『好きです』とこれまで何度か言った事はあるがこれ程真剣になったのは多分初めて。だってそうだろう真剣じゃなきゃ年上で上司で我侭で極め付けは同性という人物にこの言葉は言えない。
「うー気分悪い、水欲しい、眠い・・・」
やっとこさ自宅に着いても大佐の意識はモーローとして身体は軟体動物のままだ。仕方ないからソファに横たえ背中を支えて冷たい水の入ったコップを口にあてがう。ひんやりとした感触に誘われる様に薄い唇が開き飲み切れなかった透明な液体が白い喉の上を滑り落ちていくのが目の前に見えた。 ドクンと胸の鼓動が倍の音たてて響く。
「動くのめんどくさい。ここで寝るから毛布持ってこい、ハボ」
そう言ったきり腕の中の人はぴくりともしない。やかましく音たてる俺の心臓も酔いなんかとっくに醒めたのに熱い俺の体温にもまるで気付かないままで。
これがこの人の答えなのだろうか。あの告白は無かった事にする替わりにこれまで通り変わらずに接するという。
それがあんたの意志なら俺は
「私は壊れモノじゃないぞー」
ふにゃふにゃ呟く大佐をそっとベッドに横たえ靴を脱がして頭を枕に乗せる。ふわりと毛布を掛けて風邪ひかないようしっかり肩をくるんだ。額に散った黒髪をそっと梳くとしなやかな黒髪は指に絡む事無くするりと解けた。
これがあんたの意志なら俺はそれに従う。2度と余計な事言わないし何も求めない。だって俺はあんたの忠実な犬なんだ御主人様の言い付けぐらい聞けなくて何が犬だってんだ。それに第一あんたの『好き』は俺のもんじゃない。
名残りを惜しむ指を無理矢理離してお休みの挨拶をもう夢の国の住人になったであろう人の耳に囁くと俺は立ち上がってドアに向かう。明日は早めに迎えにいってアルコールで弱った胃に優しい朝食でも作ろうと思いながら。
「ハボ」
「大佐?」
微かな声に振り返れば何時の間にか大佐は起き上がってこっちを見ていた。何か用だろうかと戻るとすっと白い手が上がりそれが近付く俺の目に向かうが果たされず、落ちかけた手の指先が俺の頬を掠める。
その指先の感触に何かが弾けた。
起き上がった身体をマットに押さえ込み
愛用の上等なローションの香りが強くなって
両の手でそっと柔らかな頬を包む。
「大佐」
底のない深淵を思わす漆黒が視界一杯に広がった。
「ハボック?」
何がおこってるか判らないのか問いかける唇を塞ごうとした時脳裏に蘇ったのは以前一度だけこの人に触れた時の事。
あの時彼は別の名を呼んだ。
「・・・境界線を越えないで下さいよ、大佐。俺はあなたに言ったでしょう?『好き』って。それ以上何も求めないけどナチュラルディスタンスは守って下さい。そうじゃないと・・」
さっき飲んだ水の潤いが僅かに残る表面に触れた瞬間俺は思いきり両手に力を入れてそこから自分を遠ざける。どうしたら良いか判らなくて告白した時と同じ様に尻尾を巻いて出ていこうとする俺を呼び止めたのは大佐の声
「ハボック!」
声に怒りは無かった。ベッドに上体起こした大佐はきょとんとした表情で俺を見ている。たった今飼い犬に襲われかけたと判っているのかいないのか。
「おやすみなさい、大佐。明日は7時に迎えに来ます」
どうにかいつもの声でそれだけ言うと逃げる様にその場を去る。今度は呼び止める声は無かった。

外に出ると夜にはまだ冷たい春の風が頬を撫でる。足早に敷地を出てともかく煙草を吸おうと足を止めるを急に力が抜けた様に勝手に身体がしゃがみ込んでしまった。
「はー何やってんだ俺・・」
気付かなかった−自分の中にこんな熱情があったなんて。

「好きです」と言った時も欲望はあんまり意識しなかった。そりゃ無防備に寄せてくる身体を抱き締めたいとか衣服越しに伝わる鼓動を直に感じたいとかは思ったけれど。互いの熱を共有して一つに溶け合いたいという生の欲望とは違うと思っていた−いや思い込もうとしていたんだ。けど
頬に触れたあの指先がそんなごまかしを粉々に打ち砕いた。もう自分を誤魔化す事はできない。
「どーすりゃいいんだよ・・もー大佐ぁ」
あの天然もいい加減気付くだろう。部下が自分によこしまな欲望を抱いてるって事に。一体どの面下げて明日迎えに行けば良いのか。

「おはようございますマスタング大佐。ジャン・ハボック少尉迎えに参りました!」
爽やかな朝の空気にやや緊張した声が響く。いつもの通り呼び鈴を押して「入れ」の声に招き入れられた男は珍しくきっちり敬礼しながら玄関ホールで待っていた上司に朝の挨拶を述べる。けれど視線は微妙に逸れたまま。
「御苦労、少尉。今朝も良い天気だな」
それに比べて黒髪の大佐の態度に変わりは無い。いやいつもの寝起きの悪さからくる不機嫌さが見られない分機嫌が良いというべきだろう。
「ああ少尉ちょっとこっちに来たまえ」
ちょいちょいと呼びつける男の顔には明らかに企む表情。
「はい、なんスか・・」
警戒心も露にハボックはゆっくり近付く。まさか夕べの狼藉の対価にミディアムレアにされるのか。きっかり1メートルのところで止まった男に再度命令は下される。
「もっと近くに寄りたまえ」
「アイ・サー!」
声に促されて男は更に距離を縮めた。もう40センチと離れてないだろう。部下と上司ならこれが限界。
「もう1歩前に!」
厳しい声に背中を押された様にハボックは足を前に出す。もう軍服が触れあう距離でハボックには見上げる黒い瞳に映る自分の姿が見える程だ。
「境界線は越えたぞハボック。それで私をどうする気かね?」
挑発的なセリフにハボックは戸惑う。一体ロイはどういうつもりなのか。
「あの大佐・・怒ってます?」
「当たり前だ、この駄犬!」
怒声と共に伸ばされた手はハボックの耳を掴み思いきり引っ張る。不意打ちをくらったハボックの額は音をたててロイの額にぶつかった。
焔の錬金術師の必殺技が頭突きだと一体誰が想像するだろう。柔らかそうな頬とは裏腹にロイの頭は鋼並みだった。
「いって〜何するんスか大佐ァ」
涙目になってハボックが訴えてもロイは掴んだ力を緩めない。お互いの瞳が至近距離にあるのに漂う空気に甘さは皆無だ。
「判ったか、馬鹿犬。私は強いんだ。そう簡単に飼い犬に噛みつかれないぞ。・・・だから勝手に境界線なんかひくな。それが一番腹が立つ!」
そう言い放つとロイは耳を掴んでた手をぐいっと下にひいた。痛いと喚くハボックを無視して軽く背伸びをする。
「わっつ!大佐?」
赤くじんじん痛む額に触れたのは昨晩と同じ柔らかい感触。予想外の出来事に固まるハボックを突き離すとロイはさっさと玄関に向かう。
「行くぞ、ハボック!」
「大佐!」
なんとも情けない声にロイが振り向けば額と頬を赤くした垂れ目の男が泣きたいんだか喜べばいいのか複雑な表情でこちらを見ている。その置き去りにされかけた犬みたいに縋ってくる瞳が何を訴えてるかは一目瞭然で。
「どうしたら良いか判らないのはこっちだ、駄犬!勝手に人を混乱させて。私はお前が離れるのは嫌だ。でもお前の『好き』にどう応えたら良いか・・」
さっきまでの勢いとは逆に語尾は小さく自信なげに消える。それでも強がる様に睨み付ける人の目元が薄ら紅をさした様に赤い。そこで鈍い犬はようやく気が付いた。ロイがあの告白に真剣に向き合ってくれていた事に。

ホントにもうこの人は・・

額を押さえていた手を離しハボックは前に歩き出す。1歩2歩3歩・・きっかり40センチ手前でその歩みは止まる。
「どう応えたら良いかなんて考えなくていいっスよ、大佐。大事なのはあんたがどうしたいなんだから。俺はあんたの側に居られるならそれで良い。あんたが望まないのに夕べみたいに鎖を切るような真似は2度としない。約束します」
「・・譲歩のし過ぎは戦略的に不利だ。士官学校ではそんな事も習わなかったのかね、少尉」
「持久戦は得意です。開戦の許可がいただけるのなら死ぬ気でがんばりますよ」
すっと黒い瞳が細められる。目元に紅を残したままロイは傲岸に言い放った。
「許可しよう、ジャン・ハボック。だがこの戦いは厳しいぞ。その覚悟があるならさぁ宣戦布告をしたまえ」
誰より強い視線の奥に微かに揺れる光がある。そのアンバランスさに気が付いたのは何時だったか。あの時感じた思いのままハボックは宣言する。
「俺はあなたが好きです。ロイ・マスタング大佐」
宣言と共に額に下ろされた唇をロイは静かに受け取った。

ナチュラルディスタンス、不可侵の境界線は破られた。ー後はただ進むのみ。



やっとスタートラインについた2人。なんだか3歩進んで2歩下がってます。しかし何故告白シーンで頭突きがでるのか。ツンデレロイを目指したのに(泣)

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