「お忙しい所時間を割いて下さってありがとうございます、マスタング大佐」
商売道具の大きな革の鞄を抱えた古書店の主はロイの姿を見るなり立ち上がって挨拶してくる。その畏まっ態度にロイはちょっと違和感憶えた。確かに彼はいつも礼儀正しいがロイが焔の錬金術師と知っても必要以上に畏まるような事はせず普通の客として接していたのだ。イーストシティでそれは滅多にない事。
「こちらこそお約束したのにお待たせしてしまって申し訳ない。軍議が予定通り終わらなくてね」
「こうやってお仕事の場へ、しかも軍の司令部などに押し掛けるのは私の信条に反する事です。まずその事をお詫び申し上げます、大佐殿」
まず。その言葉にロイは微かに眉を顰めた。この実直な古本屋が自分に謝罪する事など思いも付かなかったから。
「どうか頭を上げて下さい。御主人。電話を受けた時夜は時間が取れないから来いと言ったのは私です。貴方が謝罪する必要はありません」
穏やかに言えば灰色の頭はゆっくりと上がった。そうして
「・・今日こちらに伺ったのは長年お捜しだった注文の古書が見つかった事をお知らせするためです」
やっと訪問の意図が明かされる。だが困難な注文を果したはずなのにレンズの奥の青灰色の瞳には喜びの色は見えない。無言で先を促すロイに
「しかし売り主の意向で大佐殿にこの本をお売りする事はできないのです。─売り主は軍人特に国家錬金術師には決して我が家の蔵書は渡せないと仰ってまして・・・」
一気にそこまで言うと老人は深い深いため息を吐いた。

見つけたきっかけはやはり新聞の死亡記事だったと眼鏡を拭いた老人はゆっくりと話しだす。
「死亡欄の中に何回か取り引きのあった方の名を見つけたんです。お名前は明かせませんが退官した大学の教授だった方です。専門は文学でしたが独学で錬金術を学んでおられました。もちろん趣味の範囲で術師を名乗る程の腕ではないと生前仰ってました」
買い手だった人物が売り手になるのは骨董や古書の世界では珍しいことではない。特に悪徳な業者は生前高値で売り付けた品物を半分以下の値で引き取ろうと画策するのだ。品物の状態が良くないとか市場が変ったとか理由をつけて。
もちろんこの老人にそんなつもりは微塵もない。でも出入りしてたからこそその家の蔵書の価値を誰よりも知っていた訳で。
「まぁ生前にも死んだら蔵書の整理はうちに任すと教授も言っておられたんです。それで数日経って御悔やみを言いに行ったら奥方の方からお願いしますと言われました」
小柄な未亡人はイーストシティの家を畳んでニューオプティンの娘の家に身を寄せる予定だと言った。だからいらない家財は全て処分するつもりだと。
「それで儂は蔵書の整理にかかりました。さすがに量が多く数日通いましたが最後の日になってこれを見つけたのです」
鞄から取り出されたのは1冊の古ぼけた本だ。革の表紙はすっかり色褪せてあちこち傷や剥がれた所もある。金箔で描かれた書名も著者名もすっかり剥がれて殆ど読む事もできないが薄ら残った火蜥蜴の紋様をロイが見間違うはずはない。
「・・御注文の本はこれに間違いございませんかマスタング大佐」
消え去った名前を惜しむように白い指が微かに残った線をなぞりそうしてロイはゆっくりと頷いた。

「もちろんその夫人には軍に対して反感などありません。しかしながら御子息がイシュヴァールへ出兵、戦死なさいまして御夫妻は悲しみに暮れました。特に父親の嘆きは深く趣味であった錬金術は一切手を触れなくなりました。そうして遺言にこう記したのです。国家錬金術師には我が蔵書を譲る事はまかりならんと」
「そうですか」
誠実な店主があえて口にしなかった事情もロイには容易に想像できる。きっと彼等の息子はイシュヴァール人ではなくアメストリス軍の攻撃に巻き込まれて戦死したのだろう。それも国家錬金術師の手によって。それが作戦ミスか何かは判らないが軍は決して認めないし公式の記録にも残らない。だが人の口に戸は立てられない。どんなに隠蔽しても不都合な真実は密かに人々の間に根をはって姿を現わす。恐らく息子の戦死した状況を必死に調べた揚げ句父親は事実を知ったのだろう。それでも力ない市民は軍に何も言えず無言の抗議を残すしかできなかった。
「もちろん代理人を立ててその人が買ったと夫人に報告する事もできます。あくまでこれは故人の意志で夫人の意志ではありませんから・・」
しかしそれは騙すのと同じ事だ。顧客に対して誠実な対応を信念とする主人はやりたくない事。だがロイもまた付き合いの長い大事な顧客だ。知らせない訳にはいかないと商売人のモラルと情の板挟みになった男は困り果てたように目を伏せた
「・・もしこの本を私が買い取らない場合どうなりますか?あなたの店に置くか術師の顧客に見せますか?」
「正直申しましてこの本の商品的価値は低いと思います。状態はよくないし筆者もまるで知られてない術者です。どうもこの本は自費出版されたものらしい。内容もかなり片寄っています。大佐殿の注文がなければ私は買い取らないでしょう。そうして残った本は夫人が形見として引き取ると仰ってます」
そうなれば本は多分2度と人目につく事なくニューオプティンの家で朽ち果てるだろう。その道何十年目利きの言葉に嘘はない。そう考えてロイは1つ頷くと
「そういう事情なら私が夫人に無理強いする権利はない。また誠実なあなたに偽りの取り引きを頼む事もしたくない。どうぞこの本は夫人にお返し下さい」
穏やかな笑顔で一度は手にした本を相手に差し出す。
「そう言っていただけると誠に助かります、マスタング大佐。同じ本が他にないか引き続き捜しますので」
恐縮した店主は何度も頭を下げながらその本を受け取った。

「失礼しまーっす、大佐、お捜しの資料持って来ました」
「・・ノックと同時に扉を開けるなと何度言ったら理解してくれるのかね、少尉」
頼まれていた資料を抱えてハボックが執務室に入った時黒髪の上官は真面目に書類と格闘中だった。いつもの小言も無視して机の上をすっかり被った白い紙を避けるようにファイルの束を置いたハボックは
「あれお客さん帰ったんスか?あの古本屋の主人だったけど注文してた本見つからなかったんスか?」
何となく不機嫌そうなロイの表情に何気なく問う。と
「何でその事知ってる」
返ったのは思ってもみなかった険しい声。
「え?いや、ほらこの間あの爺さんの店で待ち合わせしたじゃないスか。そん時お捜しの本とか言ってたの俺つい聞いてたんです。だからてっきりその本が見つかって爺さん届けに来たとばかり思って・・」
その尖った表情にハボックは慌てて説明する。書類仕事に疲れて苛ついてるのとは明らかに違うその顔。触れてはいけない何かに触れた事を忠犬は悟ったが
「だから俺心配してたんスよ?もしそうなら絶対大佐は仕事おっぽりだして本に夢中になるだろうしそうするとホークアイ中尉の銃が火を吹くのは見えてますからね。とばっちりはごめんですよ」
素知らぬ振りしておどければロイもなんだと強ばった頬をとく。
「皆にとってはありがたい事にその心配は杞憂だよ、少尉。私にとっては残念だが主人が持って来た本は私が捜していた本とは違うものだったのさ」
「そーすか。そりゃ残念でしたね。でも今日はこれ以上遊んでる暇はないッス。サクサク進めないと今日も残業決定です」
「ふん、本気になった私の実力を知らんのかね、ハボック。これくらいの山3時間で消してみせるさ」
いつものように不敵に笑う上司に
「へいへい、その本気とやらを一生に一度は見てみたいものッスよ、じゃあ頑張ってくださいね」
視線を斜上に流しながら不敬な部下は気のないエールを送って執務室を去った。

・・・なんで嘘つくんだろ。
・・・どうして嘘をついてしまったんだろう。
閉じた扉の中と外で同じつぶやきが洩れた事をもちろん2人は知らなかった。

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