がちゃん。何気ない一言なのに重ねられた食器が不自然な音をたて、カップを片手にした男は興味深げにそれを見つめる。
「研究は全て暗号で書かれている。それをきちんと順番通りに整理するにはそれが読めなくてはならない・・錬金術を全く知らない人間には無理な話だ」
そうだろう?と問う黒い瞳に返ったのはにこやかな笑み。
「ええ。前にお話ししましたが私の家は代々マクガリティ家の執事を努めております。ですので私も幼いうちから先代執事である父を手伝いながら仕事を学びました。旦那様はそんな私に優しくしてくれて研究の合間などに色々な事を教えてくれたのです。例えば錬金術の初歩などを。おかげで旦那様の暗号なら多少のことは判ります。旦那様は必ずページの右端に数字を表わす記号を書き入れますのでその順番に並べれば良いと言う訳です」
それが何かと笑顔で返す相手にロイは黙ってカップを差し出した。
「気分転換にすこし辺りを散歩なさってはいかがです?まだ日は落ちておりませんから山に入っても安全です」
「と、言う事は夜は安全でないと?」
「多少は。この館から奥は村人も滅多に立ち入る事はございません。何故なら山犬や時折りは熊が現れる事があるからです、が館の門はしっかり閉じられるので御心配には及びません」
「判った、うっかり夜の散歩なんかしないようにしよう。それと夕食もここに運んでくれ。そうだな8時でいい」
だから下がっていいと言い付けて、資料に戻ったロイに執事は一礼すると何も言わずに部屋を出る。横目でそれを見送るロイの瞳にはどこか不穏な色があった。この屋敷の何かがロイの神経をささくれさせる。それが何かは判らないけど─ため息を吐いてロイは記号と文字の迷宮に戻った。

残された研究ファイルの背表紙にはそれぞれ黒、白、黄、赤のラインが描かれていた。それは錬金術の四つの過程を表わす色と同じ─つまりそれがドクターマクガリティの研究の過程を表わしている。同じ術師であるロイもすぐその比喩に気付いて迷わず黒のラインが入ったものから手にとった。そうして日付けが変る頃ようやくロイは黄色のラインがはいったファイルを手に取った。パラパラページをとめくれば今まで見慣れていた流れるような文字はそこには無い。あるのは歪み、擦れたラインの羅列。
書き手の感情そのままに書かれた文章はロイにあの時見た光景を思い出させる。床に無造作に投げ出された物言わぬ体と床一面の錬成陣そして中央に立っていたのは白衣の紳士。

すっかり日課になったヒューズへの見舞いの帰り、ロイはドクターマクガリティを訪ねて彼のオフィスへと向かった。親友の怪我は順調に回復しているが顔色が今一つ冴えないのが気にかかったからだ。
「ちょっと傷が痛むだけだ。後2、3日でもとの兵舎に戻れるさ、大した事じゃ無い」
スクェアグラスの奥の目には薄ら隈ができている。眠れないのかと問えば薬を貰ってるから大丈夫だと笑う顔も心無しかやつれていた。
「失礼します、ドクター・・」
返事の無いドアを開ければ室内には誰もいない。何気なく視線を走らせた先、壁のボードには幾つかの予定が書き込まれている。─午後から地下第3室で作業。
留守なら仕方ないとも思ったが明日には出撃の予定がある。手短かにでも話ができたらとロイはそれまで降りた事のない地下へと足を向けた。
 3とマジックで書かれたドアをノックして名と来訪の意を告げると僅かな沈黙の後「入りたまえ」と入室の許可が降りる。ドアを開けるとそこは予想外に広かった。天井は低くもとは倉庫などに使われていたのだろうその部屋の中央に立っていたのは白衣の人物。入って来たロイに背を向けたまま屈んで足下に置かれた何かを動かしていた。
「そこで待っていてくれたまえ、マスタング大佐」
よしと一つ頷いて立ち上がった彼の足下に横たわる物体の色は褐色。回りを囲むように描かれた紋様のラインは深い赤で空気に混じった微かに鉄錆の匂いにようやくロイは中央に横たわる物の正体に気がついた。まるで子供が壊した人形のように幾つもの断片に分かれて置かれたそれはイシュヴァ−ル人の遺体だったのだ。しかも良く見ればそれは1人の人間のものでは無い。左右の腕の長さは違うし足の片方はなんと白い肌をしている。戦場で死体を見慣れていたロイにとってもそれは異様な光景でただそのままそこに立ちすくむしか出来ない。
「私の研究に興味を持ってくれて嬉しいよ、マスタング大佐。よく見ておきたまえ、これが私の研究成果だ」
白衣の紳士は言うなり床に手を付いた。赤いラインに沿って光が走り窓の無い地下室に空気の渦が生まれ中心へと向かって風が流れる。机の上にあった紙が巻き上げられ光は脈動する様に明滅し、その強さに思わずロイは目を閉じた。その途端何もかもがいっせいに止まった。部屋を吹き荒れた空気の渦も生き物のように脈動する光も一瞬で消えかさりと宙に舞った紙が床に落ちる。
「こちらに来てごらん」
声に誘われるままふらりと足が前に出る。僅かに耳鳴りが残るままロイは中央に横たわる物の傍に来た。そこにいたのは1人のイシュヴァ−ル人だ。幾つもの肉塊だったそれが1つになって傷1つないまっさらな身体となって横たわっている。しかも頬には血の気があり、
「触ってみたまえ」
促されるままロイが触れた腕には温もりがあった。驚いて目を凝らしてみれば微かに裸の胸は上下している。
「生きている・・?」
さっきまでバラバラだった死体が?
「死体ではないよ。あれらは皆そこで保存されていた「生きた体」だ。全く別のそれらを分解し新たな肉体として再構成する。それが私の術だ」
説明をロイは聞いていない。彼の目はドクターが示したもの─壁際に並ぶ幾つもの大きなガラス瓶だ。キメラか何かの標本かと思っていたそれは人間の腕や足などだった。殆どが褐色の肌をしているが中には白い物もありそれらは瓶に満たされた黄金色の液体の中でゆっくりと浮き沈みを繰り返している。その魚を思わせる物体が時折ピクリと動くのに気付いてロイは思わず口に手をあてた。それがどうやって集められたかなんて考えるまでもない。
「マテリア─材料だ。生きたそれを材料とすることでより正確な人体を作りあげる事が可能となる。ここにあるのは普通の健康な肉体なのだ─ただ魂がないだけの」
声に反応したのかぱちりと赤い瞳が開く。だがそこには何の感情も意志も無い。ただ虚ろなガラスの球体が空を見つめているだけだ。
「魂が無い?では「彼」は生きてないと?」
「生物学的には生きているよ。自力で呼吸もするし動く事もできる・・ただいくら待っても意志が宿る事は無い。文字どおり「生きた器」でしかないのだ。これに魂を宿らせる事ができれば完璧なのだが」
「しかしドクター、これは『禁忌』でしょう!」
『人を作るベからず』は国家錬金術師最大のタブーだ。だが目の前の光景はそれを嘲笑う。そして白衣の男も笑う、歪んだ笑みで。
「誰が私にこれを許可したと思う?確かに研究の申請をしたのは私だがこの施設を整え権限を与えてくれたのはキング・ブラッドレィその人だよ!『禁忌』など軍の方便にすぎない」
「しかし、こんな非道な実験は・・」
「息子のためだ!日に日に体が麻痺していく病気のあの子を救うには新しい体を造ってそこに魂を移すしか生き延びる術は無い。そのために私はどんな惨い事でもする。何と誹られようと構わない」
訴える声には狂気に近い熱情がある。彼の行動を非道と弾劾するのは簡単だがロイには何も言えなかった。
息子のために罪のない人間を犠牲にするのと、国家の命令で一民族を根絶やしにしようとする自分と一体どちらが罪深いのだろう。

暗い文章続きます、すいません。でも明るいイシュヴァ−ルというのも無理だ・・。もしロイ・マスタングがイシュヴァ−ルを経験してなかったら?彼は一体どういう人間になっていただろうかと想像したりします。

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