東方八景

「好きです」と告白されて「好きだ」と返した。2人の間に起ったのはそれだけ─でもたったそれだけで世界は変る。

「困ったな・・」
積み上げられた書類の山を見てロイはため息を吐いた。時刻は午後を大分過ぎた頃、珍しく朝から集中したせいで山の右半分は決済済みの書類だった。後はそれを仕分けして各部署に送ればいい事なのだが
「何もかも一緒に積み上げてしまったおかげでどれがどれが判らん」
東方司令部のトップであるロイの所にはありとあらゆる部署から書類が届く。予算案の決議に備品の申請、退役者への補償に市民からの苦情の数々などその種類は多い。そして何事もトップのサインが無ければ動かないのは何処の組織も一緒だ。
「つい勢いに任せてしまったがこれを分類してるとまた時間がかかるし・・」
今日のノルマはこれだけです。絶対零度の微笑みで言われた山はあと2つ。これを終わらせて定時に帰るには今のペースを崩す訳にはいかない。
「ホークアイ中尉がいないの計算にいれてなかった」
いつもなら有能な副官がこまめに執務室を訪れて上がった書類から各部署に送ってくれる。だが今日の彼女は夜勤でやって来るのはロイと入れ替わりの時間。それまでにこの山が綺麗に机から消えてなければどうなるか想像するのは簡単だ。
「誰かに仕分けだけでも手伝ってもらうか・・・猫の手でもこのさいかまわん」
哀れな犠牲者を大部屋で確保しようとロイは立ち上がった─がふとその動きが止まる。
ハボックは・・この時間大部屋にいたっけ?。
いつもならこういう時犠牲にするのはハボックとロイは決めていた。だってブレダは有能だがそれ故に抱えてる仕事は他人より多いし、フュリーはしょっちゅう修理屋として他の部署に呼ばれているしファルマンは適任だがついうっかりよその極秘文書を記憶してしまう危険性がある。だから大部屋で一番ヒマな(もちろんロイの偏見だ)ハボックが適任なのだが。
「あいつと2人きりか・・」
それはまだちょっと困る─ような気がした。

「だから・・好きだ」
そうハボックに言ったあの事件から1ヶ月が経った。あのあとすぐロイは入院、1週間の静養を命じられハボックの方は3日程休んでから現場に復帰した。事件の後始末にお互い顔を会わせる時間は殆どなくいつものリズムが戻ったのはつい最近で。
何が変ったと言う訳ではない。変らずにハボックはロイの送迎を担当し仕事を手伝う。上司を上司と思わない言動も子供にするみたいに頭を撫でてくる手も同じでへらりと笑って緊張感のない声で『たぃさぁー』とロイを呼ぶ。
変ったのは多分きっと自分の方だ。
くるりと椅子を反転させ書類の山に背を向ける。床から天井まで防弾ガラスでできた窓の向こうには羊のような白い雲が幾つも浮かびさながら空の牧場のようで。
あいつの故郷の村で見た光景を思い出すな。
なだらかな丘がゆったりと波のように広がりあちこちに白い綿毛の固まりのような羊達がのんびり草をはんでいてその向こうに広がるのは金の麦穂。最後にそこを立ち去る時にロイは振り向いてその光景を心に焼き付けた。
今でも目をつぶればその光景は一枚の絵のように心に浮かぶ。背中を抱き締めていたハボックの体温と一緒に。
「って何を思い出してるんだ、私は。仕事中に!」
ガラスに写った自分の頬がうっすら赤くなっているのに気がついたロイはくるりと椅子を反転させると書きけの書類の上に突っ伏したところで。
「失礼しまーす」
聞き馴れた声
がロイの耳に飛び込んで来た。

「好きです」と告白した相手に「好きだ」と言われた。これがお話ならハッピーエンド。めでたし、めでたしで終わるだろう。でも現実はそうじゃない。

「どーしたもんかなー」
組手に励む部下達を見ながら金髪、垂れ目の軍人はぷかりと白い煙を空に帰した。
「俺の事好きだって言ってくれたのはすんごい嬉しいけど、これからどうすりゃ良いんだろう」
ジャン・ハボックは長い事ロイ・マスタングに思いを寄せていた。最初はなんだか気になるから始まって守りたい、傍にいたいと次第にその思いは強くなりついに彼はその感情に『恋愛』というレッテルを貼ってしまった。
上司で同性、それまでの自分なら思いも寄らない相手だけれど感情はあっさり全てを覆す。あの人しか欲しく無い、あの人の傍らにいたい、できる事ならずっと。それまで経験した事も無い熱情にさらされて戸惑う暇も無くハボックは自覚した。自分はロイ・マスタングが好きなのだと。
「告白するつもりはなかったんだけど」
大望を秘めた相手に恋愛にうつつを抜かす暇などないだろう。まして自分は彼の部下なのだ。浮ついた思いを理由に傍を離されるぐらいなら死ぬまで胸に秘めていく覚悟だった─のだが。
「無意識に告白しちまったものなー。大佐がそれを理由に俺を遠ざけなかっただけでも奇蹟だぜ」
よこしまな思いを抱く部下なんて普通そばに置かないだろう。でもロイはハボックの告白を真面目に受け取ってくれた。それにどう答えるかは保留だと言われたけれどハボックにとってはそれだけで十分だった。でも
「大佐の気持ちがこっち向いた途端それだけで満足できなくなるなんて・・だめだろ俺」
告白と共にかわした唇の柔らかさは今もこの身体が覚えている。抱き締めた体の体温、テンポの早い鼓動にああこの人も自分と同じように興奮してるんだと思ったらもう何もかも吹っ飛んだような気がして。正直あの時降った天気雨に頭を冷やされてなければ何をしたか想像できない─とういうかしたくない。
「ああっ、がっついた犬とか思われたらどうしょう・・」
「あのー隊長、お取り込みのところすいませんが」
がしがしと金髪を掻きむしって煩悶するハボックが顔をあげればそこには部下全員がきっちり整列して立ってる。
「もういつものコース一通り済んだんですけど・・」
笑いを堪えて申告するのは副長のイェーガー軍曹だ。どうやら皆ハボックの1人百面相をずっと観賞していたらしい。
「そ、そうか、なら最後にグランド10周!それ済んだら訓練終わりだ!」
ええ〜そんなの聞いてねぇとぼやく男達にさっさと行け手をふると渋々ギャラリーは散っていくが1人残ったのはさっき声を掛けた男。
「どーしたんだよ、イェガーお前もさっさと行けって」
気恥ずかしさを隠すように不愛想な顔をしてる上官の命令にも若い軍曹は動かずぴっと1枚の書類をハボックの前に突き出した。
「隊長、これマスタング大佐にまだサインもらってなかったんですかー」
「はい?」
「だから俺の休暇申請!やっと彼女と遅いハネムーンに行けると思って出してたのに庶務に言ったら聞いて無いって」
真剣な声にようやく何の事かハボックは気づくと慌ててその紙を取りあげた。休暇の申請はなんと明後日。
「嫁さん連れて初めての里帰りなんですよ〜親も心待ちにしてるし!」
「うわ、すまん!イェーガー。俺ちょっとその色々忙しくて忘れてたわ。今から大佐のところ行ってサイン貰って来るからそれで勘弁してくれ!」
「あ、そんな無理しなくても良いですよ、まぁ今日中に頂ければ大丈夫ですって」
これは自分が悪いと素直に頭を下げる上官を慌てて止めようとするがもうハボックは上着を掴んで駆け出していて
「ランニング終わったら解散!シャワー浴びて各自自分の持ち場に戻れ!」
あっという間にその姿は兵舎の中に消えていってしまった。

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