警戒態勢中でも通常業務はある程度はある。1日中走り廻った2人を待っていたのは机に貯まった書類の山と戦果を期待する司令部の住人達だった。ハボックはそれに首を振って答え、自分のデスクに腰をかけると忘れていた疲労が肩にどかっりとのしかかってくる。それをはらうように運動不足気味な肩を廻すとゴキと隣のフュリーが目を剥く程派手な音がした。
「おいハボ、俺ちょっと行くトコできたからこの書類お前のと一緒に後でマスタング中佐に提出しといてくれ。ホークアイ少尉に聞いたら中佐今出かけてるらしい。1時間ぐらいしたら戻るってよ。」
「おい!行くトコって書類ほったらかしにして何処行くんだよ。ブレダ」
「もう殆ど終ってるさ。んじゃ頼む。」
厚さ1cm程の紙の束を無造作に投げ出すとブレダは何か言いたげなハボックをおいてさっさと大部屋を出ていってしまった。
なんか嫌いなニンジン食べる子供みたいな顔してたな、ハボの奴。マスタング中佐の名が出た時微妙に変化した友人の表情を彼は見逃さなかった。あれ以来ハボックはロイ・マスタング中佐にどこかよそよそしい態度をとっている。それは中佐の方も同じようでそれまでのふざけた掛け合いも見られなくなった二人の間にはある種の緊張感が漂っている様だ。
犯人取り逃がしたって中佐に叱責されたらしいけどそこで凹むような柔な奴じゃ無いはずなんだがなー。あれじゃ御主人様に叱られて悄気た犬だぜ。
「うげ!」
うっかり自分の大嫌いな犬を思い浮かべてブレダは思わず声をあげる。あーやだやだなんで犬なんか想像しちまうんだか。まぁ確かにあいつは犬っぽい・・・いや止めよう。ともかくこの考えがあたりならきっと何か手掛かりが掴めるに違い無いんだ。脳裏に浮かんだ金色の犬の妄想を振り払うように足早にブレダ准尉は廊下を歩いて行った。


周囲の闇は深く重い。ねっとりと質量さえ感じられるそれに囲まれながら,ああいつもの夢だとどこか他人事の様にロイは思った。空間そのものに押さえ付けられた様に体は動かず真綿の様に締め付けられた喉は入る空気は一呼吸ごとに細まるばかり。これは夢だ。目が覚めれば消える。ほんの少し我慢すればすぐに消える。自由のきかない体とは逆に覚めた意識の中でロイは呟く。何度も見たお決まりの悪夢だ、何でもない。強がるロイをあざ笑うかの様にソレはやってくる。
動かない体に纏わり付く誰かの手、肌を滑る温い感触、聞こえない耳に響く忍び笑い。あの夜の続きの様な暗い悪夢。
目を覚ませ、早く、指一本でいい動け、
叫びを上げようとした口を何かが塞ぐ。
誰か、誰でもいいから、この夢を止めて、
弛緩した体に打ち込まれる楔は夢なのに熱い。
助けて。

『目覚まして下さい!マスタング中佐!』
パシンと軽い音と共に頬に熱い感触が戻る。突然の光に霞む視界に映るのはイシュヴァールの青空・・と見まごう蒼い瞳、いつもは眠そうなソレを見開いた金髪の部下・・ジャン・ハボックの顔だった。
「ハッ・・」
「落ち着いてゆっくり息を吐いて・・吸って・・そうもう一回あわてないで。」
名を呼ぼうとしてして息を詰まらせたロイを落ち着かせるように大きな手が背中を撫でながらゆっくりと呼吸を促す。そのリズムに合わせて呼吸すると乱れていた鼓動もシンクロするように落ち着いていくのが解り、
「落ち着きましたか?」
と、どこから持ってきた冷たい濡れタオルを差し出しながら心配そうに尋ねる部下にようやく
「ああもう大丈夫だ。手間を掛けたなハボック。」
笑って答える事ができた。ひんやり冷たいタオルで顔を拭うと、べとついた汗の感触は消え胸に残る重苦しさも一緒に拭い去られる。最後にもう一度顔全体を拭くと白いタオルに紅い筋が残り、ようやく自分が苦しさのあまり唇を噛み切っていた事に気が付いた。
「・・・私は何か言ってたか?ハボック。」
夢の内容を思い出して探るような視線を向けるロイに何を察したのか返す言葉ははっきりしていた。
「いえ全然。よくお休みのようだったからホントは書類おいて帰ろうと思ったんスよ。あ、ちゃんとノックはしましたよ。でもそのままじゃ風邪ひくと思ってそこの毛布掛けようとしたら・・眉間に縦皺寄せて、蒼い顔してたから・・こりゃ夢に魂捕られてるンじゃないかと思ったんです。」
「夢に魂を捕られる?」
聞き慣れない言葉に怪訝な顔をすると、ハボックは垂れ目を和ませながら説明を始めた。
「あ、すんません。俺の田舎の言い方ですね、これ。田舎じゃあ悪い夢に魘されるのを夢に魂を捕られるって言うんです。正確には夢魔ってやつですか。ガキの頃よく姉貴に脅されたモンです。夢魔ってのは形は無いけど
人の夢に入り込む。そして魂を盗もうとするんです。悪夢はその時夢魔が見せるものなんだそうで、そいつに負けると魂を捕られちまう、ってね。だから夜更かしせずに早く寝ろって言うんだけどそんな事言われたら却って眠れたもんじゃないスね。まぁ田舎の迷信てやつですよ。」
「まぁそうかもな・・それならハボックお前の故郷では夢魔をどうやって退ける?どうやったら悪夢を見ないですむ?」
軽い戯れ言を言ってるようで、しかし問う声には悪夢に苛まれ続けた人の持つ真剣さがある。それはハボックにヒューズの言ったあいつは夜の眠りが十分じゃないという言葉を思い出させた。この人は今まで1人で耐えていたのだろうか、夜毎やってくる夢魔の誘いに。
「・・そんなの簡単ですよ。失礼、中佐。」
長身の体をすこし屈めて傍らに立った男はそっと黒髪に手をあて、自分の胸に引き寄せる。するとロイの耳に青い軍服の生地を通して低く遠く、しかし確かなリズムを刻むハボックの鼓動が聞こえてきた。
「心臓の音が聞こえるでしょう?夢魔はこの音が嫌いなんだって姉貴は言ってました。だからどっかへ行っちまって2度と来ない、そして朝の光に消えてしまうって。」
「確かに心臓の音は胎児だった頃の記憶を呼び戻すと言うからな・・」
羊水の中の安らかな眠り、不安も恐怖もその存在さえ知らなかった頃の安らぎに満ちた記憶。
「あーそうなんスか?俺はてっきり田舎の迷信て思ってましたよ。」
あんまり役に立ちませんねと姿勢を元に戻そうとするとロイの手が軍服の前をぎゅっと掴んでその動作を止めた。
「中佐?」
「上官命令だ、准尉。動くな。もう少しこの音聞かせろ。」
口様は偉そうにしてるが内容は魘された子供と変らない。命令どおりに不動の姿勢を保ちながら、ハボックは一たんは外した手を悩んだ挙げ句もう一度そっと胸元の頭にのせた。指先に触れるつややかな黒髪の感触は田舎で飼っていた猫を(トラジマだが)思い起こさせる。あの猫もたまにひょいと膝に乗ったかと思うとあっという間に眠ってしまい、クッション替わりの自分は足の感覚が無くなるまで動けなかった。ただ御褒美として(?)気紛れなその猫は頭を撫でる事を許してはくれたが。
撫でてもいいんだろうかこの場合、見下ろす上官の頭は小作りでハボックの大きな手にぴったりはまりそうだ。胸に耳をあてて鼓動を聞いている姿はとても上官には見えなくて結局ハボックはそっと黒髪に手を滑らす。ずっと昔魘された自分に姉がしてくれた様に優しく、静かに。> ・・・・もしかして本当に寝てる?やがて聞こえてきたのは微かな寝息。それでもハボックの軍服をつかんだ手は離れない。この態勢では寝顔は見えないが規則正しく続く寝息は安らかそうでどうしたって起こす気にはなれずハボックは上体屈めた不自然な体勢のまま固まってしまった。
ホントに猫だ・・。それなら今はこの眠りを守ろう。こんなにも痛んでいる人がせめて一時の安らぎを得られるように。

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