だ、そうだ。そう言ってスクェアグラスの男は自分の杯を飲み干した。それから空になった自分のグラスと向いのグラスに琥珀の液体を注ぐ。それで茶色のボトルは空になった。
「そんな目に合っていたとはな。さぞかし軍を恨んだだろう」
満たされたグラスに手を付けず黒髪の男はぽつりと呟く。連日の捜査で走り廻っているせいで頬のラインはいつもより鋭角になっていた。
「まぁ、そんな事も言ってたがな。それで軍とつるんで悪事を働いてもしょうがないだろう」
応じるヒューズの顔も疲労の色が濃い。後始末に引き込まれた彼の出張は予定よりずっと長引き、セントラルからは早く帰ってくれと部下からの泣きが入った。
 あの裁判から1週間。逮捕された2人とあくまでしらを切ろうとする男を纏めて片づけようとロイ達は証拠固めに走り廻り、ヒューズは起訴の準備に追われる日々が続いた。ようやく全てが終わりこの事件がロイ達の手を離れたのは昨日。高級将校が絡んだ事件なので裁判はセントラルに移り関係者は既にそちらに護送された。首謀者である准将が東部に来て日が浅い内の検挙だから東方の失点にはならず、蒼くなるのは見逃してきた南方と判っているからロイも喜んで後をセントラルに押し付けた。もちろんヒューズも後は上に押し付ける気満々である。そしてやっと余裕ができた2人は馴染みのビストロで祝杯を上げた。
「あーあ、やっと帰れる。全く後始末まで巻き込んでくれちゃって。エリシアちゃんが俺の顔忘れちゃったらどうしてくれるんだよ」
「毎日、それも日に3回。軍の回線使って家に電話した男を忘れられるわけないだろう。奥方だって終いにはもういいですって言ったじゃないか」
通信係りの兵に嫌味言われるのは私だぞ。と暗に非難しても家族思いの男は怯まない。
「グレイシアのあれは照れてるんだよー。文句言われるのがヤならお前んトコの曹長使って・・」
「却下!」
「えー良いじゃん、ロイのケチ−」
「却下だ!お前の家と直接回線繋ぐなんて誰がするか!フューリーにも言っておく。絶対お前の命令は聞くなってな!」
「ち。相変わらず融通のきかん奴。それが不眠不休で働いた親友にいう言葉かよー」
拗ねたように言うヒューズにロイは少し語尾を緩めた。なんだかんだ言って無理を聞いてくれたこの親友にそういえば自分はちゃんと礼も言ってない。
「あーそのヒューズ、今回の事は本当に感謝している。お前がいなければ勝てない裁判だった、本当にありがとう」
ぺこりと下げられた黒い頭にヒューズは苦笑した。いくら斜に構えた態度が板に付いてもこの男の本質は変わらず真面目で素直なのだ。
「良いって事よ。言ったろう俺はお前の望みは何でも叶えると、親友なんだから」
それと比べて自分はなんて狡猾で卑怯。親友の名の下にこいつを束縛しようとしている。
「そうだな。私はいつもお前に無理言ってる。それでお前はそれを叶えてくれるんだ。・・ずっとそうだ」
静かに微笑む顔は確かにヒューズに向けられたものだ。それはちくりとヒューズの胸を刺すがあえてその痛みは無視をする。
「おいおい、何か今日は素直だなー。でもお前ちょっとはぐらついただろ。俺があいつを見捨てたって思ったんじゃないのー」
「いいや、腹はたったがそれはあの駄犬のせいだ。私はお前を信じていたよ。でも教えてくれヒューズ、あいつは最初から全部知っていたのか、それとも何も知らずにいたのか。何処までがあいつの話だった?」
コンラートの父があの執事だった事そこまでハボックが知ってて言わなかったのだろうか。
「何だお前まだあいつと話してないの?」
「ずっと忙しくてそれどこじゃ無かった。あいつもなんか私を避けてる様だし」
「あーお前あんなに怒ってたからなー。じゃずっと放置プレイか。わんこは御主人様の怒りが恐くて近付けないんじゃない?悪いけど検察は容疑者との話を外に漏らす訳いかないの。詳しい事は少尉に聞きな、直接な」
そう言ってヒューズはグラスを空けた。これが最後の貸しだぞ、少尉と心の中で呟いて。

セントラルへの最終に乗るヒューズを駅まで送りロイは車を自分の家に向けさせた。明日は非番で漸くゆっくりできると思いながら車を司令部に返し玄関のホールに入ると当然中は真っ暗。無意識にスイッチを押すと2、3回点滅してホールの照明は切れてしまい再び暗闇が辺りを包む。
「なんだ切れてたんだ、しょうがないな・・いて!」
酔いのせいもあって覚束ない足取りは段差に引っ掛かってロイは階段の手すりにしたたか額をぶつけてしまう。
「・・・・うー」
痛みのあまりそこにしばし蹲った男はようやく立ち上がると手探りで応接室に向かう。幸いそこの電気は無事で明るい光の中に表れた光景にロイはもう一度額に手をあてて唸った。テーブルの上には何枚もの書類が散乱し空いた所にはテイクアウトの食べ散らかしやトレイが積み重なっている。キッチンから運んだコーヒーメーカーにはいつ煎れたか知れない茶色の液体が溜まりソファの上には染みの付いた毛布がとぐろを巻いていた。
「・・・うー」
決然としてロイは黒い受話器に手を伸ばした。

古びたアパートで電話のベルが鳴る。ベッドに入りかけた男は慌てて飛び起きた。

「・・・サー、応接室の掃除と廊下の電球の交換、溜まった食器の片付け終了致しましたー。他に御命令は?」
Tシャツにエプロンをした金髪の男は嫌みたらしく馬鹿丁寧に問う。
「御苦労、少尉。まぁそこに座りたまへ。良い酒があるから褒美にやろう、グラスを持ってきてくれ」
それをさらりと流して金のラベルが貼られたボトルを振れば相手は心底げんなりした顔で抵抗を試みる。
「今からスか?もう遅いし休んだらいかがです。第一さっきまで飲んでたんでしょう?俺明日も出勤スよー」
ここで逃げとかないと徹夜で付き合わされる。野生の本能で嗅ぎ取った犬は予防線を張るが目の据わった上司には通用しなかった。
「ふん、遅出のシフトじゃないか、何の問題がある。四の五言わずにグラスを持ってきたまえ、ハボック」
「はーい・・」
しおしおとキッチンに行く後ろ姿には架空の尻尾が見えるようだ。玄関の電気が切れたの一言で夜中上司の家に飛んで行くなんて普通ないだろうにこの男はやって来た。多分呼び出した本当の理由も勘付いているだろうにそっと見えない尻尾を振りながら。

「・・・ご苦労様」
チンを微かな音をたてて2つのグラスは触れあう。くっと一息に空けたハボックは煙草に火を付けながら話の口火を切った。テーブルの上には灰皿代わりの犬用餌皿。
「で何を聞きたいんです、大佐」
「最初から全部だ。一体ヒューズとお前は何を話し合ったんだ?大体お前は何時気がついたんだ、被害者がカール.ワッツであの執事がコンラートの父親だと。知ってたら何故私に話さなかった」
それはずっとロイの中にあった疑問だ。だが裁判が終わりハボックが復帰しても忙しさに問いただす機会もあまりなかったし当のハボックが何となくロイを避ける素振りをしていたのも気に触った。できればこのまま忘れて欲しいらしいが生憎ロイは執念深かった。
底なしの黒い瞳に見つめられてハボックは紫煙を空に向けて吐き出すとまだ長いそれを灰皿に押し付ける。それから漸く語り始めた。

「あーどこから話したもんスかね。えーっと被害者がカールだって気が付いたのは写真を見せられた時です。そうエックハルトが来た翌日でしたか。驚きましたよ、一時はぶっ殺そうって思った男が自分の前に現われたんだから。でも誓ってそんな事は露程も思わなかった。もう済んだ事だし俺だってプロです。真剣に助けようと努力してましたよ」
それは判って欲しいと言うとロイは無言で頷いた。もちろんそんな事考えた事もない。ジャン・ハボックはそんな男ではないのだ。
「あの執事がコンラートの父親だってのは最後まで気付かなかったスよ、死んだって聞いてたし。ただあの部屋に飛び込んだ時、カールの死に顔を見た時これは単純にテロリストに殺されてたんじゃないって思った。何でかと言うとあいつの死に顔にあったのは恐怖と言うより驚きだったから。あいつは自分が撃たれる瞬間までそんな事はないって思ってたんじゃないかなぁ」
テロリストに誘拐された人間ならいつ殺されるかと怯えていたはずだ。でも死に顔が語るのは純粋な驚き。
なんで俺、撃たれるのと問うような表情。
「本人には狂言と話していたそうだ、フランツは。私を陥れるための狂言だと。事前に逃がすから焼跡から奇蹟の生還を果たして軍の落ち度を糾弾するそういう筋書きだと」
「そうスか・・それじゃさぞ驚いたでしょうね。信頼した執事が自分を撃ったのだから」
その瞬間彼の頭には何が浮かんだだろう。妻の顔か過去の罪業か。
「じゃあどうして私に何も言わなかった?最初から話していればもっと対応できただろうに」
「そして何の証拠も無いのに俺を何とか救おうと無理をする?それは嫌だ。忘れたんスか俺はあなたが上に行くのを手伝いたいんです。足を引っ張るなんて冗談じゃない」
「だから全部をひっかぶろうとしたと?私がそんな事望むと思うのか、私だって嫌だ。誰かが私の犠牲になるのを見るのはそれが判らないのか、ハボック!」
激高した声は僅かに震える。その姿を青い瞳は哀しげに見つめて静かに言った。
「でもあんたはそれを耐えなきゃいけない。それが上に行くもんの負う責務だ、そうでしょう大佐。あんたを悲しませくないし何があっても生き残るつもりだけど俺はこの先もそうする」
「ハボック」
深い蒼にロイは気が付く。いつの間にかこの青年は成長している。ついこの間までの青臭さや少年ぽさの向こうに逞しさが感じられた。この間までは吠える子犬だと思っていたのに。
「それにね全く諦めてた訳でもなかったスよ。あの中佐殿が現われた時点で」
笑う顔もどこかふてぶてしい。
「どう言う事だ?」
「あれが誰かの策謀ってのは判ってた。何と言おうとあそこにゃ誰かがいたんですから。そんでカールの死に顔見て思ったんです。これは身内の犯行か、もしかしたら復讐じゃないかと。も、本当に勘でしかありませんがコンラートの件が絡んでるんじゃないかと思った。俺頭悪りぃけど勘はイイ。でヒューズ中佐に話したんですよあの人は頭良いですから」
有力な取っ掛かりを与えればあの非凡な男は必ず謎を解く。秘かに賭けていたのだそこに
「甘いなあいつはそんなお人良しじゃないぞ」
「知ってますよ。でもあの人はあんたを守るためなら何でもする。瑕一つ付けたくないんです。あんたが俺みたいな若造のせいで足を引っ張られるなんて許せないでしょう。だから話した。どんな事しても真相を掴むと思っていたから」
そしてヒューズはハボックの期待通りに事件を解決した。それこそ不眠不休で働いて。
「は!傑作だな。あいつを乗せたってわけだ。あいつとは付き合い長いがあいつが他人の思惑に乗せられたのは初めて見たぞ」
グラスを空けてロイは可笑しそうに笑う。あのいつも他人を操る男が目の前の若造に乗せられたと知ったらどんな顔をするだろう。
そんなロイの姿を見てハボックはそうじゃないと首を振る。
「あの人だってそのくらい判ってたでしょう。知ってて頑張ってくれたんだ。俺には・・判る」
垂れた瞳がロイを見る。茫洋とした顔は何時の間にか男の表情で
「俺も同じだから。俺も何よりあんたが大事だから。何と引き換えにしても・・・ようやく判った」
事実を述べる様に静かに淡々と告げる。
「俺はあんたが好きですよ」

右側には大事な人、左側にはそれ以外の全て−さて秤の針はどちらに傾く?

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