火蜥蜴は語る


私は今でも時々思い出す。私の主と初めて出会った日の事を。まだ幼かった彼が覚束ない足取りで私が収められている書棚の下に来た時まさか彼がその小さい手を私に伸ばすとは思わなかった。この家に来てから持ち主が私を手に取ったのはほんの数回。それ以後ずっとこの書棚の片隅で静かに微睡んでいたところを急に眩しい光の中に取り出され
「うわぁ、きれいだ」
感嘆の声と共にまだ柔らかい指が丁寧に私の背中を撫でて
「何だろうこれ・・蜥蜴?」
そう言った時の黒い瞳の輝きを私は今でもよく憶えている。もしも運命というものが存在するならばその瞬間こそが運命だったのだ。

その店の店内は薄暗かったがそれに文句をいう客はいない。わざと落とされた照明は商品を傷めないためのものだとここに来る者なら知っているからだ。ひやかしや間違って紛れ込んだ客はこの暗さと独特のカビ臭さにそそくさと立ち去る。もっとも本棚に囲まれた薄暗い店内は単なる飾りみたいなものだ。この店の真の顧客は壁一面の本に目もくれずまっすぐ店の奥に向かう。そここそがこのイーストシティで一番古い古書店の本当の売り場だった。
「これとこれ・・それにこっちのも貰おう。相変わらず品揃えは豊富だな、御亭主」
お得意さんの褒め言葉に丸眼鏡の老人はいやいやと白い頭を振った。
「この商売それが命ですから。欲しい本が無い所にお客様は来て下さいません。だから儂も日々努力してるだけです」
「努力でこんな希少本が手にはいるのかね」
以前セントラルで捜し回った貴重な錬金術の古書をこの老人がいとも簡単に探し出して以来焔の錬金術師はこの店を贔屓にしていて店主とも馴染みだ。老舗らしい誠実な人柄とこうして奥の部屋でふるまわれる紅茶の味の良さも贔屓にする理由の一つ。
「それなら大佐殿には特別にコツをお教えしましょう」
皺だらけの顔が意外に上手くウィンクする。頑固なだけでなくこんな軽いユーモアも客に好かれる理由だろう。
「一つには商売仲間との日頃のおつき合いが重要です。こういう品は普通の店では扱えません。ですから大抵は儂みたいな所に回して来る。儂も専門外のものは他所に回す。そのために仲間内の付き合いはおろそかにはできません。先に御注文の本を見つけたのも儂の友人でした」
若い頃には錬金術師を志したという老人はある程度の知識は持っている。いつの間にか錬金術専門の古書店を営むようになったのも元々は自分の蔵書を整理するためだった。
「もう一つは新聞を必ず3紙は取る事。そうして死亡欄を隅から隅までじっくり読む事です。何故だかお判りですか?」
「・・故人の蔵書が目当てという訳ですか」
「そうです。資産家や知識階級の人間が亡くなれば大抵後には蔵書の山が残されます。宝石類や絵画なら遺族も注意を払いますが本には普通あまり興味を持たない。埃だらけの汚い本の山の中に宝物が眠っているとは思わんでしょう。そこをまぁ狙う訳です。いってみれば禿鷹に等しい行為ですな」
温厚そうな紳士の顔に商売人の笑み。
「でも言い訳かも知れませんがその方が本にとっては良い事だと儂は思っているのです。ただの形見として書棚に
収められたまま顧みられる事も無く朽ちていくより望む者の手に渡ってその知識を誰かに伝えられた方が
本としての務めを全うできる。書き手の意志を伝える事、それこそが書物の存在理由だと儂は思っておるのですよ、大佐殿」
だけど商売だけではなく根底にあるのは本への愛だ。同じように本を偏愛する黒髪の大佐も主の言葉に深く頷いた。



「風と水・・これは水銀?」
小さな手がページをめくる。あれから主は片時も私を手放さず何処に行くにも持ち歩いた。おかげで私は暗い書斎から明るい日の光の下に連れ出されるようになったが別にそれはどうでもいい事。大事なのは私に書かれた知識を誰かが読んでくれる事だ。それこそが私が生まれた理由で暗い書棚の中で長い間私はずっとそれを待ち望んでいたのだ。
「火と地の結合は硫黄。この4つの元素が合成されたものこそ調和の象徴となる賢者の石となる・・」
子供特有の少し甲高い声が難解な文章を音に変える。心地よい音楽のようなそれを聞くのが私はとても好きだった。

向いの店は帽子屋らしい。ショーウィンドーに飾られた色とりどりのそれをもう何回数えた事だろう。座り込んだ石畳の固さと冷たさもいい加減感じなくなる程でため息吐きながら金髪の男は新しい煙草のパッケージの封を切った。
「約束の時間をもう2時間近く過ぎてるよー。このままじゃ俺石になりそうだぜ」
悪いハボック、ちょっとあそこの店に寄って行きたいんだ。そう1時間ばかり。
そう言われた時いやーな予感はしたのだ。長い付き合いでロイが無類の本好き、活字中毒であるのをハボックは良く知っている。ほっておけば1日何も食べないで読書に没頭し夕方訪れたハボックの目の前でひっくり返った事だって何度もある。そんなロイにとって本屋は天国みたいなものなのでこの展開は十分予想できたのだが
じゃあ俺は夕食の食材仕入れてきますから。1時間したらこの店に迎えに行きます。
いくら何でも恋人の存在までは忘れまい。多少オーバーするだろうが約束は守るだろうと思ったハボックはまだまだ甘かった。
最初は店の外で、それから様子を見に店内に入れば彼の人の姿はない。さては行き違ったと焦った時店の奥から聞こえたのはロイの声。
「『第五元素』に『大いなる術への解釈』、よく手に入ったものだ!」
そっと店の奥を覗き込めば興奮を抑えきれないような珍しいその様子、黒い瞳はそれこそ子供のように輝いてそれを邪魔するなんてハボックにはとてもできなかった。
「て、ゆーより俺が声かけたって返事もしないよ、アレは」
敗北を悟った男は無言で店を出た。それからずっと主人の帰りを待つ犬よろしく高そうな画集が飾られたショーウィンドーの前でひたすら灰の山を築くしかない。向いの帽子屋の前にはさっきから大きな茶色の犬がやはり同じように店に入ったきりの御主人を待っているのか所在なげにうずくまっていて
「お互い苦労するよなぁ、難儀な御主人様持つと」
同情の視線を向ければお前さんはまだまだ修行が足りんよとばかりに相手は大きな欠伸を一つすると目を閉じて眠ってしまった。


私はいつも主と共にいた。長い年月その居場所は随分変ったけれど常に彼は私を手放さず何度もページを繰り、時にペンで何かを書き込んだりした。正直そうされるのはあんまり良い気持ちではなかったけれど自分の背負う知識がそうやって主の手で広がっていくと思えば気にもならない。主はやがて私の仲間達を随分沢山増やしていったが私を手放す事はなかった。
だけどもう長い事主は私を暗い書棚の奥にしまったままだ。時の流れを測る術など持たない私だがかなりの時間が経っているのは判る。時折─ほんの時々私を手に取る事はあるがページをめくる事なくただ私の背をなぞるだけでまたすぐしまわれてしまう。
「・・約束は必ず果すよ、リザ」
ため息と共に呟かれた言葉の意味を私は知らない。

鬱々とした微睡みの中彼と共に過ごした時間が途切れ途切れに現れては消える。

1冊の本をめぐって語られる捏造過去話。ホークアイ師匠との出合いとかエドワード
達の事とかを書いていきたいです。それにハボとの関係とかね。

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