「ホークアイ中尉ですか?ハボックです。マスタング大佐はもう司令部にお帰りになりましたか?」
電話の声はやや焦っているようだ。いつもより早口の会話に金髪の副官は眉を顰める。あのマイペースな男が焦る理由はたった1つしかない。
「いいえ、まだよ。予定では明日の朝の汽車で戻る事になっているわ」
「連絡あったんスか?大佐から直接?」
「ええ昨日連絡がありました。予定より滞在が1日延びると言っていたけどハボック少尉、一体何が言いたいの?大佐に何かあったの?」
意味ありげな言葉に氷の女王と冷静さをうたわれる女性の声も早口になる。彼女がこうなる理由もまた1つしかない。
「あーいえ、具体的には何もないンです。ただアームストロング少佐が・・そうあのでかくて暑苦しい人、彼がドクターマクガリティ、ええ大佐の訪問先です、そのドクターが生前いささか不審な行動をとったと教えてくれたのがちょっと引っ掛かって」
「不審?それどう言う事?それにドクターはもう亡くなっているわ、そうでしょう?」
生前どれだけおかしな行動をとろうと墓に入ってしまえば何もできないはずだ。だからハボックが不安を感じる事はない─はずだけど
「ええまぁそーなんスけどね。何か気になっちまって」
野生の勘か、恋するが故の過剰反応か日記の話を聞いてからハボックの首筋にはちりちりと僅かだが焦燥感が走る。このまま何もしなくて良いのかと何かが訴えてくるのだ。それを無視するなんて
「俺迎えに行っちゃいけませんか?レンベックまで」
忠犬の名に賭けてできそうもない。
「オレ今、セントラルの駅にいるんです。ええ研修は終わりました。時刻表調べたら10分後に出るニューオプテイン行きの急行に乗ってそこからヨ−マーク行きの夜行に乗り継げば明日の8時にはレンべックに着くんです。イーストシティからあそこに行くより早く行けるんです」
子供じゃあるまいし、いい大人、まして国軍大佐に迎えなんかいらない。冷静に判断すればハボックの言い分は思いきり私情が入ったものだと言えるだろう。この男と上司の間に漂う微妙を空気に鷹の目が見逃すはずもなく、とっくに気がついていたけど彼女は2人の問題と思い静観の立場をとっていた─若い男の想いがロイの邪魔にならない限りの話だが。
そうしてこの少尉の猟犬としての勘もまた無視できないのも確かで優秀な副官の判断も早い。
「わかりました。マスタング大佐にはこちらから連絡しておきます。何かあったらすぐにこちらへ連絡するように判ったわね、少尉」
「イエス、マム!」
言うなり電話を切った男はホームに向かって走って行く。発車のベルはとっくに鳴って蒸汽を吐き出した黒い車体がゆっくり動き出すのに飛び乗った男はやれやれとばかりにずーっと吸えなかった煙草に火を着けた。
「考え過ぎなら良いんだけど。なーんか胸騒ぎするんですよ、大佐。ヒューズ中佐には黙って出て来ちまったけど怒ってるかなぁ」
伝言はアームストロング少佐に頼んでおいたけれど詳しい説明無しに逃亡した犬をあの眼鏡の中佐はどう思う事だろう。
これで何も無かったら次に会った時ダガ−が何本飛んで来ることやら。
「まぁ大佐に何もないなら喜んで的になってやるさ」
だから無事でいて。

「2日間御苦労さまでした、マスタング大佐。あれだけの資料をたった2日で読み解くとはさすが国家錬金術師。泉下のドクターも良き後継者を得られたと喜んでおられる事でしょう」
夕食の時間、階下に降りて来たロイは数枚のメモを執事に渡した。そこには運び出すべきファイルのナンバーと書籍の名が記されていて、執事は彼の仕事が終わった事を知る。
「晩餐の支度は整っております。今日はゆっくり休んで下さい」
恭しく仕える態度はもうすっかり主人に対するものだ。ドクターの遺言をロイが断ると彼は思ってもみないのだろう。
だから
「明日の朝一番の汽車でイーストシティに戻る。遺言の管理をしている弁護士には私から断わりの意志を伝えるから事務所の連絡先を教えて欲しい」
ロイの言葉にブラウンの瞳が大きく見開かれる。遺言をロイが拒絶するなど彼には想像もできなかったに違い無い。
「・・ドクターの遺言を拒否するのですか、マスタング大佐。でも何故!貴方にとって何も不利な事は無いのですよ」
縋るような声にそれまで穏やかな執事の仮面が剥がれ落ちる。そこにはただの使用人の範疇を越えた執着が垣間見えた。
「軍人を辞める必要も無い。退役後でもかまわないのです。どうしてドクターの研究を完成してくれないのですか、シンの錬丹術と錬金術を融合させた画期的な研究なのに!」
「やはり君はドクターの研究内容を知っていたのだな」
必死に説得する男を遮ったのは静かな声。
「あの内容を理解してるという事は君も立派な錬金術師だ。どうして黙っていたんだ」
「それは関係ないからです。確かに私は長年ドクターの助手を努めてきました。当然知識もそこそこはあるでしょうし使える術も少しはある。でもそれが何です?私にあの研究を完成させる力は私には無いんです。それは私自身が一番良く知っている。大事なのはドクターの研究を完成させる事、そしてその望みを叶える事だ!」
「あの研究は封印する。セントラルにも報告しない」
揺るぎのない言葉が熱に浮かされたように説得する男を一瞬で凍らせた。氷のように固まった表情を写す黒い瞳にも何の感情も表わさない。
「内容を知ってるなら判るだろう。あの錬成陣を正しく発動させるには何が必要か。地力を高め荒野を緑に変えるのにどれだけのエネルギーが必要か。ましてそこに眠る人間まで蘇らせようというんだ、伝説の賢者の石がどれだけあったって不可能だろう。それをドクターは可能にしようとした。対価に何を差し出すつもりだったか君は知っていたのだろう?」
「アメストリスの国民全ての命とその地が持つエネルギーの全て」
あっさり答えた執事はそれがどうした言わんばかりにロイを見つめる。
「あれだけの錬成を行うにはそれぐらいの対価が必要なのは当たり前でしょう。等価交換の法則に則ればすぐに判る事だ。でも第一何故研究を封印するんです。素晴らしい術じゃないですか!」
「1つの国の人間全てを犠牲にしなければ発動しない術のどこが素晴らしい?それだけの犠牲があれば確かに何だって叶うだろうさ。まして軍部が自分達が滅ぼしたイシュヴァ−ルの民のためにそんな研究を続けると思うのかね」
口にはしないが研究を封印する理由はもう1つある。もしこの術が完成したら?アメストリスは強大な武器を手にすることになる。使いようによっては周辺地域を砂漠に変えて自分達の領土だけ豊かな土地に変えるのだって可能だ。軍に渡ればすぐあの隻眼の男はすぐにその可能性に気がつくだろう。これ以上あの男に力を与えるわけにはいかないし、ロイはそんな術を使いたくもない。ならばこれは封印するしかないのだ。永遠に。
「私は明日イーストシティに帰る。後は君の自由にすると良い。あの研究資料は封印しこの屋敷に残すが、君が続けるというなら好きにしなさい。私はまだ整理が残っているから書斎に戻る。食事はそっちに運んでおいてくれ」
この執事がどれだけ優秀でもたった1人で完成は不可能だ。実際に実現可能かどうかもロイには半信半疑なのだから。ただ可能性だけは無視できない。それが資料を読み解いたロイの判断だ。
がっくりとうなだれる執事にそれだけ言いおくとロイはまた書斎に戻ろうと背を向けた。階段の手すり手を掛けたところで背後から小さなため息が聞こえ
「全く残念だよ、マスタング大佐」
そこにはいないはずの声が聞こえた時突然周囲の壁が淡い光を放った。


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