「・・ヒューズ大尉の経過が思わしくないように見えます。何か問題でもあるのでしょうか、ドクター」
沈黙の後ロイの口からでたのそれだけだ。今のロイにはこれ以上ドクターマクガリティの研究に言うべき言葉が無かった─というより言いたくなかったのだ。親友の怪我は気になるし明日には出撃がある。軍が認めた研究に自分がこれ以上何を言っても無駄なのは経験上知っている。目の前の光景から目を逸らす以外何ができる─そうロイは自分に言い聞かせるしか出来ない。そんなロイの気持ちを察したのだろう、医師は横たわる肉体を白いシーツで被い隅のテーブルへロイを促す。
「身体の傷は問題ない。あと数日で軍務に復帰できるだろう。ただ爆発時のショックが一種のPTSDとなって彼の精神を苛んでいるんだ。あの事件で現場にいた人間のうち生き残ったのは彼1人、それだけ激しい爆発を目の当たりにしたんだ、無理も無いだろう。医師として後方に送り療養させるべきだと彼の上官に言ってはみたのだがね」
肩を竦める仕種で結果は判る。動ける優秀な兵士を後方に下がらせるほどの余裕は今のアメストリス軍には無い。
「私にできるのは眠れない彼のために睡眠薬を処方する事だけだ。でも安心したまえ、マスタング少佐。ヒューズ大尉はの精神は強いよ、致命的なトラウマにはならないだろう。そうでなければ『操魂の錬金術師』の力を借りなければならない」
「操魂の錬金術師?」
聞き馴れない銘にロイは眉を顰めた。もっともここは最前線の拠点だ。国家錬金術師は数多くいる。
「私と組んで研究をしてる術師だよ。人嫌いで滅多に外に出ては来ないが優秀な人物だ。彼の研究は魂の錬成で最終的には他者の魂を別の者に定着させること、つまりアレを『人間』にすることなんだ」
ちらりと視線を送った先には物言わぬ物体。
「彼の手にかかれば記憶の部分的な削除も可能だ。爆発のショックなどきれいに消せる。そういう「治療」を受けた兵士もいるんだよ」
そんな事まで研究されていると知ってすっと背筋に冷たいものが走る。それはつまり記憶の操作も可能という事でその技術が単なる「治療」に使われるだけだと信じる程ロイも甘くは無い。軍は肉体だけでなく魂の禁忌も破ろうとしているのだ。
「・・・判りました。お仕事の邪魔をして申し訳ありません、ドクター。どうかヒューズ大尉の事よろしくお願いします」
軽く会釈してロイはその部屋を出る。テントに戻るつもりの足はしかし2階へと続く階段へ向かっていた。
「ヒューズ・・」
夜眠れないからだろう。ベッドに横たわる親友はロイが傍に来ても気付かず眠っている。スクェアグラスにはいったヒビはまだそのままでロイはそっと起こさなようにそれを外す。そしてベッドサイドの机にコップの水で円の紋様を描くと眼鏡を中心に置いて手をかざす。一瞬の光の後には瑕1つない新品の眼鏡がそこにあった。
「皆をこの手で守る事ができれば・・か。今の私にできるのはお前の眼鏡をなおす事ぐらいだな」
かつて語った青い理想。そこから今はなんて遠くに来てしまったのだろう。足下にぽっかり口を開けたこの戦争の闇の深さを知ったロイは目眩を起こした様に傍らにあった椅子に座り込む。
「なぁ、ヒューズ。この戦争は・・いやこの国は一体何処に向かっているんだろう」
眠る親友は答えない。そのまま祈るように組んだ手に額を乗せて焔の錬金術師は彫像のように動かなかった。

深夜になっても書斎の灯はそのままだ。憑かれた様に資料を読み進むロイの耳には闇を越えて響く獣の遠吠えも届く事は無い。書斎から洩れる光を見つめる執事の顔には妙に老成した笑みが浮かんでいた。

「あー報告書終わりましたよ、ヒューズ中佐。これで帰してくれるんでしょうねー」
ばさりと報告書を投げ出して金髪の少尉は胸ポケットに手を伸ばす。とその鼻先をひゅんと鋭い光が掠め壁にはらりと金の髪が2、3本散った。
「俺のオフィスは禁煙だ。わんこ。小さいエリシアちゃんにニコチンの臭い嗅がすつもりかお前」
「アイ・サ−・・」
凄みをきかせるオリーブグリーンの瞳にハボックはさっさと白旗を揚げた。ここでもめるのは戦略上得策で無い事は万年赤点だったハボックにも判る。なにせ彼の研修はいつの間にか偶然捕らえたテロリストの捜査に変ってしまったのだ、軍法会議所所属マ−ス・ヒューズ中佐の一言で。
「テロリスト捕まえたのはお前さんだもん。最後まで面倒見るのが筋ってもんだろう、なぁわんこ」
にっこり笑う顔にははっきりと
この忙しい時に余計な事しやがって。きっちりカタをつけるまで東部には帰さねえぞ。
と書いてある。それに一介の少尉が逆う術はない。おかげでテロリストの尋問、その背後関係の裏付けなどにセントラル中を走りまわされ、おまけに報告書の作成まで押し付けられたのだ。全部終わらなければ東部に帰さないとすごまれ宿舎に帰る余裕すら無かった程だ。
あーあ、こんな事なら手配中のテロリストなんかほっときゃ良かった。研修は半分ぐらいしか受けられなかったし俺、一体何しにセントラルに来たのよ。
「黄昏れてるならこの資料返しておけ。ついでに喫煙所に寄る事を許可してやる。俺はその間にこの報告書検討しておくから、問題なけりゃ無罪放免、御主人様の元に帰してやるよ、わんこ」
「へーい。んじゃお言葉に甘えて一服してきまっス。俺昼一の汽車で帰りたいンでよろしくお願いしますよ、ヒューズ中佐」
「誤字が一個も無かったらな」
「鬼ですかあんたは・・」
しおしおと猫背を丸めてハボックは部屋を出た。
昨晩泊まり込みで書いたらしい報告書はかなり悪筆だったけど要旨はしっかりまとまってこのまま使えそうだと雑な文字を読みながらヒューズは思う。
「やればできるんだがなぁ、あのわんこは」
本人は肉体派を自認してるし士官学校の成績は確かに悲惨だったけど鍛えればもっと伸びる男だと彼は思う。
「後は経験と・・指導する上官の技量だがロイにそれを望むのも難しいだろうなー。なんせあいつは放任主義だし、めんどいの苦手だし。でもんな暢気な事で良いのかね、鉄は熱い内に打った方が良いのに」
スペルミスをチェックしながらヒューズは苦笑する。なんだかんだ言って自分はあの金髪の若造が嫌いじゃないのだ。機会があれば育ててみるのも一興と思うくらいには。
でも
「ロイが手放す訳ないだろうし、わざわざあいつをできる男に仕立て上げるのもなぁ、敵に塩を送るとゆーか」
ジャン・ハボックがただの部下なら問題は無い、あんな判りやすい目でロイの事見てなければ。
ヒューズにはハボックがロイを想っているのも、ロイがハボックに惹かれているのも知っている。多分ロイ自身が自覚してない分本人よりずっとその心の動きには敏感だ。それだけ付き合いは長い。
「あいつは昔から自分の事に関しちゃ鈍感だったからな」
これでもし相手が女性だったら。気立てが良くて優しくて可愛い女性だったなら自分は鈍感な親友の背中を叩いてなんとか上手くいくよう知恵を絞り応援するだろう。
そしてベスト・マンとして立派な結婚式を執り行うのだ。そんな未来が来る事を願っていたのに現れたのは
「年下で、部下で、わんこでおまけに男ときた。素直に祝福する訳にはいかんだろ」
上を目指す親友にスキャンダルは御法度だ。特に軍部ではその手の話をタブー視する。裏をかえせばそれだけそういう事が多い訳だが、だからって認める訳にはいかない。
ロイの将来を思えばそれが一番良いはずだ。
─というのが立て前でしかないのはヒューズ自身が一番良く判っている。不都合な真実は彼の胸の奥深くに隠されたままだ。

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