本当にもう殿方というものは─自分勝手で我が儘でそれでいて私達『女』に夢を見る。

「まったくしょうがない人達ですよ」
そう切って捨てた老婦人の顔は穏やかで慈愛に満ちている。ふっくらとした頬は柔らかくそこに年月の足跡がはっきり残っていてもその笑顔の魅力は少しも損なわれはしない。
「お茶をもう一杯いかがですか准将閣下」
にこやかに勧められれば相手に否やはない。頂きますと差し出されたカップに丁寧に茶を注げば辺りには茶葉の芳醇な香りが広がった。
「イーストシティの方は落ち着きましたか」
「ええ治安は大体元に戻りました。おかげでイシュヴァール問題に専念できます」
「それはよかった。でもあんまり無理はしないで下さいね。貴男はこの国にとってこれから必要となる人なんですから」
かつてこの国の頂点に立った男の伴侶だった女性の言葉は軽くない。判っていますと頷く相手を
「あの人もそうやって聞き分けの良い振りはしましたけどね。実際は人の言う事など聞きはしませんでしたよ」
軽くいなした婦人はほらサンドイッチもどうぞと大の大人を子供のように扱う。その様子に在りし日の2人の生活が透けて見えるようで
「・・閣下もあなたにかかれば形なしだったでしょうね。鋼の、いえエドワード・エルリックに聞きましたよ。何でも出会った頃にあの閣下に平手打ちを食わせたと」
とイタズラっぽく言えば
「まぁ、そんな事聞いていたのですか、恥ずかしい」
頬を染める顔は少女のようだ。そのまま澄んだ瞳を庭の方へ向けると遠い昔を思い出すように彼女は語り始めた。

あの人と出会ったのはそう、父の友人のパーティでしたか。母は中々嫁に行かない娘をなんとか片付けようと伝手を頼っていろんな所に顔を出させたものです。
後に大総統婦人となる彼女の生家は三代前に将軍を輩出した事が唯一の取り柄の冴えない軍人一家だった。特に彼女の父は身体が弱く歴史の研究が唯一の趣味という体たらく。それでも将軍閣下の一家という名誉は軍事国家では上流の下にはなんとか入れた。そのなけなしのつながりを頼って母親はなんとか娘を将来有望な軍人に嫁がせようと必死だったのだが。
正直私は興味ありませんでしたよ。軍人の妻なんって面白く無さそうだしできるなら教師になりたかったから。機会があれば家を出て自活したいと思ってました。今考えれば世間知らずのお嬢さんの夢でしたけど。そんなだからパーティも身が入らなくて早々に退出して待たせてあった車に向かったんです。そこに何かの理由で遅れたのか一台の車が入って来てたんですけど慌てていたのか迷い込んだ野良猫をはねたんです。
鋭いブレーキ音と甲高い鳴声。宙に飛んだ黒い影に何が起ったかすぐに解った。ぼろ雑巾のように地面に蹲った猫は血にまみれ誰もそれに近づこうとはしなかった。ひいた車の主は一目もくれずそそくさ邸内に入り運転手もそのまま車を回して行ってしまう。誰にも顧みられない黒い固まりは諦めたように小さくにゃあと鳴いた。
その声に弾かれたように駆け寄った娘は肩に巻いていた絹のストールで血まみれの身体を包もうとする。だがそれを背後から大きな手が止めた。
「お止しなさい、お嬢さん。わざわざ貴女の手を汚す必要もないでしょう。係の者に片付けさせれば良い事です」
振り向いた先には黒髪の軍人がいた。片目を眼帯で被った所をのぞけば逞しい体つきといい鋭い眼光といい優秀な軍人である事は一目瞭然。年齢に似合わない勲章の数もそれを裏付けてはいたが
「まだ生きています。お医者に様に見せれば助かるかもしれません」
ぱっとその手をはらった娘にはそんな事は気にならないらしい。
「見れば解る。もう助かりません。その綺麗なストールが無駄になるだけだ」
冷静な指摘に答えたのは
「無駄とは何ですか!」
小気味良い平手の音だ。瞬間きょとんとした顔になった軍人に娘は
「生きている者を助けようとするのは無駄ではありません。例えだめでだったとしてもこれに包んで埋葬してやればこの子も安らいで眠れるでしょう」
きっと挑むようにそう言い放つと一張羅が血に汚れるのも気にせずに猫を抱き上げ自分の車に向かった。

そういえばあの時鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてましたよ、あの人。ずっと一緒にいたけどあんな顔見たのはアレが最初で最後だったわねぇ。私にしてみればなんてデリカシーの無い男だと思いましたけど。結局猫は助からなかったから私は庭の一角に埋葬しました。その翌日です。彼が私の家に来たのは。ダメになったストールと全く同じ品と花束を2つ抱えて。
「これは昨日の猫に。正直私は野良猫の生き死になぞ興味はない。ですが貴女の勇気と思いやりに敬意を表してこの花を墓に捧げる事をお許しください」
厳つい顔はどこか不馴れな事をする子供のようで態度もどこかぎこちなかった。でもそこには嘘もまやかしもなかった。
それが馴れ初めだったんです。以後おつき合を始めて数カ月後には結婚してました。・・正直今でも時々思うのですよ、何故あの人は私を選んだのだろうかと。

人でない男は最後までその内を他人に晒さなかった。だから彼女は知らない。セントラルの奥深く人外な者達の間でこんな会話が交された時も男の胸の内に何があったのかを。
「また地味な女を選んだもんだねぇー。国中の美女が選り取りみどりって立場でさぁ」
「伴侶を自由に選ぶ権利はあると聞いた」
「それにしたってさぁ、もっとこう。意外だったねぇああいう地味なのがお好みだったんだ」
遠慮無しの言葉に男は眉一つ動かさない。その肩に絡み付くようにしなやかな腕が触れた。
「私には理解できるわ、ラース貴男の気持ちが」
赤い唇が嘲笑の形に歪む。
「人間らしい女が傍に居て欲しいんでしょう?彼女は条件ぴったりね。明るく親切で思慮深い。ペットか花を愛でるみたいにそういう女が傍にいれば少しは人間らしい気分が味わえる」
「くだらん。アレは余計な口を挟まない大人しいのが取り柄の女だから選んだだけだ」
訳知り顔の言葉は一言で否定された。だが
「そう?貴男に女の何が判るのかしら?大人しいだけの女が本当にこの世に存在すると思っているの?」
女でない女はそう人でない男を嘲笑った。もっとも男はそんな嘲笑には慣れっこで気にもしない。
何故なら兄弟達の憶測は全て外れだ。男が彼女を選んだ理由はたった1つ。
彼女の怒った顔は美しかった。怒りの顔を幾つも見てはきたがどれも醜いものばかりで他人のそれも全く
無力な存在のための怒りはあんなに美しいのかと感動した程─憤怒の名と魂を持つ男にとって理由はそれで
十分だったのだ。

「結婚する時も平穏な人生は約束できないと言われた。その代り誰にも想像できない人生なら保証すると言われました。・・そんな事言われて結婚する私も大概でしたね」
笑う顔にしかし後悔の色はない。その表情に心を決めて黒髪の准将はそっと長年の疑問を口にした。
「・・もしかして貴女は気付いていたのですか?」
夫が人外の生き物だった事、そうして養子となった息子もまた同じ異形の生き物だった事を。意外な質問に薄いブラウンの瞳は大きく見開かれそうして伏せられた。思い出したようにティーカップを口に運んだ彼女はゆっくりと首を振る。
「いいえ・・私は何も知りませんでした。あの人が何をしようとしてたかなんて想像もできなかった。毎日一緒に暮らしていたのに。ただ普通と違う所は確かにありましたね」
例えば若い頃、どんな戦場で重傷を負ってもすぐに復帰する並外れた肉体。ある一定の年齢を過ぎたあたりから殆ど変らなくなった容貌。時折ふいに感じる違和感。
「遠縁の子供だと言って連れて来たあの子を初めて見た時一瞬ですが身体が震える程の寒気が走りました」
「それなら何故」
その手を取る事ができたのか。得体の知れない子供と夫。その中で何故あれ程穏やかに笑っていられたのかロイには理解できない。彼等に向けられていた慈しみは決して偽りのものではなかったし、あの隻眼ならそんな偽りはすぐに見抜いただろう。だが老婦人はロイの問いに
「だってそれが夫ですもの」
一片の迷いもない笑顔で答える。
「そういう人だと思えば気にもなりません。あの子だってそういう子だと思えば同じ事。何の違いもありませんでした私には」
『なめるなよ、あれは私が選んだ女だ』
笑顔の向こうにシンの少女が語った隻眼の男の最後の言葉が重なる。確かに男の選択に間違いはなかったのだとロイは静かに頷いた。

「大変長居をして申し訳ありませんでしたブラッドレィ夫人」
中天にあった日は大分傾き気付けば予定の時間は大分過ぎている。見送りに出ようとする女性を押し留めて東屋でロイは護衛と共に辞去を告げた。
「いいえ、こちらこそセリムが遊んでもらって助かりましたわ。セリム、ちゃんと大尉さんに御礼を言ったの?」
小さな黒髪の子供はそう言われると午後の間遊び相手だった金髪の軍人に慌ててペコンと頭を下げる。
「キャッチボールしてくれてありがとう、ハボックさん」
「おう、今度はサッカーしような」
子供の扱いに馴れた男はがしがしと豪快に頭を撫でる。日頃そういう扱いに馴れてない子供はくすぐったそうに笑って黒い瞳を輝かせた。その乱れた頭を今度は白い手袋をはめた手が丁寧に直す。
「今度セントラルに来る時もこいつを連れてきますよ、セリム様」
「本当?僕もっと上手くボール投げられるように練習しておきます!」
きっと約束だよと手を振る少年とどうぞお元気でと頭を下げる母親を後に多忙な東方司令官は護衛と供にその家を去った。

「あの子と遊んで何かおかしな気配は感じたかハボック」
階級が上がっても現場復帰した護衛役はハンドルを他人に委ねるのを良しとせずだから車内には2人だけで内密の話もここならし放題。
「いいえ。正直話を聞いてもあの子がホムンクルスだなんて信じられません。でもあんたは結構緊張してましたね最初あの子に挨拶した時」
「エドワードやグラマン閣下から話は聞いていたのだがな。情けない話だが最初あの子を見た時は身体が竦んだよ。あの戦いを思い出して」
影の触手を自在に操り人間を見下し切った異形の子供。それが寸分違わない姿で目の前に現れれば確かにあの時の恐怖は蘇ったけれど
「彼女の話を聞いてそれも消えた。確かにあの子はプライドとは違う」
別れの時に撫でた小さな頭の感触を思い出すようにロイは手袋をはめた手を見つめる。
「・・でも本当に大丈夫なんスかねぇ」
それは事情を知る全ての者が胸に抱く疑問だ。あの人外の存在の最後の生き残りをこうして育てるのに誰もが一度は反対した。それはロイも同じだったけれど
「夫人がついてるなら大丈夫だろう」
ロイはきっぱりと言い切る。
「グラマン閣下はホムンクルスと人間が真に心を通わせられるかと言っていたがな。もう既に前例があるじゃないか」
「前例って?」
「キング・ブラッドレイと彼女の間には確かな絆が結ばれていたんだ。あの子供にそれができない訳はない」


「王たるの者の伴侶だなんて大体あなたは言い方がいつも大袈裟なのよ」
遊び疲れた子供はいつもより早く寝入ってしまい丁寧に毛布を掛け直した母親は明かりを消そうとしてふとテーブルに飾られた写真を手に取る。
「余計な遺言などいらんだなんて勝手に決めつけて」
シンの少女が伝えた最後の言葉を彼女は何度も繰り返す。
「でも確かにそれがあなたらしいわ、最後の最後まで」
自分勝手で我が儘でそれでいて『私』に夢を見る。
「私も最後まで私らしく生きますよ」
だから待っていてちょうだい。どこへだろうときっと私の魂はそこに行くから。
─写真を元に戻すとそっと彼女は明かりを消した。




捏造ブラッドレイ夫妻のお話です。または閣下の最後の言葉への夫人の逆襲。はっきり言ってあの最後の言葉は婦人にとっては勝手な言い種だと思う。けどそれをブラッドレイ夫人なら笑って許せるのではないかと。

                 

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