ハボック准尉!」緩やかで静かな空気はしかし突然の闖入者によって破られた。それは通りの向いから聞こえる野太い声となってそれぞれの思考に沈んでいた2人の眼を覚まさせた。
「あれ俺の隊のやつらじゃねーか」通りの向こうにいつの間にか見慣れた青い軍服姿が4〜5人、穏やかな光景にはそぐわない武器を抱えて立っている。非番のハボックに遠慮するようにこちらに向かっては来ないが、用があるのはその緊迫した表情をみれば判る。
「すんません、ちょっと行って来ます。」何ごとかと目で問う人に軽く会釈してハボックはそちらに向かった。
「ヒックス何が起きた、昼中の街路を拳銃抱えて走るなんて穏やかじゃねーな。」「非番のところ申し訳ありません!准尉。実は手配中のテロリストの潜伏先が解ったとういうので、憲兵隊が確保に向かったのですが・・」「逃がしたのか。」
「包囲が完成する前に気が付かれて逃亡されたそうです。それで我々の方にも捜索の要請が来たのですが、オーベット大佐は急病で今朝がた緊急入院しまい」「あーとうとう倒れたかあのおっさん。」「司令部にいたブレダ准尉が捜索ついでに発見したら准尉を連れて来いと我々に命ぜられまた!」「ブレダの野郎!俺、今日はデートだから邪魔すんなって昨日あれほど言っといたのに!」
東部で偶然再会した仕官学校時代の切れ者の悪友のふてぶてしい顔に思わず悪態をつく上官を
済まなそうに見ながら部下達は『デート』の一言に反応してさっきまでハボックが座っていたベンチをそーっと振り返った。
期待に満ちた男達の視線の先には黒髪の学生らしい人物がのんびり鳩に餌をやっていた。黒髪のショートヘア,遠目でも整った容姿の持ち主なのはわかるが−紛れも無く男性である。「・・・」『見なかった事にしよう』と無言の会話をかわす部下達に気が付かず
「それで逃亡中のテロリストの行方は?市内の緊急配備は済んだのか」ハボックは状況を聞く。「は!それはまだです。潜伏先がこの地区であるのでこの周辺を重点的に捜索しろと命令されました。ハボック准尉は一旦司令部に戻って欲しいとのことです。」
「解ったよ、それじゃ俺はこのまま司令部に向かう。お前等は捜索を続行しろ。解ってるだろうがここは繁華街だ。民間人のいるところでの発砲は極力避けろよ。」「YES.SIR!」
敬礼で答える部下に軽く合図してハボックはベンチに駆け戻る。その後ろ姿を見送る部下達の間には微妙な空気が流れた。

「・・・というわけで俺は司令部に戻らなければなりません。このあたりは危険なのでその前にホテルまでお送りします、中佐。」
「逃亡中のテロリストとは先週セントラルの拘置所から逃げた奴か?」「そうです、確かセントラルでおきた爆弾騒ぎの関係者と聞きました。」「関係者じゃない首謀者さ。全く苦労して捕まえたのに憲兵隊の阿呆がへまをして・・そうだハボック私も手伝おう。」
「ダメです!!」やる気満々の提案は即座に却下される。
セントラルの将校が他所の事件に首突っ込んで怪我でもしたら大事だ、なんだかやる気満々のこの人をあきらめさせるのはものすごく大変そうだがともかく無難に説得を試みる。
「中佐は休暇中でしょう。大体こんな地方の事件にセントラルのエライさんが関わってどーすンスか。怪我でもされたら俺、始末書じゃ済みませんて。」「怪我なんかしないさ。『こんな地方の事件』じゃね。それより捕まえられればお前の手柄になるだろう?」
「そんなのどうでもいいんです!あんたに怪我させたくないのが解らないんですか!」
偽りのない一喝。舌戦で悪友以外負け無しを誇るロイを沈黙させたのはこの男が初めてかも知れない。叫んだ方も自分の激情に驚いた様に口を閉じる。
そのまま2人の間に落ちた沈黙を突き破る勢いで軋むブレーキ音と悲鳴が後方から響いた。振り返った視線の先を1台の黒い車が歩行者を跳ね飛ばす勢いで暴走していく。反射的に腰に手をやったハボックは舌打ちして部下に駆け寄るが彼等も突然の出来事に右往左往する市民が邪魔で発砲できずにいた。
「司令部に連絡!逃亡犯と思しき人物がメインストリートを車で逃走中、道路を封鎖しろと。お前等も早く車持ってこい!」
慌てる部下を叱咤し、ともかく追跡をと焦るハボックをよく通るテノールの声が呼んだ。
「ハボック!乗れ!」
何ごとかとを見れば数メートル先には小さなピンクのトラック−荷台には花とハートの絵が描かれた−が停まっており、運転席には黒髪の中佐。
「ああもうなんだって、こう人のいうこと聞かないんだ!銃かせヒックス!先に行くから追って来いよ!」
呆然とした部下から銃を奪い取るとハボックは走り始めたトラックに飛び乗る。トラックは瞬く間に走り去り後には兵士のほうけた様な呟きが残る。「ハボック准尉のデートの相手て何者?」

「どっから持って来たんですこのトラック!」「善良な市民が親切に申し出てくれた。」「どうせならもう少し軽い車がよかったのに、何スかこのハートマーク」「贅沢言うな!仕方ないだろう花屋の配達用だ。」
もともとアメリストス国内にまだそれほど自動車は普及していない。セントラルでえさえ路地には荷馬車が走ってるぐらいだから地方であるイーストシティはそれ以上だ。つまり路上には人と露店があふれているわけでそこを2台の車が無理矢理突っ走るからあたりは大騒ぎ。
「中佐!前!前!よけて下さい!」「うるさいやっている!」「ぎゃあ!」
転がる果実の山を避け、露店の荷台を跳ね飛ばしピンクのトラックはメインストリートを疾走する。逃亡者はなりふりかまっていられないから無茶もできるがあいにくハボック達は軍人だ。無関係な市民を巻き込むわけにはいかない。
「ハンドルきって中佐!」
右の路地から荷物を積んだ荷馬車が出て来る。耳が遠いらしい老人が操る馬車はこの騒ぎにも気が付かず進路を横切ろうした。
「うわ!!」ロイが重いハンドルに手をとられて反応が遅れそうになる。それを助手席から伸ばした両手で無理矢理回転させればトラックは右側のタイヤを一瞬宙に浮かし、音におびえて硬直したロバの鼻先を掠めるように前を通り過ぎた。
「じゅ・寿命が縮んだ・・」ダッシュボードに突っ伏して呻くハボック。
「楽しくなってきたな!准尉!」目を輝かせながらアクセルを踏み込むロイ・マスタング。
狂騒曲に彩られた追跡劇はまだまだ終わりそうもなかった。

小型の癖に馬力があるのかそれとも逃走車にもなにがしアクシデントがあったのかハボックには知る由も無いが、疾走を続けるトラックの前方にようやく黒い車の姿が現れた。追跡の間にメインストリートはとっくに走り抜け周りは普通の住宅地に変わっている。幸いそれほど人通りはなく何人かの通行人が時ならぬ真昼のカーチェイスに目を見張っているだけだ。これならいける。ハボックは銃を片手に窓から身を乗り出そうとした時「ハボック、運転を替われ。」
隣の席から容赦のない命令が下された。
「何する気ですか中佐!」隣で運転していたロイは身を半分窓から乗り出し、片手で器用にハンドルを操っている。窓の外に伸ばされた手にいつの間にはめたのか白い手袋が見えた。純白の布には紅い紋章。焔を生み出すサラマンダーの練成陣。その破壊力を何度か目にした事があるハボックは慌ててハンドルを握りながら最悪の事態を予測して叫ぶ。
「無茶しないで下さい!ここはまだ住宅地です。焔を使ってガソリンに引火、爆発炎上なんてコトになったらどうすんですか!」「ハボック」「はい?」「私がそんなヘマすると思うかね?」
にこやかに問いかける人の声はその場にそぐわない程穏やかだったが、表情は完全に自信に満ちた軍人でなおかつ悪戯を楽しむ悪ガキのそれである。黒い瞳にはキラキラと楽しげな光が溢れているみたいで、それを見たらため息尽きつつ白旗挙げる以外何ができよう。
「いーえ思いません中佐殿。」「解ればよろしい。」
勝ち誇った声と共に指が鳴り、小さな火花が獲物を追う猟犬のように黒い車に向かって走る。それが追い付いたと同時に小さな爆発音が4つのタイヤ全てに起こった。いきなり全てのタイヤがバーストしたからたまらない。耳をつんざくブレーキ音と路面にくっきりブラックマークを残して車は駒の様にスピンしながらレンガ塀に激突。暴走車はその疾走をようやく止めた。
「ちょ待ってください、中佐!」トラックが止まるのを待ち切れずに飛び下りるロイを追って
ハボックも駆け出す。これ以上好きさせたら何しでかすか判らない人の襟首をひッ掴んで後ろに下げて、「あーもうあんたは下がって!」「准尉!」もう上官に対する礼儀なんてブリックス山の彼方に蹴りとばしてやる!とばかりに何やら喚くロイを一喝してハボックは運転席を覗き込んだ。中には中年の男がハンドルに突っ伏して気を失っている。銃を構えつつ慎重に男の脈をとり、顔を上に向けた。ひげ面のむさ苦しい顔は確かに何度も見せられた手配書のものでハボックは手早く意識のない身体を拘束する。
そして降参とばかりに両手を挙げてロイに言った。「お見事でした、マスタング中佐。」
きょとんとしたロイは次の瞬間どうだとばかりにふんぞり返る。そのあまりにガキ大将的な姿にハボックは思わず吹き出してしまった。

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