬を見送ったロイは手にしたオールドファッションのドーナッツを一口齧る。ほんのりした甘味とシナモンの香気が口に拡がって店の評判が嘘で無い事をロイに伝えた。
「クソ・・兵糧攻めは狡いぞ、ハボック」
敗北を予感した男の呟きは甘い香りと共に夕暮れの空に溶けていった。




ハボがドーナッツを買って来る。というだけの話がなんでこんなに長くなったのか自分でもわかりません。おまけにラストが夕日の屋上(笑)どこの学園物だよと自分で突っ込みたくなります。日々ちゃくちゃくと侵攻するハボにロイはどこまで防戦できるか─。そういう日常?のお話でした。

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