遠く数発の銃声が微かに岩穴の奥にいるロイの耳に届く。なんとか身を起こそうとさっきから足掻くが力の抜けた身体はまるで言う事を聞かず焦躁がじわじわとロイを蝕んだ。
ちくしょう、なんてざまだロイ・マスタング。部下に背負われて逃げたと思ったら、その部下の危機に何もできないなんて。
打たれた薬の効果なんかもうどこにもない。今のロイは憂愁に捕われることもなく戦う気満々なのだが。
この身体はどうにかならないか!このままじゃ錬金術も使えない。くそ一体どうやったら元に戻る?正直生体系は専門外だ。傷を塞ぐぐらいの事しかできないのに・・待てよ?
薬のせいで過去に囚われていた時の記憶が蘇る。
あの病室でドクターマクガリティは何をした?彼の使った錬成陣はどんなだった?身体の細胞を活性化させる・・あの時ドクターは確かにそう言った。なら今の状態はその逆という訳でそれを正常に戻すには・・
記憶の中にあった白い紙に描かれた錬成陣。それを思い出すことさえできれば、ハボックを助けに行く事ができる。
目を閉じてロイはその映像を心に描く。部下のファルマン程ではないがロイだって記憶力には自信がある。まして彼は同じ錬金術師だ。一度見た錬成陣は忘れない。その映像を鮮明にしようと意識を集中させた時だ。さっきの銃声とは比べ物にならない程大きな音がロイの耳に飛び込みせっかく浮かび始めた錬成陣の形が崩れる。だけどそんなの構ってはいられない。
何故ならその音は紛れも無く爆発音だ。火薬の。
ハボック!
遅れてきた振動に土の壁がパラパラと崩れた。遠く微かに響くのは幾つもの岩が崩れていくような低い音。思わず立ち上がろうとした身体は不様に前に倒れ、その痛みにロイは呻いた。それでも何とか肘を使って少しでも外の様子が判るように身体を起こす。
「あの爆発は・・手榴弾?」
確かにハボックがそれを装備していたのをロイは見ている。だけど問題はハボックがそれを使って何をしたか、そして彼は無事かという事だ。さっきから耳をすまして何とか外の音を拾おうとしても聞こえるのは微かな川の水音だけであとは虫の鳴声すらない夜の静寂があるばかり─だったのだが。
がさりと何かが草を踏む音がその時聞こえた。
ハボック?
そう呼び掛けようとしたロイは寸でのところでそれを思いとどまる。そうして代わりに地面に落とした銃を拾い慎重に入り口に向かって狙いを定める。
がさり、がさり。足音は近づく。
かちり、安全装置をロイは外す。
「お持たせしました、マスタング大佐」
聞き馴れた部下の声と同時に黒い影が入り口に現れる。それに向かってロイは躊躇いなく引き金を引いた。


「長い散歩でしたね」
出発点となったあの豪奢な寝台にロイを横たえた執事はにこやかに告げる。相変わらず声は出ないし、身体もろくに動かせないけど寝台から執事を睨む黒い瞳にはいささかの翳りもない。せっかく脱出したのにまた捕らえられ大事な部下の生死も不明というそんな状況でも。
「軍人というのは本当に諦めの悪い人物ですね。大体よく私と判ったものです。あの声は完璧だったのに」
肩を竦める執事の腕の布地は見事に裂けている。あの時ロイが撃った弾は確かに入り口にいた男の腕を打ち抜いたけど生体系の錬金術師にかかればそんあものかすり傷にもならなかった。
戦闘中の軍人があんな不用意な歩き方をするものか。特にハボックは気配を消すのが上手いんだ。あの足音がハボックのものでないなんてすぐに判ったよ。・・あいつがそう簡単にくたばるものか。
不敵に笑う捕虜に捕らえたほうがため息を吐きそうだ。確かに彼の部下が戻って来ていた事は計算外のことだったけれど。
「あなたを助けようとしたのはあの金髪の男ですね。のんびりした顔つきにしては大した役者でしたよ。おかげでこんな夜中にピクニックする羽目になるし大事な合成獣は殆どやられてしまった。結局手元に残ったのは階下にいるあいつだけだ」
それは大きなライオンに似たキメラで、巨体に似合わぬ素早い動きでロイから銃を奪いとった。再生力が強いのか2、3発喰らっても平気な顔で抵抗する術を失ったロイをその背に乗せて再びこの館まで運んで行ったのだ。
「だけど、彼も無茶をしたものだ。狭い谷にキメラを誘い込んで火薬で一気にカタをつけようとするなんて。おかげであそこはすっかり崩れてキメラ達も埋もれてしまったけどあの少尉の運命だって同じですよ。あそこは袋小路で逃げ場なんてない。忠実だけど愚かな部下でしたね、ハボック少尉は」
貴様がその名を言うな!
声が出せればロイはそう叫んでいただろう。
「・・・まったく、あなたは諦めが悪い」
たった1人の味方が死んだと聞かされても怯まない相手にため息吐いた男はすっと右手を上げた。白い手袋に包まれた手が握っていたのはロイの銃だ。
「あの少尉が司令部に連絡した可能性もあるし一刻も早くドクターの魂をあなたに移してここから逃げなければ。もう時間がないんです。あなたは協力しそうにないしさっきのような悠長な手は使ってられない」
寝台に横たわったロイの心臓に狙いを定めて執事は言い切った。
「荒療治だが仕方ない。あなたには一度死んでもらいます、マスタング大佐。仮死状態なら魂の移行もスムーズに行えるでしょう。身体の傷は術で治せるし上手くすれば魂だけ消える可能性もある」
銃口と身体はほんの30cmぐらいしか離れていない。これならどんな素人でも確実に命中させる事ができるだろう。
「頭は危険だから心臓のすぐ横を狙います、動かないで下さいよ。大佐殿。さすがの私も即死はどうにもできませんから」
にこやかに笑った執事はそうして
「今度こそさようなら、マスタング大佐」
迷うことなく引き金を引いた。

「ちっき・・しょう」
土砂に半ば埋もれた男は悪態を吐きながら自分を押しつぶそうとしている岩塊をどけようともがく。
この狭い谷間にキメラ達を誘い込んで爆薬で一気にカタをつけるという作戦はそれ程無茶と彼は思わなかった。ハボックはこの辺りの地形を熟知していたし、ここが袋小路になっているようで実は奥に人1人程度が上に登れる隙間があるのもちゃんと知っていたから。
誤算だったのは周囲の岩盤の脆さだった。予測以上の岩が崩れ落ちてきてキメラ達を綺麗に埋めてくれたまでは良かったが安全圏にいたと思っていた自分まで生き埋めになりそうになるとは。
「早くあの人の所に行かなきゃならないんだよ、俺は」
ごとりと肩を抑えていた岩をなんとか横にどけると一気に身体を抜こうとするがどうにも上手くいかない。どこか骨にヒビでも入ったのか腕に力が入らないのだ。
「あの男が大佐を見つける可能性があるんだってのに!」
追っ手のキメラは全て始末したけどそれが相手の持ち駒全部という保証は何処にもないのだ。ハボックにはそもそもなんであの執事がロイを狙うかは知らない。でもあの鳥のキメラが叫んだように追っ手の執拗さは相当なものだというのは判っている。
「あいつがこのまま大人しく引き下がるとは思えねぇ、だから動けよ、俺!」
ごきりと腕のあたりで嫌な音がする。激痛が身体を走るがハボックはそのまま両腕に力を込めた。

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