晩秋の夜の空気は乾いて冷たく、何時の間にか葉の落ちた街路樹の姿は冬の到来が近い事をロイに告げる。
うー寒い。何時の間にかすっかり冬じゃないか。仕事にかまけてまるで意識してなかったな。
深夜の住宅街に響く足音だけを供に足早に歩くロイは思わずコートの襟を立てた。安全対策とは言え1区画前で車を降りたのは間違いだったと後悔しつつ、歩く足を速める。例え誰も居ない家でも少なくとも暖かいベッドが待ってると思えば愛しい我が家のはずだ。
・・・廊下の電球は切れるし、食料は殆ど無いし、ベッドは中々暖まらないけどな。
自嘲気味に現状を分析すれば、うんざりする事ばかり思い付く。なんでこんなにマイナスに思考が片寄って行くのかといえば要するに
「ヒューズが悪い。」
勝手に押し掛けて勝手に騒ぎを大きくして挙げ句勝手に帰るなんて。おまけにいらん事聞いて人の事を動揺させて。
あいつは昔からそうだった。涼しい顔して自分のペースに巻き込んで平気でその手を離すんだ。離された方の気持ちも考えず。なのに何故あんな事を聞いてくる。
『お前、ハボック少尉のことどう思ってるわけ?』
「判るか、そんなの。」
頭はいまいちだが気がつくし、腕は良い。口は悪いが忠誠心は本物の部下をどう思うって?私に判るわけ無いだろう、ヒューズ。いれば便利だ、あれこれ世話を焼いてくれるのは助かるし、正直嬉しい。下らないやり取りもあいつとならば楽しいさ、そんな位置に立った人間は今まで居なかった。だからどう思うって言われても。
「私には判らないんだよ、ヒューズ。」
だから犬だと思う事にした。犬ならじゃれついてきても構わないし、御主人様の命令には絶対だから安心して我侭言える。犬だから−傍にいて欲しいなんて戯けたこと思っても許されるだろう?あいつだってそのつもりで従ってるんだ。じゃ無ければ誰が休みの日を犠牲にしてまで上司の世話なんて焼くもんか。無理難題を言い付けても垂れた目をしょぼりとさせながら結局やり遂げる。仕方ないですね目を垂れさせてとへらりと笑う顔はどう見ても怒ってるようにも、自分に媚びてるようにも見えなくて。
「そんなんだから私に付け込まれるんだ、馬鹿犬。」
お前は自分が従っている上司がどんなに我侭で自分勝手な人間だか知らないんだ。与えられる好意は利用して手の内に入った者は貪欲に離そうとしないくせに自分を偽る憶病者。
歩みを止めた後ろからびゅうと冷たい風が吹き抜けて地面に散った落ち葉を再び虚空へ舞い上げる。つられて顔を上げたロイの黒い瞳に映った月は白く細い鎌の形に輝き、その鋭い切っ先に斬り付けられた様に胸が微かな痛みが走ったのは、親友に帰られたせいか金髪の部下が傍にいないからなのかその時のロイには判らなかった。
「くそ、何なんだ一体。」
この痛みは、もどかしさは。
コンッ。苛立ちから足下の小石を八つ当たりとばかりに軍靴で蹴り飛ばせばそれは綺麗な放物線を描いて飛び、そのまま勢いで転がって大きな石の門の前で止まる。その音に気がついたのか門の中からのっそりと黒い影が道に現れた。古い屋敷の大きな門の前、月光に淡く光る金色の髪の大柄な男。
「お帰りなさいー、マスタング大佐。」
「ハボック少尉・・?」
反射的に手袋を翳したロイを出迎えたのは緊張感のまるでない、部下の声だった。

「で、どういう事なんだね、少尉。予定では明日まできっちり訓練の筈だ。なんでそれがここに居る。まさかサボって逃げ出して来たんじゃあるまいな。」
深夜の道端で立ち話もなんだとロイは取りあえず何故か門前にいたハボックを家に招いた。見ればハボックは大きな軍用ザックを抱えていて彼が訓練先から直にここに来た事が判る。話の前に寒いからとお茶を煎れさせついでに暖炉に火も入れてようやく居心地良くなった客間でロイは徐に尋ねた。もっともまさかホントに逃げ出して来たとはロイも露程も思って無い。上官に恥をかかせる事は死んでもこいつはしないだろう。
「違いますよ!大佐−。なんか今日の午後になって偉いさんが視察に明日来るってことになったんスよ。で警備やらなんやらで俺達の面倒みてる暇は無いって事になって明日の訓練は中止。総括と反省会を今日の夜無理矢理やって取りあえずカリキュラムは消化したってことになったんです。もちろん今夜はダブリスに泊まって良かったんですけど何か慌ただしくってねぇ。へたすりゃ警備の手伝いとかさせられそうで、だからさっさと逃げてきたんスよ。」
それならなんでここに来たんだ?
「大佐にこれ渡しておこうと思って・・・」
よいせとくたびれてたザックから出したのは幾重にも紙で包まれ紐で括られた平たい包み。微かに黴臭い臭いがするそれはロイには見慣れた代物で。
「頼まれていた本です。いやーこんな高価なモン傷つけたらどうしようかと気ィ使いました。むき出しで持とうとしたら古本屋の親爺に怒鳴られましたよ。」
それはロイがハボックに受け取りを依頼した錬金術の古書だった。一度手に入れ損なったせいでむきになって捜してやっと見つけた稀覯本だが実を言えば今の今までキレイさっぱりその存在を忘れてた自分にロイは驚く。欲しい本は夢に見るくらいの書痴のはずなのに。
「駅についた時司令部に電話したんスよ。そしたら大佐は明日は非番だってフュリーが教えてくれて。そんなら今晩中に渡しておけば明日ゆっくり読めるでしょう?」
休みの日は一日中本読んでますもんねぇ。
ちょっと得意げに笑う様はボールを取ってくる犬にそっくりで。
なんて主人思いの良い犬なんだこいつは!
感激したロイが思わず頭を撫でてやろうと腰を上げた時、がさりと脇にあった何かが落ちた。分厚い書類袋−ホークアイから渡された仕事の残り、大した量では無いが休み明けコレを仕上げなければ確実に彼女の銃は火を吹く。それなのに家は荒れ放題、食料はない、おまけに待ち望んでいた本は手許にある。この八方塞がりの状況を打開して快適な休日を手に入れるためには−
「あー大佐?それじゃ俺帰りますんで・・・」
この大型犬が必要だ。
「待ち給え!少尉!。」
がしっつ。黙りこくったロイになんか不穏な気配を感じたのだろう、思わず逃げ腰になったハボックの腕をロイはがっちり掴んだ。
「な・何スか、大佐?もう遅いからお邪魔しちゃ悪いすよね。・・」
引きつった笑いを浮かべながら立ち上がろうとしてもがっちり掴まれた腕はびくともしない。そればかりか
「ハボック少尉、今日はこの家に泊まり給え!」
と真面目な顔して黒髪の上司は叫んだ。
「・・・・・はい?」
きょとんとする犬にこれこれしかじかと現状を説明すれば余計にわけ判らんという顔をするがおかまい無しにロイは畳み掛ける様に言い聞かせる。これはもう戦略的に押しの一手しかないだろう。「そういうわけで私はこれから残った仕事を片付ける。なーに2時間もあれば楽勝だ。少尉は今晩はここでゆっくり休み給え。浴室も勝手に使っていいからな。広いからいいだろううちの風呂は。それで明日は夜勤のシフトに入れるから10時ぐらいまで寝てるがいい。その代わり起きたら食料その他の買い出しと朝食の用意を頼む。私は昼まで休むから11時頃起こしてくれ。後は書斎に籠るからその間屋敷の点検をしてくれないか?あちこち不具合がでてきてるんだ。で早めの夕食をとって完成した書類を中尉に届けて欲しい。・・・悪い話じゃないだろう?」
一気に言い終えてロイはハボックの返事を待つ。普通に考えればハボックに利する事など何も無くいわゆるパワハラ並みの言い種だがこういう言い方しかロイは知らない。そしてともかくこの男を帰したくないと思うこの気持ちを他にどう言っていいかも判らない。だからいつもの様に我侭言って、ハボックを見詰めた。こうすればこの男はNOと言わないと知っている、確信犯だ。
案の定。
「・・・仕方ないっスね。そんかわりあんたの金で豪勢な食事作っちゃいますから、覚悟して下さいよ。」
垂れ目をしょぼつかせながら、銜えた煙草を尻尾みたいにげんなりと下げて、それでも笑いながら金髪の部下はYES,SIRと答えた。

最初に家に入った時から感じてはいた。どこか荒れたような疲れた気配を、乱雑に置かれた書物に、籠った空気に、そして夜道を歩いてくる人の青白い頬に。それを見た途端すぐにベッドに押し込めて休ませて栄養のあるもの食わせて家の空気をなんとかしなきゃと思ったのは条件反射か飼い犬の性かはわからない。ともかく差し出された提案は自分の望みと一致するから否やのはずもないけど、ちょっと悔しいから表面は仕方なさそうな顔して受け入れる。そうしたらその人はあからさまにほっとした顔をするからちょっと罪悪感を感じた。おまけにわざわざ俺用の部屋を用意してあるなんて言うから感激してその部屋に案内してもらえば扉には立派な真鍮のネームプレートまで付いていて
「D.O.G. H.O.U.S.E・・・」
出張の疲れが倍になって肩にのしかかってきやがった。ちくしょーさっきの感激を返せ。
「・・なんすかこのプレートは、大佐。」
「良いだろう?ちょっと狭いけど立派な部屋だ。お前が客間は嫌だって言うから特別に誂えたんだぞ。やはり犬は犬小屋にいないとな。」
「まぁそうですが、つーかここまでやりますか?普通。あんた本気で俺の事犬だと思ってます?」
「うん♪。」
29才の男がまるきり邪気のない笑顔でうんとか言うな。
「お前が言ったんじゃないか犬になるって、だから私もそのつもりで用意したんだ。ほら見てみろ中はちゃんとしてるだろう?」
開け放たれた扉の向こうはベッドとクローゼットがある小さな部屋。小さいながらも窓があり青いカーテンと青いベッドカバーで統一された部屋は確かに居心地は良さそうだった。そしてそれを披露する大佐の黒い瞳は期待に満ちてきらきらしている。本当に飼い犬が新しい部屋に馴れてくれるかどうか見守る子供の目線。それを壊すのはどうにもできなくて
「・・・良い部屋スね、大佐。」
情けない声で答えたらそうだろうと胸はって大佐は嬉しそうに笑った。

かりかりとペンの走る音が微かに響く深夜。ハボックの煎れたコーヒーでアルコールを飛ばしたロイは何時に無い早さで書類を片付けていく。明日やれば良いとハボックは言ったがいったん本にのめり込んだら全てを忘れるのは判っているからそうならないようにあの本はハボックに預けたままだ。今頃あの男はあの部屋で眠っているのだろうか、訓練は半端じゃないからきっと疲れてるに違い無いのに、わざわざ本を届けにきたお人好し。挙げ句に捕まって犬小屋に入れられても垂れた青い瞳を曇らすことなく笑いかけてくるから
「思わずかわいいなんて寒い事思っただろう、馬鹿犬。」
あのベットは寝心地良いだろうか、疲れた身体をちゃんと休めてくれるだろうか。灰皿代わりに置いた犬用餌皿には気が付いただろうか。

不在の犬は犬小屋に。

自分でも気付かないまま静かな笑みを浮かべてロイは最後の書類に自分の名を記した。




あーオチが無いですどこれで一応終わり!秋らしくしっとりした恋愛モノにしようとして見事に玉砕しました。
自分で書いててアレですがいい加減背中をど突きたくなるカップルです。

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