HOUND OF LOVE 

 「お手」
白く洗いたての手袋をはめた手が犬の鼻先にがついと差し出される。その手の持ち主は黒い瞳で愛おしげに愛犬を見つめながら犬が命令に従うのを待っている。が
「・・・」
差し出された手に応える者はいない。ただじっと上目遣いに氷のような蒼い瞳がその手を見つめているだけで
「ジャン、お手」
苛ついたように催促してくる声にも反応は全くない。その様子は鎖で引っ張っても動かない犬そのもの。そんな主と犬の根比べが数分続いた後で。
「・・強情な奴」
根負けしたのか白い手が舌打ちと共に引っ込められる。それを見た蒼い瞳に勝利の色が浮かんだところで負けたはずの主が笑った。犬に向けるにしてはやや危険なほど嫣然と艶めいた笑みで。そうして
「ジャクリーン、お手」
今度は反対の手が全く同じ相手の鼻先に差し出された。すると
「わん!」
ひょいと銃胼胝のできたごつい手が差し出された手に乗せられた。見上げる瞳は深い蒼に変ってさっきまでのムスっとした顔から今は尻尾を振る犬そっくりになってる男の金の頭を御褒美とばかりに白い手が掻き回す。
「良いコだ、ジャクリーン。やはりお前はかわいいな」
「えへへ」
手の感触に締まらない顔で垂れた蒼い眼が笑う。と急にその身体が後ろに引かれて
「ジャク、この裏切り者!」
全く同じ人物が顔色を変えて怒鳴った。ガラスの車窓に写る自分の顔に向かって。それを黙らせたのは
「静かにせんか!駄犬共!」
コンパートメントに響くほどの黒髪の主の一喝と容赦なく繰り出された拳骨だった。

─中略─

音楽が緩やかなワルツに変ると着飾った淑女と正装の軍服を纏った男達が中央で優雅な弧を描く。軽やかなステップに翻るレースは武骨な軍服の世界に華やかな色を添えていた。
「踊ってこないのかね、マスタング君」
それらを見下ろす貴賓席で隻眼の独裁者は謁見に呼んだ黒髪の大佐にグラスを勧めながら言う。
「先程まで楽しんできましたから。閣下こそ奥方はどうされたのです?」
優雅に笑うロイは正式の礼装を一分の隙もなく着こなして腰には儀式用のサーベルを佩いている。さっきまでこの格好でレディ達の間を蝶の様に飛び回っていたのにきっちり上げた黒髪には一筋も乱れてはいなかった。
「セリムが今日は風邪気味でな。心配だから家に残した。どのみち軍主催の夜会はあまり好きではないらしい」
大総統夫人はそれ程地位の高い家の生まれではなかった。顔だちも人柄もけして悪くはないが人目を引く派手さはない。それが何故・・と当時は話題になった程だ。
「お優しい方ですね」
「ん、私がかね、妻がかね」
「もちろん奥方です」
下らない冗談はよしてくれ!と内心苦り切ったロイは言下に否定する。1週間に及んだ中央会議の締めくくりの夜会だから逃げる訳にもいかずこうして独裁者への儀礼の謁見もこなしてる訳だがそろそろ我慢も限界に近い。
「今回は色々有意義な会議だった。君の参加で新しい切り口も見つかったし」
それなのに相手はまだロイを離すつもりはないらしい。傍に仕えた給仕に琥珀の液体を注がせた。
「君はキメラの軍事転用に反対してたな。それは生物は完璧な兵器になり得ないと思うからかね」
「ええ、あの時にお話したように兵器に求められのは精度ですどんな状況で誰が使っても強力な力が得られるのが兵器だ。キメラにはそれは求められない。彼等は精々が軍用犬レベルだ」
「ふむ、同じ犬なら軍の狗の方がましという訳だ」
「狗が犬を誹るのはおこがましいですか、閣下」
国家錬金術師の蔑称を平然と口にするロイに隻眼が眇められるこういう会話を自分が好むと知ってやるなら鼻持ちならないが多分この男の場合は無意識だろう。そうやって人の心に自然に食い込むのだ。例え本人が望んでなくても。
「いや、それを言うなら軍人は全て国家の犬だ。私も君も例外ではない。時に今回君が連れてきた犬は少々毛色が変っているな」
「お目障りでしたら御寛恕願います。あれは東部の田舎出身でセントラルに来たのも初めてなのです。いつもならホークアイ中尉に同行してもらうのですが今回のような長期の出張に彼女を伴うと東方司令部の機能がマヒします」
冗談でなく真顔でロイはそう言った。実際ハボックを同行させる事に最初は難色を示した彼女も現実に目を向ければそれしか手はないと思っていたのだから。
「何、功績を見れば立派なものだ。南部の激戦を戦い抜いた立派な兵士だよ。君に対する忠誠心も強い。今頃はこの扉の向こうで心配してるだろう、君の事を」
・・このクソエロ親父!
セクハラ紛いの揶揄にぴきと青筋が走る。何時の間にハボックの経歴を調べたか知らないが余計な詮索はされたくない。ここは上手く理由を付けて早々に退散しようと完璧な笑顔の下でロイがそう決心した時だ。
「御歓談の所申し訳ありません、大総統閣下!」
ノックの音と共に鋭い目をした仕官が部屋に入って来る。腕に巻かれた腕章から憲兵隊所属の者と知れた。
「何事だね、ダグラス大佐」
「先程3区の建物1軒が突然爆発炎上しました」
それだけなら最高権力者に直接言う必要もない。鋭い視線はその向いに座るロイに向けられていた。
「家の主はドクターオルロフ。爆破少し前ですが憲兵隊本部にこれが届けられました」
差し出された白い紙を一瞥するとブラッドレイはそれをロイに回す。そこに書かれていたのはほんの数行の文字だ。
「マスタング大佐、貴君の忠告に従い私は自分で証明します。私のキメラの有効性を最強の錬金術師を倒す事によって」
「現在、憲兵達が交戦しております。焼跡から現れたキメラと」

─中略─

ニタリ。口の端をわずかに持ち上げてキメラは確かに笑ったその意味をハボックが知ったのは数時間後。

「いかん、呼吸が乱れてる。早く酸素吸入を!」
「脈拍乱れてます!元に戻りません!」
「大佐、大佐しっかりして下さい!」
『ロイ、目を開けろよ!』
「薬が効かない!」
「ロイ!」


                 

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