「お前に出会ったのは私の運命だったのかもな」
昔主は私にそう呟いた事がある。その時の私は何の事だか判らなかったけれど今なら主の言おうとした事が判るような気がする。私は本だ。この身に蓄えた知識を誰かに伝えるために存在する。主は私に書かれた全てを幾度となく読み返しどんな些細な言葉も調べ理解した。ここまで私を理解した者が他にいるだろうか?彼こそ私にとって唯一の主なのだ。運命とはそれに出会えた幸運のことだと私は思っている。

「・・・何から話せばいいのか」
お互いのグラスに琥珀の液体を注いだ後しばらくそこを沈黙が支配した。それからロイはぽつりとそう呟いて揺れる液面に目を落とす。
「あの・・言いたくないなら無理に言わなくても良いです。別にその、俺、怒ってるとかそういう訳じゃないし」
沈黙をためらいと感じたのかハボックはそう言えば
「全くお前は甘いよ、ハボ」
と笑う顔にさっきまでの緊張は無い。どこか吹っ切れた表情がそこにはあってからんとグラスを回す気障な仕種もいつもと同じだ。
「これはお前のためだけじゃないんだ。私も自分の気持ちを整理したいのでね。長い話になると思うが嫌で無ければつき合ってくれ、ジャン」
意味深な笑みと共にそう言われればハボックは頷くしかない。手にした本の金の紋様をなぞりながらロイは静かに語り始めた。

イーストシティから遠く南部との国境近くにある地方領主が治める村があった。もちろんアメストリス国内だがこういう田舎では古くからそこに勢力を持つ一族が地主として行政の代行を請け負う事も珍しくない。
その家も古くからそこに栄えた一族の末裔でそこに1人の娘が居た。
「それが私の母だ。村の名前は勘弁してくれ。もうすっかり縁は切れているのでね」
さらりとそんな事言われてもハボックには何と返していいか判るわけもない。
年を経てから得た1人娘は病弱だった。家族の誰もが彼女を慈しんだが成人まで生きられないという医師の宣告は暗い影を一家に投げかけた。だが娘は自分の不幸な運命を嘆く事無く日々を笑顔で過ごした。
「このあたりは執事から聞いた話だから本当の事は良く判らないが閉じこもってばかりも良く無いだろうとある日彼女は父親に連れられて近くの保養所に行く事になった。だがその途中で発作が起き彼女の命さえ危うくなったんだ。偶々そこを旅の錬金術師が通りがかり彼女を救ったんだ・・それが父だ」
錬金術師の中には術の研鑽と知識の探究のため家を離れ放浪する人々もいる。娘を救ったのもそんな術師の1人で幸いな事に医療系の錬金術師だった。取りあえず発作を治め屋敷に連れ帰った後も男は治療に専念し結果娘は死のあぎとから辛くも逃れる事ができた。その時の父親の喜びはどれ程だっただろう。長年主治医だった医師も今度ばかりはダメだと首を横に振ったのに旅の男のおかげで娘は助かったのだから。
「領主はその場で彼を娘の婿に決めてしまったんだ。彼女の意識も戻らない内にね。確かに旅の術師にとっては破格の待遇だけど当の彼女がどう思ったかは誰にも判らない」
最初は術師の方もためらいはあったらしい。だが裕福なパトロンはありがたいし病弱な娘はまだまだ彼の手を必要としていた。娘も熱心に治療してくれる男に好意を抱き父親の申し出を素直に受け入れた。夫婦は広大な敷地の一角に小さな館を貰いそこでままごとのような暮しを始めた。
「そうして私が生まれた訳だ」
淡々と語る横顔には何の感情も伺えない。自分の両親の事なのにどこか他人事のように話すロイの様子にハボックは微かな疑問を感じた。この人にとって『家族』とは一体何だろうかと。
「私の出産は体の弱い母にとって自殺行為に等しかった。周囲の誰もが止めたけれど大人しいはずの母は頑として聞き入れなかったそうだ。執事はそれを父への愛情の証と言っていたが今考えると自分を顧みない夫への意地のような気がする」
錬金術師の夫は病弱な妻の体を何とか治そうと日夜研究に励んだ。豊富な資金を費やして高価な文献を買い漁り希少な薬物も遠くから取り寄せて書斎に籠る事がほとんどだったが妻のためと言えば誰も文句は言えない。当の本人でさえ。
守られていたばかりの子供から1人前の女性として自分の家庭を築こうと夢見ていた妻にとってそれは大きな矛盾を抱え込む事になってしまったのだ。
「出産に父はもちろん反対した。母の体を誰より良く知っているのは彼なのだから。だけど母は最高の錬金術師が付いているから大丈夫と無邪気に笑って自分の意志を通したそうだ」
もしかしたらそれは賭けだったのかもしれない。夫が錬金術より妻として自分を大事にするなら何としても止めるだろう。けれどもし自分を術の素材としてみていたら?出産は何より術の結果を示す証となるから多少のリスクは仕方ないと目をつぶるだろう。儚い微笑みの奥にそんな葛藤が渦巻いていたと誰が思うだろうか。
「結果から言えば私が生まれて1年は母は生きた。もっとも殆ど寝たきりで2度とベッドから離れる事も無く蝋燭の火が消えるように静かに逝ったらしい。父の必死の治療もそれが限界だったんだ」
生まれた子供はその間乳母と女中の手で育てられた。母親の温もりも殆ど知らずその子はすくすくと育ったが父親は息子を顧みる事は殆どなかったのだ。妻を失ってから男は書斎の外に出る事は無く世話は執事に任せたままだった。しかし見かねた親族(領主はすでに死亡しその弟が家督を継いでいた)が子供を引き取ろうとすると断固としてそれは拒否した。息子は私の研究の成果なんだからと。
「業だな。錬金術師の。自分の術で病弱だった娘が子供を産める程回復した。子供はその証だと思いたかったんだろう。だから手放したくなかったんだ」
「自分の息子を手放したがる父親はいませんよ、大佐」
それまで黙っていた男がそこで突然口を挟んだ。
「そうして母親なら我が身と引き換えにしても子供を産みたいと思ったって全然不思議じゃ無い。それに奥さんを失った悲しみが大き過ぎて子供を見るのが辛くなる父親だって世間には良くある話です。今の話実際に誰かから聞いた訳じゃ無いッスよね?その・・事情を聞いたばかりの俺が言うのもなんですが大佐のは考え過ぎなんじゃ・・」
黒い瞳に無言で見つめられて語尾はだんだん小さくなる。生意気に知ったような口をきくなと咎められるかと小さくなった男の髪をロイはくしゃりと撫でた。
「確かに全ては私の想像に過ぎないな。母が何を思って私を産んだのか、父が幼い私をどう思っていたのか。今となっては答えを知る事はできない。でもそうだなお前のような考え方もあったんだな」
その言葉にハボックの胸がずきりと痛んだ。今まで誰もロイに言わなかったのだろうか。御両親は貴方の事を愛していましたよと。彼を育てた乳母も執事も親族さえもが─黙りこくったハボをどう思ったのかロイは手を離して続きを始める
「話がそれたが私はそのまま執事達に育てられた。不思議と父の書斎がお気に入りでいつもそこに居たよ。静かにしてれば父も無理に追い出さなかったし、壁一面の書棚に収められた本は玩具より私を引き付けた。まだ字も読めない内から勝手に本を取り出して一日中見てる子供だったんだ。そうしてある日伸ばした手がこの本を掴んだ」
どんな運命がそう仕組んだのか。小さな手が無意識に伸ばした先にその本はあった。ほんの少しの力でそれは子供の手の中に落ち革表紙に描かれた金の火蜥蜴の紋章が黒い瞳に写る。
「綺麗だと思った。今はもう擦れて殆ど見えないが繊細な金箔で描かれた錬成陣が日の光にキラキラと輝いて火蜥蜴がまるで生きてるように見えた・・一目で心を奪われたよ」
愛おしげに擦れた紋様を白い指がたどる。その表情にハボックの胸はさっきとは違う理由で軋んだ。

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