息が続くかぎり

煙りはすでに辺りに充満している。熱気を孕んだ空気は喉を焼き呼吸をつまらせるがそれでも彼は走るのを
止めない。迷路のような工場のそこかしこで赤く踊り狂う焔が行く手を塞ぐがそれさえも気にする事なく前へ進む。立ち止まるのは彼の名を呼ぶ時だけ。 たった1人の名前を、彼にとって何より大事な人の名を叫ぶ。
その息が続く限り。

事の起こりは単純な任務だったのに。夜中に不審な物音がするとういう廃工場を市内巡回のついでに調査すると言う簡単なもの。きっと浮浪者でも入り込んだんじゃ無いかと誰もが思っていた。半年前に閉鎖、3ヶ月後に取り壊し決定の元・印刷工場は住宅地の近くにありテロリストなんかが使えばすぐに通報されるような感じだったから。
問題なのはそこに書類仕事から逃亡を計ったロイ・マスタング大佐が無理矢理同行した事であり、俺がそれを阻止できなかった事だ。なにせ天気は良かった、大佐の言葉を信じるなら(というか信じた振りをするなら)書類の残りはあと1山、極め付けはホークアイ中尉の不在(別の部署に出かけて留守)この3条件が揃ってどうして俺が大佐に勝てよう。
しかしその事を俺は後で死ぬ程後悔する羽目になったのだ。

唐突に起こった轟音と閃光が窓ガラスを粉々に吹き飛ばした時、俺は工場の外にいた。辺りを見回っていた部下が挙動不審な者を捕らえたというのでそちらに向かって行く所だった。大佐は入り口付近の荷物と機械がホコリと一緒に散乱しているかつてはホールのような場所にいた。側を離れる時勝手に奥へ行くなと、辺りの物に触るなとくどくど言う俺にうるさそうに手を振って答えたのが最後に見た姿。
「大佐、別に不審な所は無さそうだからもうお帰りになりませんかー。中尉が帰ってたら俺撃たれますってマジで。こんなトコの捜査なんて大佐が出てくるモンじゃ無いッスよ。誰かに送らせますからさー。」
「そんなに私を帰らせたいのかね、少尉。今から1人で帰ってみろ、中尉の冷たい視線に曝されて残業決定だよ。どうせなら仲良く一蓮托生といこうじゃないか。」
「絶対にごめんです!!」
「・・冷たい。」
「んな目ェしたってだめですからね。」
そんな会話をしたのがほんのついさっき。それなのに今俺は目を塞ぐ煙りと焔に囲まれながら必死に走っている。何度も大佐の名を、俺を動かすたった1人の人の名を叫びながら。

「マスタング大佐!何処です!返事して下さい!」何度目かの呼び掛けかもう自分にも解らない。最後に見た入り口付近には大佐はいなかった。積んであった荷物や機械が爆風でめちゃくちゃになっていたがあの我侭上司の姿は無い。
これは人の言う事聞かないで奥の方に行ったに違い無いと目を向けたそこは衝撃で惨澹たる有り様。おまけに可燃物に引火したのかキナ臭い臭いとパチパチ何かがはぜる音がしてくる。煙りの尖兵はハボックの周りを囲み目を鼻を襲ってくる。
「ちくしょう!」一声凶暴なうなり声を上げた少尉は猛然と奥に向かっていった。
なんで一時でも側を離れたのか、いくら危険性が無いように見えてもこんな怪しい場所で。返事が無いのは
気を失ってるからか、それとも声が聞こえないのか、それとも−最悪の想像を無理矢理ねじ伏せて走り続ける。
こんなところで倒れる人じゃない、こんな事で消える焔じゃないはずだ。自分の知っているロイ・マスタングという男は。
必死に言い聞かせて、通路を走る。行く手を遮る倒れた柱を蹴り倒し、火のついた壁を破って進む彼はまさしく1頭の猟犬だった、なにがあっても止まる事のない金色の猟犬。

「返事して下さい。大佐!お願いですから!」叫ぶ度に煙りでむせる、有毒のガスがでてるかもしれない。でもそれがどうした?俺の使命は大佐の命を守る事、大佐の望みを叶えること事、たった2つの単純な事だ。そして今はこの焔と煙りの中から大佐を見つけだすのが俺の役目だ。それ以外はどうでもいい。
「大佐!」走る俺の目の前に焔に包まれた扉が見えた。中の様子は解らないがやはり火の海なのだろうか、今まで幾つもの部屋を見て来たがそこに大佐はいなかった。
「・・・!」扉の前で瞬巡する俺の耳に何かが聞こえたような気がした。あたりは火のはぜる音、ガラスが熱で割れる音なんかでマトモに耳なんか働きゃしないのに俺の耳には確かに何か聞こえた。一縷の望みに縋るように扉に向かって叫ぶ。
「大佐、そこにいますか?扉ぶち破りますから下がってくださいよ!」
そしてためらわずに燃える扉に体当たりする。両腕でかばったけど腕や髪を火は容赦なく襲う。肉がこげた様な臭いがしたがそんな事は気にならなかった。
立ちすくむ俺の目の前には床に座り込んでいるロイ・マスタング大佐。怪我したのか足に巻き付けた布には
血が滲み、脇腹を押さえていながら大佐は優雅にこう言った。
「やぁハボック少尉、迎えご苦労様。」

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