「おい、君、しっかりしろ!」
触れた身体に残る僅かな温もりに驚いて手首を探れば微かに脈がある。咄嗟に床に流れた血だまりに指を突っ込むと傷口を囲むように円と幾つかの記号を描いてそこにロイは手を乗せた。
「くそ、医療系は苦手なんだ。正直上手くいくか判らんが・・」
淡い錬成光と共に徐々に出血は止まってゆく。ひゅーひゅーと掠れたような細い息がようやく口から洩れはじめるがが苦しげに閉じられた瞳に開く気配はない。
「しっかりしろ!君がハイドリッヒ・ランゲか?誰にやられた、一体何が起きたんだ!」
それでも意識は自分の名を呼ぶ声に気が付いたのだろう。苦しい息の中の間に途切れ途切れの言葉が漏れる。
「あ・・あいつらが・・奪いに・・僕の」
血にまみれた指が何かを掴もうとするようにもがく。その手の中に小さな紙の切れ端が残っているのに気が付いたロイがそれに手を伸ばしたところで
「両手を上げて立て!」
鋭い声と乱暴な足音がロイの背後から突然襲って来た。咄嗟に振り向こうとする衝動を抑えて横目で窓ガラスに写った影を見ればそれはお馴染みの黒い制服に銃を構えた男2人の姿。
・・ちっ、油断した。
馴れない治療行為に神経はすっかり持ってかれドアを開ける気配にも気付かなかった自分にロイは舌打ちしてのろのろと武器が無い事を示すように掌を彼等に向けて手をあげる。こんな状況で見つけた男に憲兵が好意を持つはずはなく下手な動きは洒落にならない事態を招きかねないが
「よーしゆっくり手を上げたままこちらを向け。下らん事は考えるなよ、俺達は憲兵隊だ」
面倒な。いっそ仲間のテロリストの方がましだったな。
床に膝を着いたままロイは小さく毒づく。この体勢なら黒いコートが青の軍服を隠して同じ軍人だとすぐは判らない。だが立ち上がり彼等の方に顔を向ければ多分一瞬でロイの身分もばれるだろう。東部のそれもイーストシティに近いニュ−オプティンの兵士なら新聞などでイシュヴァ−ルの英雄の顔は見てるはず。
「おい、何をしている。早く言う通りにしろ!」
このまま振り向けば彼等はすぐに敬礼しロイを解放するだろう。だがいくら上手く言い包めても人の口に戸は立てられない。ましてここのハクロ准将はロイの足を引っ張る材料に目が無いのだから。
・・焔は使えない。1発で私とばれる。酸素濃度を調整して気絶させるにしたってあの御仁なら私の仕業と思い込みかねん。
「貴様、耳が聞こえないのか!それとも武器でも隠し持ってるのか?さっさと立ち上がれ!」
威嚇するように銃の安全装置が外される音が響く。無視を決め込む不審人物にいい加減彼等の我慢も限界に近い。このままでは無理矢理押さえ込まれるのも時間の問題だ。
仕方ない、後でアリバイ工作するとして今は眠ってもらおうか。
彼等の視界から隠した手袋の紅い紋章にロイは意識を集中する。その時
パリン。
微かな音共に天井から吊るされた裸電球が砕け次の瞬間濃い闇がその空間を包み
「わっ」
「ぎゃっ」
小さな叫びと革袋を叩くような音が響いて
「こっち!」
闇に馴れないロイの腕を誰かが力任せに引いた。それに抵抗しようと足を蹴り上げても相手はそれをするりとかわす。その瞬間ロイの鼻は馴染みのある苦い香りを嗅ぎ付けた。
黒い戦闘服に黒いマスク、暗がりの中でも判る氷の蒼。それがロイを見つめて
「俺です」
一言囁くと守るように肩を抱いて外に誘う。床に伸びた憲兵を跨いで外に出たところで
「走って下さい!」
響く呼び子とサイレンの音に追われるように2人は闇に向かって走り出した。

「火と地の結合は・・硫黄。この4つの元素が・・合成されたものこそ調和の象徴となる賢者の石となる・・」
いつもならよどみのないその声がその日は違った。まるで初めて読んだ日のようにつっかえつっかえ読む声はかすれ、時に震える。病気だろうか?正直私にはそのくらいしか想像できない。いつも彼を世話している男はどうしたんだと思っていたところにふいに─ぽつりと雫がページに落ちる。それはいくつも落ちて紙に染みを作るのに主は何故か拭こうともしない。これまで汚れ1つ付けないよう大事にされてきた私は主の態度に困惑するばかりだったが
「お支度を坊っちゃま、墓地にいく時間です」
その声にページは濡れたまま乱暴に閉じられた。ああこれは染みになるなと思った時ぎゅっと主は私を抱き締めて─それこそこの世に縋るのは私だけだと言うくらい真剣に─そうして私を置いて声のする方に行ってしまった。
一体主に何が起きた?残された私はそれ以上何も出来ずただ狼狽える事しかできなかった。
あの時の染みは今もページに微かに残っている。主はもう憶えて無いかも知れないが私は忘れない。抱き締められたあの時の主の声にならない慟哭も。

「あんまり部下を甘く見ない方が良いっスよ、大佐」
皮肉気に言って、銜えた煙草を器用に上下させながらハボックはミネラルウォーターの瓶を渡す。
「肝に命じておくよ、ハボック少尉。これからはデートを口実に使うのはよそう」
荒い息をおさめようとロイは一気にそれを飲み干した。そうしてやっと人心地がついたと辺りを見回して
「ところでここはどこかね、ハボック」
何か言いたそうな部下の気勢を削ぐように取りあえず一番気になった事を口にした。今2人がいるのはどこかの倉庫のような部屋だ。裸電球の淡い光の下幾つもの木箱に段ボール箱、缶詰めに瓶が見えるが正直ロイにはここが何処だかまるで判らない。あの時暗闇を切り取ったように現れた黒ずくめの男─ハボックに腕を引かれ闇雲にあの家から飛び出した。しかし追っ手のサイレンに暗い街路、ニューオプティンの地理に詳しくないロイ1人だったら逃げ切れたかどうか。
だが先導する男は違った。すぐに大通りから狭い脇道に逃げ込み殆ど街灯も無い裏道もまるで猫のように迷うこともなく走り抜けそうしてどこかの裏庭のような所からこの小屋にロイを導いたのだ。その手際の良さにロイも驚きを隠せない。
「正直私には今自分が何処にいるかも判らんよ。お前がこれ程土地勘があるとは思わなかった・・礼を言う、ハボ。お前のおかげで助かった」
素直に頭を下げれば何故か相手は狼狽えて何度も意味も無く白い煙を立て続けに吐き出して
「いや、その、あのね大佐、あんたを守るのは俺の仕事だから・・だからその謝る必要なんか無いっスよ。第一しおらしい大佐なんからしくないと言うか、無気味・・イテッ」
「感謝の気持ちは素直に受け取らんか、駄犬」
腹に打ち込んだ拳を収めながらロイが憮然として言えばそうッスねとハボックは笑う。ようやくいつもの空気が戻ったところでハボックは木箱の1つに腰をかけると新しい煙草に火を付ける。そして
「ここはニューオプティンのハーバー街206、リンデンという酒場の裏手にある倉庫です・・お忘れですか?
俺はこの街の仕官学校を出たんスよ」
と種明かしをした。

勝手に昔の話とリンクさせてすいません。一体何人の人が憶えているやら・・。

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