ボンッツ!

乱れた陣では細かいコントロールが効かなかったのか執事の身体は焔の包まれたまま後ろに吹っ飛んだがロイにはそれを見ているヒマはない。
「離れろ、ハボック!」
何発の銃弾を受けても倒れない相手に壁際に追い詰められていた男が、それを聞いて素早く横に跳ぶとライターがもう一度かちりと鳴る。
今度の焔は正確だった。近くにいるハボックの前髪1本焦がさず暴れるキメラのみ包み込んだ青い焔はあっという間に巨体を黒い塊に変えてしまう。
「大丈夫ですか、大佐!」
革の軍靴でそれを踏み潰しハボックは踊り場で片膝をついたままのロイに駆け寄る。それを
「それはこっちのセリフだ。あまり心配をかけるな、この駄犬」
いつもと変らない黒い瞳が迎えた。その傲慢な物言いにああ声が戻ったんだとハボックはほっと肩の力を抜いて
「遅くなってすいません」
その無事を確かめるようにそっとその身体を抱き締めた。

「・・ふこう・・へいですよ、マスタング大佐」
床に横たわった身体は焔の洗礼でもう見る影もない。それでも黒い唇からは掠れた声が微かに漏れた。
「同じ傷を負ったのになんで・・あなたは平気な顔をしているんです。ドクターはあれ程苦しんだのに」
今際の呪詛を聞くのはロイにとって義務であり馴れた事だ。それでも揺れそうになる背中を金髪の大型犬がしっかり支える。
「あの人の苦しみを無くしてしまいたかった。・・悪夢から逃れて生きて欲しかった。私の願いはそれだけ・・だったのに」
ことりと焼けただれた頭が床に落ちる。けれどロイはまだその瞳を閉じないで静かに物言わぬ塊を見詰めたままだ。やがてそこから聞き取れないぐらい微かな声が聞こえてきた。
「さいごの・・願いだ。全てを燃やしてくれ。私が・・間違っていた。自分を憐れむばかりで周りを見ていなかった。その・・ために彼を・・・。すまない・・ノーマン」
かさりと音がして黒焦げの腕がその身体を抱き締める。それだけが自分にできる全てであるかのように。
「ご遺言承りました、ドクターマクガリティ」
そっとロイが見開かれたままの瞳を閉じる。そこにはさっきまでなかった微かな笑みが浮かんでるように─ロイには見えた。

「手を貸せ、ハボック」
どうやらドクターはロイの身体を完全に回復させたわけではないらしい。おまけに丸一日飲まず食わずだったからその顔色は病人と殆ど変らずよろめく足は確かにハボックの助けが必要だったから、ロイは迷わずそう言った。
さんざんその背に背負われていたのだ、今さら張る見栄もない。
「アイ・サー。でも何をするんです。もうすぐホークアイ中尉達がこちらに着くでしょう。それまで休んでて下さいよ、大佐」
「それまでに、しなければならない事があるんだ」
夜明け前の冷たい空気の中、ハボックに支えられてロイは館の正面に立つ。その甲には火蜥蜴の紋章。
「無茶ですよ、その身体で」
あの最後の言葉はハボックにも聞こえていた。だからロイが何をするつもりなのかは判るけど今の顔色の彼がそれをするのは無理だとハボックは思う。錬金術の仕組みはさっぱりでもロイの側にいればそれがどれだけ精神力を要求されるかは学べる。特に規模が大きくなればそれだけコントロールする大気の範囲も大きくなるのだから。
だけど
「焔の錬金術師を甘く見るなよ、ハボック。それにこれは私の義務だ。私は彼の遺言を受け取ったのだから」
そう言い切られればハボックに止める術はない。せめて身体の負担を減らそうとその身体をしっかり支え伸ばした右手に自分の手をそえる事しか彼にはできなかった。
「いくぞ・・」
カチン。
今だロイの手にあるハボックのライターが小さな火花をあげる。
チチッツと生き物のようにそれは館に向かって宙を走りその周りを幾重にも取り囲んだと思うとその中心から真紅の輝きがほとばしった。
「うわ・・」
煉瓦の壁も屋根の大きな煙突も何もかもが一瞬の内に焔に包まれた。無数にある窓が一斉に熱によって砕けるのがハボックの目にも見えたが何故か音は一切聞こえてはこない。それどころか
「熱くない?」
ほんの10メートルぐらいしか離れていないのに彼が感じるのは湿った冷たい森の冷気だけだ。良く見れば館のすぐ側にある樅の大木もその葉は緑のままで静かに眠っている。その光景はまるで赤いガラスのスノーボールに閉じ込められた飾りの家のようだ。白い雪片の代わりに舞っているのは無数の真紅の欠片。
ああ、この光景は─
「見覚えがあるだろう、ハボック」
ハボックの心に浮かんだ言葉を読んだように前を向いたままのロイがぽつりと漏らす。
「あの時と同じやり方だが威力は格段に進歩している。あと数分で館は灰となるだろう。地下の研究室も、キメラも何もかも─ドクターの研究は全て無かったものとなる。皮肉なものだ、彼はずっと自分の過ちを正そうと研究を続けて闇に落ち、性懲りもなく焔の研究を続けている私が正気を保っているなんて」
囚われていた間に見させられた過去と同じ焔。それがロイに自分の罪深さを思いださせていいるのか懺悔のような言葉は続く。
「ずっと研究を続けてきたんだ。どうしたら効率良く燃やせるか、どう気体を操れば広範囲に拡大できるか。」
「どうしたら被害を少なくできるか、どうやったら周囲に損害を与えずに焔を使えるかでしょ、あんたが研究してきたのは」
それを途中で止めたのはハボックの言葉だ。
「俺は今回の事件について何も知りません。あんたとあの執事の間にどういう因縁があったのかも。でもあいつのいった事は間違いだ。あんたはずっと苦しんできた。イシュヴァールからずっと」
不公平だとあの男はロイに言った。ハボックにとってそれは聞き捨てならないセリフでだからそれを打ち消すように言った。
「あいつはあんたが夢に魘されているのを知らない。イーストシティのスラムに住むイシュヴァール人達がなんとかやっていけるよう秘かに便宜をはかっている事も、この国を変えるためにずっと1人で戦っている事も」
真摯な訴えにだけど応えはない。焔を操る人は無言でただ前を見てるだけだ。けれど
「あいつは知らない。あんたが幸せになろうとするのやめたのも」
「ハボック」
ゆらり。赤いガラス玉の中の影が揺れる。まるで砂の城が崩れるようにはらはらと音もなく焔に包まれた館は黒い塊となって静かに崩壊していく。
「知らなかった?皆と飲んでいる時、何か楽しい事があった時、俺の馬鹿話に笑い転げる時、あんたは一瞬だけど辛そうな顔するんだ。まるで自分が悪い事したみたいに─そうやってずっと生きていくんスか、罪人みたいに」
強く、したたかに生きている人だと知っている。過去に囚われて潰れる程やわでない事も。それでもほんの時折見せるその表情に気がついたのはいつだったか。
「・・罪人である事に変わりはない」
「けど俺は!あんたに幸せになって欲しい。世界中の人間があんたにそんな権利はないって言っても俺はそれを否定しますよ、大佐。絶対に」
静かに焔は終息にむかう。もう柱すら残っていないその残骸は黒い小さな欠片となって夜明けの風がそれを天に吹き上げる。もう少しすれば麓の村ではきっとそれが雪のように舞うだろう。
同じように何かが心の中で崩れていくのをロイは感じた。
「イシュヴァールでのあんたを知らない俺がそんな事言うのは傲慢ですか?でも大事な人の幸せを願うのは当たり前でしょう?」
腕の中にいるロイの温もりに安堵しながらハボックはこれまで抑えてきた言葉を口にした。本当はずっと言わないつもりだった。
ロイが前を向いたまま歩いて行くのを守っていければそれで良いと思っていた。好きと告白はしたけれどその歩みを邪魔するつもりは絶対なかった。
けれどあの岩に埋もれた瞬間、間に合わないかと焦燥に苛まれながら山道を駆けていた時の思いがその自制心を破る。
「あんたがそんなんだと俺は世界中を憎んじまう。あんたにそんな思いをさせた世界をだから─」
俺を見て。
声にならない思いはそれでもロイに伝わった。ぎゅっと抱き締める腕の温もりから、背中に感じるハボックの鼓動から。
ああ─そうか。同じ事をしているんだ私は。
唐突にロイは気づく
あの自分を憐れんで周りを見なかった男と。
過去に囚われているつもりはなかった。過ちは過ちとして認めそこから新たな道を見い出して進んで来た筈だったのに。
いつの間にか差し出された手を受け取るフリをしていたのか。私は。
「すまない・・」
「あやまんないでよ」
耳の辺りで響く小さな声。真直ぐ伸ばしていた腕はいつの間にか降ろされてそれを支えていた男の手はロイの身体を守るように抱き締めている。夜明け前の冷たい空気に震える身体にはその暖かさが何よりありがたかった。
「だけど吹っ切ったつもりでいたのに。お前にそんな思いをさせたのは私の弱さだ」
「完璧に強い人なんていませんよ」
「そうでなくてはダメなんだ。焔の錬金術師ロイ・マスタングは」
「誰がそれを決めたんスか。そんなの守る必要ないでしょう?」
ああもう。
ハボックの言葉にロイはもう反論できない。
どうしよう。こんな思いは知らない。こんな苦しくて暖かくて切ない気持ちになった事はない。この手を取ったら何か変るか?何をお前に言ったらいい?
混乱したままの身体がゆらりとよろめく。弱った身体で無理な錬成を行ったツケがここで回ってきたのか、視界が少しずつ狭まるのをロイは感じた。
「ちょ大佐?大丈夫ですか!」
ずるりと力無く倒れこむ身体を慌てて支えたハボックが青くなった頬を叩けばうっすらと黒い瞳が開いて
「眠いだけだ・・大丈夫だよ、ハボック」
白い手が安心させるようにハボックの顔を撫でてそのまま何かを告げるように引き寄せようとするからハボックも素直に顔を近付けた。そこに
「たい・・」
一瞬だけど冷たい唇が押しあてられて
「続きは後で・・だ。少し休ませろ」
柔らかな笑みを浮かべたまま黒い瞳は閉じられた。

多分きっと─目が覚めたら判るから。ハボックに言いたかった言葉が。

「M氏の遺言状」完結です。長い間おつき合い下さった皆様ありがとうございます。かなり暗めで重い話となってしましましたがいかがだったでしょうか?一応これ過去からの決別をテーマにしたつもりだったんですがロイが結論を出さないまま逃げてしまい結論は後日談「金の大地に金の雨降る」に持ち越しです。

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