彼女の定位置

彼の背中から二歩半後ろ。それが彼女の定位置。

「君には私の背中を任せる」
そう言われた日の事をリザ・ホークアイは忘れた事はない。それは生涯の同志を得た日であり、ほんの少しだけ芽生えかけたある感情に終止符を打った日でもあったから。
「だからね、少尉」
無謀にも勝負を挑んできた金髪のすっかり酔いつぶれた寝顔にそっと囁く。
「あなたは私をうらやむ必要はないのよ、私の位置は恋人には勤まらないの」
背中を任せられるという事はいつでもその背を撃てるという事。その人が道を踏み外せば冷静に裁かなければならない。甘い感情も恋情もそこに入る隙はない─あってはならない。
「それを知ってるから大佐はあなたにこの役を任せないでしょう?羨ましいのは私の方かも」
それは過ぎたアルコールが言わせた告白だったかもしれない。酒場の喧噪にまぎれて誰の耳にも残らないと思って出た。
「だからこの位置だけはあなたに譲る訳にはいかないのよ」
そう言って彼女はグラスに残った琥珀の液体を思いきり良く飲み干した。

おかしいわね、こんな時思い出すなんて。
焔のおかげで狭い通路の温度はもう耐え難いほどになっている。着込んだ防弾チョッキの中はもう汗びっしょりだが脱ぐ訳にはいかない。それでもトリガーを握る手には汗一つかかないのは長年の経験の賜物だろうか。
硝煙とあの人間もどきの焼けた臭いが充満する中慎重に角を曲がる。遠くで何かが倒れるような音を聞いたがそれは無視だ。目指すのはあのエンヴィーとかいうホムンクルスただそれだけ。それも『彼』より早く見つけこの手で仕留めるのだそうでないと
「私は私の義務を果さなければならないのよ!」
復讐は認めてはならない、そう絶対に。そうでなければ憎しみに引き裂かれた人々は二度と手を取りあえず、報復は報復を呼び今度こそどちらかの民族がこの地上から消えるまで争いは続くだろう。そしてその争いに勝者はいないのだ。一つの民族を滅ぼした罪悪感に耐えられずいずれ自らも自滅の道を歩むだろうから。
「それを誰より判ってるはずでしょう!あなたは」
それなのに『彼』は復讐を選んだ。皆をこの手で守る事が望みだと静かに微笑んで言った人が今地獄の業火を手に獲物を追っている。
何とかしなければと焦る脳裏にふとあの垂れた青い瞳が浮かんだ。

「それじゃあ俺の定位置は大佐の背中から一歩半後ろですね」
アルコールの海から復帰した男は律儀に送迎を買ってでた。いいわと断わってもどうせ方向が同じっしょとへらりと笑ってついて来る所は確かに上司の言うように大型犬のよう。いささか残ったアルコールが作用してふさふさの尻尾まで見えくるからついじゃあお願いねと頼んだ。もうすぐ初夏の風が薫る穏やかな夜。おぼろな月の光と青葉の香りにお互い何となく無言で歩いてた時ぽつりと彼がそう言った。
「聞いていたの」
さては狸寝入りならぬ犬寝入りかと銃口を向ければぶんぶんと金の頭が慌て振られる。
「いっ、いやわざとじゃありません〜その、確かに半分は眠ってましたけど、なんか勝手に耳が拾っちまいまして。夢かと思ったけど妙にリアルな話だったから、そのつい憶えてしまったんです、すいません!」
「・・油断のならない犬耳ね」
ホルスターに銃を収めれば少尉はホッとした様に新しい煙草に火をつける。こっちも何となく恥ずかしくてそのまま無言で歩き出した。あんな愚痴紛いの事よりにもよってこの彼に聞かれるなんてホークアイ一生の不覚と思ったところで
「ついこの間でしたか。大佐俺等に聞いた事あったでしょう。もし何の罪も無い国民を殺せと自分が命令したらどうするかと」
その問いかけに足が止まる。
「あん時俺等即座に言いましたよね、大佐がそんな命令を出す訳がないって」
「そうね」
昼下がりの執務室、午睡から覚めた人は唐突にそう問いかけた。その横顔で彼がどんな夢を見ていたかすぐに判ったけれど
「俺あれからちょっと考えていたんですよ。何か気に掛かって。んで今日の中尉の独り言もなんかそこで引っ掛かったんス。つまりあれだ、大佐は中尉に昔言ったんですね。そういう命令を出すようなら撃ち殺せと」
それは盟約。血と硝煙をくぐり抜けた者同士にしか結べない絆。
「だから俺は中尉の一歩半前に立とうかな・・そう思ったんです」
「何故?私を止めるため?」
鋭い鷹の視線に垂れ目の男はにこりと笑って
「違います。目の前のあの黒い頭をぶん殴るためです。にあわねぇ事はよせって」
思っても見なかった答えを言った。そしてガリガリ頭をかいてぽつりぽつりと語り出す。

うーんと俺も色々考えたんですけどね、大佐が言った事。これから俺等が戦っていくうちにそう言わければならない時だって来るかもしれない。綺麗事じゃあの人の望む椅子は手に入らないだろうし、俺はとっくに自分の手を汚す覚悟はできてます。でも中尉の言うような状況になった時、大佐が外しちゃならない道を踏み外した時、俺は一体どうしたら良いんだろって。
彼等はただの部下と上司ではない関係だ。そこには愛情があるし執着もある。言いなりになって共に破滅へと突き進むか、私のように銃弾で止めるか選択は2つしか無いように思えたけど金髪の少尉の選んだ道は違った。

俺、ともかく止めてみようかと。ぶん殴るでも銃突き付けるでもいい。とにかく止まってもう一回考えっていうつもりです。俺の言う事なんざ聞く耳持たないかもしれない。問答無用で消し炭にされるかもしれない。でもちょっとは考えると思うんですよ。黒焦げになった俺の体踏みつぶしていく時。あの人は頭の良い人なんだからきっと別の道を見つけてくれる。・・って根本的解決にはなってませんね、コレ。結局考えるのあの人に押し付けちまうだけで。
すいません、俺頭悪くって。
ぺこりと下げられるひよひよの金髪頭。それを見ながら私はどうして彼がこの男を選んだか初めて理解できたような気がした。だから言った。
「判ったわ、ハボック少尉。それならあなたは私の一歩先に立ちなさい。私の銃弾があの背中に向けられる前に彼を止めて。あなたにできないなら多分誰にもできないでしょうから」
「・・1人はいたんスけどね」
アイ・サーと答えたあとでぽつりと彼は呟いたっけ。

「何の真似だ、中尉」
そう言った男は結局歩みを止めることなく彼女の前から去ろうとしていく。その頭に狙いをつけた銃口は揺るがないけどトリガーに掛かった指は石のように固まったまま。
そうして彼女の頭にはさっきから何度も同じ言葉がこだましていた。

「ハボック少尉─どうしてあなたがここにいないの。」


     

前に拍手に書いたものをアニメ記念に再アップ。

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