あれ?
階段を降りた所でロイはある臭いに気が付いた。それは苦くてすこしキツイ−でもとてもよく知っている香りで。
「ハボック・・?」
嗅ぎ馴れた香りの元はどうも応接室らしい。応接室といっても来客なぞないからもっぱらリビングとしてロイがだらだらするのに使われる。そういえばこの家唯一の灰皿は応接室にあってハボックはは大抵そこで煙草を吸う。あとはキッチンに灰皿代わりのビールの缶があるだけだから、その残り香かと思うが一応確認のため(と自分に言い聞かせて)そっと応接室のドアを開く。
薄暗い室内で目を凝らすと、始めに目に入ったのはソファーからはみ出た足と金髪の頭だった。足音を忍ばせてそっとソファを覗き込めば、でかい体を思いきり伸ばして、そこらにあったクッションを枕にした金髪の大型犬が平和そうに眠っていた。くーくーと規則正しく寝息をたてる男の眠りは幸せそうで子供の様に安らかだ。
「何でこんなところで・・・」
あっけにとられたロイは頭痛も忘れて眠る男を覗き込む。夏とはいえ軍服を布団かわりに黒のTシャツの姿ではなんとなく寒そうだが、良い夢でも見てるのか寝顔は微かに微笑んでいる。
・・意外と睫毛長いな。金髪の睫毛なんて可愛いレディの持ち物なのになんでこんなムサイ男が持ってるんだか。資源の無駄だ、もったいない。そういやこいつの寝顔を見るの初めてか?否。初めてじゃ無い。
ふいに強烈な既視感に捕われる。こんな無心に眠る姿は昔見た事がある。東の砂漠で、南の森で。

目を開けたら真上に彼の寝顔があった。初めて行った大規模な焔の練成で疲弊しきったロイを守る様に大きな体で抱き込んでいる年若い兵士の金髪は煤と灰に汚れてくすみ、生来の輝きを失い、顔には疲れが滲んでいたがそれでも少年らしさが残る寝顔だった。
こんな子供が戦場にいるなんて・・・
それはロイがこの長い戦争の実態を始めて肌で感じた瞬間だった。止まらない巨大なブルトーザーのように戦場は人の命をを飲み込み続ける、敵、味方関係なく。
止めなければ、どうしても。
例えどんな事をしても、どんなに傷付こうとも。
そう決心した瞬間。

悪夢から抜け出したら彼の寝顔があった。すっかり逞しくなった横顔のラインには昔には無いふてぶてしさがあるようで、これまで彼が歩んできた道が平坦なばかりでは無い事を物語っている。南に捕われていた自分を救出に来たらしい黒い戦闘服の若い金髪の兵士。
ああ彼か。
驚きはなかった。イシュヴァールでほんの一時出会った青年と南部の森の奥深くで再会するのがどれ程ありえない確率か解らないわけじゃ無いが、もう一度彼に会えると何処かで思っていたのかもしれない。
どこか忘れ難かった金髪に蒼い瞳。
ならば運命にしてしまえ。
傍において、自分のモノにして。
自分勝手に定めた運命に。

戯れ言に混ぜて言い聞かせた言葉は正しく働き、そうして金髪の青年はロイの前に見慣れた寝顔をさらしている。
麦わらのような金の前髪が寝息に合わせて本物の麦畑みたいにゆらゆら揺れてロイを誘う。猫みたいに衝動にかられて伸ばしかけた手を、理性で押しとどめるとふいにその体がごろりと横を向いた。
「いーかげんにしてくださいよぅ〜」
「わ?」
しまった起こしたかと咄嗟にしゃがんでソファの背に隠れたが
べ、別に悪い事してるわけじゃないぞ。思い直して再び寝顔を覗き込めば、安定した寝息に乱れはない。なんだ寝言か。どうやらハボックは夢の中でまで我侭上司に振り回されてるらしい。寝言にしては切実さが籠る声音にロイも思わず苦笑する。でもその割にはほんわり笑みが浮かんだ寝顔は幸せそうに見えるので
しょうがない、奴だ。夏とは言えこんな格好じゃ風邪ひくぞ。全くいつも私にはあれこれ口喧しく言うくせに。
そんな薄着じゃ風邪ひきます。今日こそはちゃんと飯食って休んで下さいね。ああもうブロッコリーは残さない!好き嫌いは子供だけの特権です!
お前ぐらいな者だよ、焔の錬金術師に向かってそこまで言うのは。・・・さてその忠義に応えて毛布でも持ってきてやるか。めったにない特別出血大サービスだ。喉の乾きも忘れてロイはそっと応接室を出ようとする。
カタン。
眠る犬を起こさない様に注意してドアを絞めようとした時、背後で小さな音がした。
「大佐?」
しまったと振り向けば何時の間にか薄闇になお蒼い瞳がじっとこちらを見詰めていた。
「何してんすか?こんなところで。眠れないんですか。」
「それはこっちのセリフだ。客室を使えと言ったのに何でこんなトコで寝ている。」
寝起きがいいのかさっきまでの熟睡ぶりが嘘の様な男にもしかしてこいつタヌキ寝入りしてたんじゃんかないかと疑いながら、取りあえず一番の疑問を口にした。そのおかげで不様に動揺しかけたのは絶対にこいつには悟られたく無い。
「あーいやその、あんな立派な部屋、俺みたいな田舎モンには合いませんて。返って寝つきが悪くなります。」
「おかしな奴だな、別に普通だぞ。立派と言うならこの応接室の方がよほど豪華じゃないか。」
「や、そうなんですけど、あの部屋灰皿ないんスよ。でここにあるの思い出しまして。それに客室に煙草の臭いが付いちゃうのもまずいっしょ。」
あの部屋を使う人に。
「それはそうだが・・・」
「あそこは俺が使って良い部屋じゃ無いんです。」
「・・・勝手にしろ。」
静かなしかし珍しくきっぱり言い切るハボックに何を感じたのかロイはそれ以上追求するのを止めた。
「それより大佐はどうしたんですか、あ何か顔色悪いっスね。」
「頭痛がするんだが、薬は切れてるし。おまけに喉が矢鱈と乾く。それもこれも全部お前のせいだ。」
固まりかけた空気を飛ばす勢いで理不尽に言いつのる上司に、安心した様にハボックもいつものペースを取り戻す。
「はいはい、俺が全部悪いんですよ。ともかくベッドに戻って下さい。水は俺が持ってきます。それから頭痛薬のストックは、寝室のチェストの左の引き出しにありますよ。」
あれよあれよという間にロイはベッドに戻され、薬を飲まされ、さあ寝なさいとばかりにぽんぽんと枕を叩かれ、布団に押し込められる。
薄暗い部屋に差し込む夜明けの光を閉め出す様に分厚いカーテンをきっちり閉めたハボックは銀灰色の細い雫に雨っスね。と呟いた。
「丁度いいお湿りですね、ここのところ暑い日が続いていたから。こういう静かな雨は俺の田舎じゃ農夫の休日って言ってました。お天道様が休めって言う印だって。俺は外で遊べなくて不満だったけど、金色の麦畑に銀の雨が降る様はとても綺麗でしたよ。」
ここじゃそれは無理ですね。外の景色を見つめるハボックの瞳にはその光景がが見えるかのように懐かしげな微笑みが浮かんでいる。自分の知らない風景を見ているハボックにロイの胸がちくりと痛んだ。それを誤魔化す様にふっと意地悪な気持ちが忍び込む。
「農夫の休日か・・私には雨はそんなに優しく無いなかったな。 記憶に残る雨といえばイシュヴァールで見た黒い雨、私の焔が生んだ灰まじりの雨だけだ。それ以外の雨の記憶は全てあの黒い雨が押し流してしまった。」
子供の頃見た虹も、雫の音楽を子守唄に眠った思い出も、もうロイの目に浮かぶ事は無い。
つまらない事を言ったなと自嘲気味に笑う大佐を見た時、瞬間爪が食い込む程握った手に力を入れなければ押さえられない程の怒りが込み上げた。この人から雨の日の安らぎを奪った者に対して。優しい雨音に心穏やかになる権利を消し去った運命に対して。そして何もできない自分に対しても。
ああしまった。自分の不用意な一言に固まってしまった部下にロイは激しく後悔する。何を八つ当たりしてるんだ、私は。ハボックには何の関係も無い事なのに。自分の投げ付けたどんな酷い言葉もしっかり受け止めてしまう奴だといい加減解ってる筈なのに。
「もう休もう、ハボック。私はいいがお前は今日仕事だろ?まだ寝る時間はあるから少しでも休んでおいたほうがいい。ああ、ソファーで休むのは良いがせめて毛布は掛けておけ。体調管理も仕事のうちだぞ。」
理由なく主人に叩かれた犬みたいな目をして黙り込んだハボックをなだめる様に言ってロイはさっさと羽根枕に頭を伏せた。できればさっきの会話は無かった事にして欲しい。逸らされた視線が無言でそう語るのを聞き取った様にハボックもまた調子を合わす。
「あんたにそれを言われたくはないですね。まぁ大佐も明日は休日ですし家でゆっくり休んで下さいよ。」
『家で』の所にかかった微妙なアクセントにロイのすっきりとした黒い眉がぴくりと跳ねる。
「ホークアイ中尉になにか聞いたな?」
「えーっと、まぁ。雨の日はその・・」
「はっきり言い給え、ハボック少尉」
「・・・無能。」
その禁断の一言でむくりと起き上がったロイの目に映る剣呑な光に、ハボックは本気で青ざめた。
言えって言ったの大佐じゃないか〜!
「でっでも要するに発火布が使えないだけッスよね?それ以外は大丈夫なんでしょ?」
「当たり前だ。ただちょっとスピードと機動性が落ちるだけだ。火種さえそばにあればそれも問題ないんだ。」
「なら、俺がいますよ。」
何?意味が解らず眉を顰めるロイの前で、ハボックはポケットから取り出したライターでいつもの様に煙草に火をつけ、それを前に差し出した。
「これがあれば十分代わりになるっしょ?だから雨の日の護衛は必ず俺にしましょうよ。何時如何なる時も煙草の火は消しませんから。・・・そのうち雨と言えばこの煙草の煙りを思い出す様になりますよ。」
ね、一石二鳥でしょ?ついでに煙草代軍の費用で落ちませんかね?
真顔で要求する男にたまらずロイは吹き出した。ハボックはこうやっていつも軽々とロイの抱えていたモノをひょいと横にやってしまう。その重さに怯むことなく、でもしっかりと受け止めて、そうしてその手を差し伸べる。
「・・・それは無理だな。個人の嗜好品にまで予算を割いたら軍の財政は破綻するよ。ま・うまい朝食を作ってくれたら個人的に報いてやれるかもしれんがね。」
「さすが、国家錬金術師は太っ腹スね。大佐の財布、あの宴会費用全額払ってもまだ残りありましたもん。」
「そういえば、私の財布どうした?ホークアイ中尉に預けたトコまでは記憶にあるんだが・・」
はいこれ。とチェストの上にあった革の財布を渡され、どれどれと中身を覗き込んだロイの顔色が急に蒼くなった。
「どーしました大佐?」
「ほっほっとんど残ってないじゃないか!あれには明日、本屋に払う分の金まで入っていたんだぞ!それがたったの5000センズしか残って無いじゃないか!お前らの胃は底なしか!少しは遠慮と言うもの無いのか!!!」
あまりの金額に枕を振り回して喚くロイに、自業自得じゃ無いかと思うハボックは取りあえず撤退を決意する。
だって俺1人のせいじゃないもん。
「や、東方司令部部下一同、ロイ・マスタング大佐の広ーいお心には深く感謝しております。これからも誠心誠意職務に励みますので、大佐は今日はゆっくり休養なさって下さい。では・・・では。」
ずりずりと後ろ向きに後退したハボックが最後のセリフと共にドアに飛び込んで安全圏に脱出すると、閉まったドアにぼすんと何かが投げ付けられる。そして最後の捨てセリフ。
「お前となんか2度と一緒に飲みに行くもんか−!」




数日後、東方司令部の執務室の電話が鳴った。
「ああクラフト商会か、注文していたベッドがきたのか。・・ああ寝具一式と一緒に明日にでも私の家に運んで欲しい。・・そうだ2時頃でいい。ところで設置もお願いできるかね?・・そう部屋は一応空けてあるんだが・・いやもともと使用人用に使われていたらしい、小さな部屋だよ。あ、それから扉につけるネームプレートも用意しておいて欲しい。小さなもので良いが真鍮で。そこにタイムズローマンでD、O、G、H、O、U、S、Eと刻んでおいてくれ。・・間違い無いそのスペルで。それをその部屋の扉に付けてくれ。・・?いや冗談を言ってるわけじゃ無いよ。私はいたって真面目だ。・・ああでは明日2時に頼むよ。」
電話を終えた黒髪の大佐は、そっと笑みを浮かべて手にとった書類にサインをした。


無理矢理ですが終わらせました。大佐も結構ぐるぐるしてます。問題の部屋をハボックが使うのは何時の日でしょうか?そして宴会費用は幾らになったんでしょうか?

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