「・・でねアームストロング少佐の話を聞いて何か胸騒ぎがしたんスよ」
手で木の枝を払い除けながら道とも言えないような斜面を昇って行くハボックの歩みは軽快でスピードがあった。背中に成人男子1名を背負っているとは思えない程。
「根拠も何もあったもんじゃ無いんですけどね。なーんか首筋の辺りがちりちりしたんで」
その首筋に頬を寄せて運ばれるロイ少しでも彼の負担を減らそうと思ってなけなしの力をはたいてハボックの背にしがみついていたけど多分背負った男には大した違いじゃないだろう。まるで普通の道を歩くみたいに岩だらけの場所をひょいひょい行く男に背負われたロイの心境は複雑だ。
全く、私を子供みたいに扱いやがって。これでも軍人の平均はキープしてるってのにこいつときたら。
日頃感じているハボックへの体格コンプレックスを刺激されたロイの顔はむくれた子供みたいだったが幸いハボックはそれを見れない。ともかく情報が必要だろうとこれまでの事をロイに説明しながら脇目もふらず先を急ぐだけだ。
「で迎えに行きたいってホークアイ中尉に我が儘言ったんです。それが良かった」
確かにお前の勘は最高だよ。
封じられたロイの声は戻らずこの状態では相槌打ってもハボックには見えない。だからロイにできるのは首に廻した腕にぎゅっと力を入れるだけだが、勘の良い男には何となく伝わるようでへへっと照れたような笑いが洩れる。
声の出ないロイを思ってかあれこれ話かけるのはありがたいが自分の意志が伝えられないのはもどかしい。
どうしてこんな事になったのか、何故自分は動けないのか、犯人はどんな人物か。伝えなければならない事は沢山ある。今の状況が決して楽観できるものではないって事も。
あの執事がこのまま黙って引き下がるなんて思えない。どんな手を使っても必ず目的を果たすはずだ。
穏やかな笑みの奥に潜んだ狂気は底がしれぬ程深い。自分の主人を蘇らせるためなら彼はどんな事でもするだろう。それが忠誠なのか尊敬なのかロイには想像もつかないけれど彼の執着の程は身に染みている。このまま逃げおおせてもどのみち誰かが─優秀な錬金術師が犠牲になるだけだ。
そうなる前に彼を捕らえなければ。そのためにはこの身体を何とかしなければならないのに。今のままでは錬金術も使えないただのお荷物だし必要な事も伝えられない。あの執事が錬金術師だって事、こいつは気が付いているだろうか?
ハボックの服装はいつもの黒いTシャツにスカートを外した突入スタイルだ。でも装備はハンドガン2丁に腰に差したナイフが数本、右手にはショットガン、脇に吊るしたベルトには棒型手榴弾1個─それが全てだ。
出張先のセントラルから直行したのだ。愛用の武器は持っている訳も無く多分田舎の憲兵隊から調達してきたのだろう。だけど街のテロリストとやり合うには十分でも錬金術師が相手ではお粗末としか言い様がなかった。
救いはハボックに土地勘がある事ぐらいか。執事もまさか我々が山越えして逃げたとは思うまい。しかし大した偶然だな、山を越えた向こうがハボックの実家だったなんて。
周囲はもう日が暮れ始め、薄闇が2人を包む。なのにハボックの歩みが変らないのは人並みはずれて夜目が効くせいと辺りの地形に詳しいからだろう。
「もしかしてあの執事は錬金術師ですか?普通の人間にあんたをそんな目に合わせられるはずはない」
勘の良い男の問いにロイがぎゅうと腕に力を入れると歩くスピードが僅かだが上がった。幸い今夜は満月で月明かりが彼等の行く手を照らすがそれに安心する訳にもいかない。もし追っ手がいるならそちらも有利になるからだ。
「そっすか。でもこのあたりは俺の庭ですから。もう少し行けば知り合いの家があるし、この山には熊みたいな危険な獣はいませんから大丈夫ですよ」
・・え?
ロイを安心させるために言った言葉が彼の脳裏にひっかかる。確かあの執事はこう言わなかったか?山には危険な獣がいると。それがロイの逃亡を防ぐ偽りだったとしても彼は確かに獣の遠吠えを聞いたのだ。深夜研究資料を読んでいた時に。
ざわり。背中に冷たいものが走る。ドクターマクガリティは生体系の錬金術師だった。あの執事も当然そうだろう。そしてその系統の術師達はたいてい1度はある分野に手を出すをロイは知っている。彼等は大抵誘惑に駆られるのだ、思い通りに異形の生き物を生み出したいと。
急げ!ハボック。
「大佐?」
声に出来ずにただ背中を叩くしかできないロイにハボックが振り向いた時だった。夜の静寂を貫いて飢えた獣の遠吠えが朗々と響き渡る。
「山犬か?でもこの辺りにはいないはずだけど・・」
いいから逃げろ!
ぎゅっと締まった首にこれがヤバい事だと悟ったのだろう。ぐんとギアチェンジしたようにスピードが上がりロイは慌てて舌を噛まないように口を閉じる。ロイの身体を支えていた手が片方外されホルスターの銃に手が延びたところでもう一度遠吠えが響いた。今度はもっと近くで。
「犬を使ってるのか?でもそんな気配あの屋敷には無かったのに」
きっと地下だ。あの家には研究の機材を置いた部屋がなかった。地下に実験用の部屋があったに違い無い。
「しっかり捕まって下さいよ、大佐!ちょいと無理をしますからね」
何を思ったか急にハボックは方向を変える。そのまま周囲の気配を探り、いきなり横に飛び出すと急な斜面を滑り落ちる勢いで下り始めた。小さな小枝がロイの顔や手にぱしぱしとあたるからぎゅっと目をつぶってただひたすら大きな背中にしがみつく。
今はハボックの判断に頼るしか無かった。一歩間違えば転落しそうな急斜面を男は強靱な足の力でスピードを殺しながら滑り降りる。これなら距離を稼げるし
「ようっし、到着!」
頑丈な軍靴が踏み締めたところから派手な水音がたつ。滑り降りた先は細い渓流でこれなら臭いも誤魔化せると思った男の判断は間違ってはいない。─追いかけて来るのがただの犬だったら。

「無駄ですよ、マスタング大佐!」
突然の声にバシャバシャと水音をたてて走っていた男の足はぴたりと止まり
「誰だ!」
声のする方に銃を無意識に向けようとしてふとその手が止まる。だって銃口はあり得ない方向に向こうとしたのだ。
「あなたは逃げる事なんかできません!」
「やかましい!」
2度目の声にハボックの銃口は迷わず火を吹いた。声のした方向─すなわち闇色の夜空に。
銃声と同時に甲高い悲鳴と紅い飛沫が頭上から飛び散り、巨大な黒い影がハボック目がけて襲いかかってくる。背後のロイを気遣いながらハボックは素早く身を伏せると銃口を月を背に襲いくる黒い物体に狙いを定めた。
銃声と銀の光が錯綜する。黒い影は一度は中空高く舞い上がったがそこでバランスを崩し大きな翼をばたつかせながら
数メートル先の河原に落下した。
「なんだぁ、こりゃ・・」
慎重に近寄ったハボックの視線の先には見た事も無い巨大な鳥。羽根を拡げたら2メートル以上はあるだろう翼の形や尖った鉤型の鋭い爪は凶暴な猛禽類そのものだが嘴は奇妙に三日月型で頭部のあたりの羽毛は不自然に鮮やかなブルー。
キメラだ、ハボック。
首を伸ばしてそれを見たロイがハボックの背に指でそう教える。確かにそれは小さな子供が描いた落書きのように鷲の身体にオウムの頭を付けたグロテスクな代物でしかもまだ息があった。

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