「これが最後の1冊なら封印でもなんでもすれば良い。鉄の箱にでも入れて何処かに隠しておけば問題はないでしょう?」
本を受け取ったロイにハボックはもう一度言ってみたが黒い頭は静かに横に振られた。
「いやハボ。それではこの本は存在しないのと同じだ」
愛おしむように表紙の火蜥蜴を撫でロイはページをめくる。そこここに書き込まれたメモをロイは全て憶えていたその時何を思ってその書き込みをしたのかまで。
「本は人に知識を伝えてこそ意味がある。ここに書かれていた知識は全て私の中にあり、本当なら私はこれを他の誰かに渡すべきだった・・だがそれはもうできない。ならば私にできる事は1つだけだよ─火蜥蜴は焔に帰してやる事だ」
黒い瞳にはさっきまでなかった悲しみの色がある。それでも揺るぎない声にハボックはただ頷くだけだった。

時刻は深夜を過ぎて空気はしんと冷たい。月もない夜空には星が見えるがそれさえも凍った氷の欠片がちりばめられたように感じられるほど大気は静寂に満ちている。
「今度同じ本を見つけたらこうしなければならないと思っていた」
せめて感謝を込めて送りたい。そう言ってロイは火蜥蜴の本を庭に運んだ。確かに暖炉で薪と一緒に燃やしてしまうのはこの本に相応しい送り方ではないだろう。従者のようにハボックはただロイの後ろに控えてその背中を見守る。
「君に会わなければ今の私はなかった。それなのに私のせいで君に書かれた知識は未来に繋ぐできなくなってしまった。本当にすまない」
それは追悼と懺悔の言葉だった。まるで戦友を送るようにきちんと軍服を着た軍人が2人深夜の庭に佇む姿は奇妙な儀式のように見えるだろう。
「火蜥蜴、サラマンダーは空気を操りその力を我々に示す・・焔の錬金術の源はこの言葉だった。それは決して忘れない」
白い手袋をはめた手が前にのびる。ぱちんと1回だけ指が鳴った。同じ火蜥蜴の描かれた手袋の指先からチチッと小さな火花が走る。そうして
ぼっと地面に置かれた本の真ん中─円を描く錬成陣の真ん中から焔が上がる。小さな焔はそれ自体が意志を持った生き物のように陣の上をなぞりそこに完全な焔の錬成陣が一瞬だが浮かび上がりそして
ボンッ
と次の瞬間革表紙の本は焔の固まりとなった。空気を調整してるのかそれ以上は大きくなる事無く小さな火球となったその中で見る間に本はその形を失って行く。
綺麗だなと唐突にハボックはそれを見て思った。
イシュヴァ−ルでレンベックの村で見たのと同じ焔の球体と比べ物にならない程ささやかなそれでもその美しさは変らない。破壊と死しかもたらさない焔がなんでこれほど心を動かすのだろうとそれまで何度となく思ったが
ああ─そうか
ふいに答えが浮かび上がる。
大佐の焔には灼かれる者を悼む気持ちが籠っているのかもしれない。例え敵でも例え物でも失われたら2度と元に戻らないと本当は知っていたんだ。・・それなのに何だってこの人は自分の心には無関心なんだよ!
ぎゅっと握った手にハボックは力を込めた。そうしなければ沸き上がった衝動のまま目の前の人を抱き締めてしまいそうだったから。
焔の中にはもう本の形はない。それにつれて火の固まりも徐々に小さくなる。最初バレーボールぐらいっだったそれは今はもう掌に乗るぐらいの大きさになっていた。あと少しでそれも消えてしまうだろう。その時
「あ?」
ざざっと急に一陣の風が吹き渡りその焔を揺らす。冷たいナイフのような風は焔の固まりを幾つもの破片に切り分け闇の中にまるで蝶のように紅い切片が舞った。
その一つがまるで羽根を休めるようにかざされた白い手袋の上に落ちる。
「あぶな・・」
「いい」
咄嗟に腕を引いて避けようさせようとしたハボックの腕をロイはぱしりと左手で止めた。多分熱いだろうにロイは手を動かさず手袋の上に落ちた焔の切片はゆらりとそこで一度大きく揺らめいて─そして消えた。まるで描かれた錬成陣の中に溶け込むように。
「あの・・大佐。今のは」
「風で火が飛び散っただけだよ、ハボック。幸い皆すぐに消えたようだから火事の心配はなさそうだがね」
答える声はいつもの傲慢大佐だ。だけど固まったようにその背中はハボックの方を見ない。
「だけど不思議だな。見ろ手袋は全然焦げてないんだ・・」
かざされた白い手袋の表面には確かに一点の焦げ跡すらない。そこにあるのは紅い火蜥蜴の錬成陣だけだ。
「・・・あんたに別れの挨拶をしたんですよ。本の火蜥蜴が。じゃなきゃその錬成陣に宿ったのかもしれない」
立ちすくむ体をハボックはようやく抱き締める。冷たい空気と喪失の悲しみに凍える体を温めようとぎゅっと力を込めれば
「非科学的で子供じみた空想だな、ハボック」
全く可愛げなのない答えが返る。だけど言葉とは裏腹にほっと強ばった体から力が抜けた。
「良いでしょうが、非科学的でも。きっと本の火蜥蜴はこれからもあんたと一緒のはず・・そう思うのはいけませんか」
「守護神みたいなものか?ロマンチストだなお前も」
「ええ、俺と一緒です。ずっとあんたを守る」
とんと黒い頭がハボックの肩に寄り掛かる。そのまま顔をハボックのほうに向ければじっと見つめる青い瞳と目があった。
「ずっと?一生?」
「ええ。ずっと」
誓いの言葉はこれまで何度も言ってきた。だけど時折確かめるようにロイはそれを要求する。だからハボックは何度でも同じ言葉を捧げるのだ。この傷つき易いのに鈍感で強いのに不安定な人が少しでも安らげるように。
「そうか」
ハボックを見上げる黒い瞳には涙のあとはない。それでもいつもより憂いを含んだそれに魅入られたように視線を合わせていると静かにその瞳が閉じた。そうして無理な体勢のまま薄い唇が少しだけハボックの方に近づく。
「ん・・」
躊躇わずにハボックは夜気で冷えたそれに自分の唇を重ねる。軽く触れるだけだったそれが不満なのかぐいとロイの腕がハボックの頭を掴んで自分の方に引き寄せてた。開かれた唇から中に侵入したハボックがその熱さに思わず目を開くとそこにはさっきまでない熱をはらんだ黒い瞳が間近にあった。
「ロイ・・」
潤んだ瞳が何を欲しているかに気付いて擦れた声が初めてその名を呼ぶ。微かに頷いた白い顔にハボックはもう一度唇を寄せて抱き締める腕に力を込めた。ぴたりと重なりあった互いの体に宿る熱に酔ったように2人は動かずその姿は夜の闇に溶け込んでいった。


主の焔が何故私を灼くのか正直私はよく判らなかった。だが私の知識は全て主に渡っていたのだ。はっきりそう言った主に私は深い満足感を覚える。このまま朽ちていくのが定めだと思っていた私を主は自分の手で焔に帰すと言ってくれたのだ。その言葉に私の魂─本である私にそんな物があるとすれば─は喜びに震える。
身を灼く焔の中で消えて行く自分を感じながら私は最後に願った。創造主にあるいは何か別のこの世の理に

─願わくばこの身が焔の中に消え去っても私は主を見守りたい。伝説の火蜥蜴のように

「火蜥蜴は語る」完結です。長いお話におつき合いくださりありがとうございました。ロイが自分の過去をハボックに話す話─始まりはそれだけだったのにここまで長くなったのは多分テーマに『本』を持ち込んだせいでしょう。おかげで脱線するわいろんなキャラを欲張ってだすわでなんと1年かかってしましました・・。オリキャラといっていい火蜥蜴に感情移入して最後をどうするか悩んだのも一因ではあります。どうにかして燃やすの回避しようとしたのですがロイにとってはそこは譲れない一線だろうと思いこういう形の最後としました。あとはその2人の関係がここでターニングポイントを迎えるって事を書きたかった訳ですが一応これ全年齢向けなので詳しい描写は省かせていただきました。次は短編でこの後日談を書いてみるつもりです。

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