「本当にもう突然なんだから」
急な息子の帰宅に母親はもちろん驚いた。だが鉄橋事故のニュースはすでに聞いていたのだろう、ハボックの説明に素直に頷くといそいそと台所に入って行く。勘の鋭い長姉は胡散臭げな顔をしてはいたがそれでも何も言わずホコリだらけじゃないのさっさとシャワーを浴びてこいとタオルを投げて寄越すだけだった。
思えば事件以来タオルで身体を拭いたきりで、半分岩に埋もれかけた男は当然叩けば砂埃が立つくらいだったから素直に浴室へと向かう。さっぱりとしたところで久しぶりに自分の部屋のベッドに横たわれば白い木綿のシーツからはふわりと洗いたての爽やかな匂いがした。
「絶対俺が帰って来ると思っていたのかな・・」
任務中だから帰れない。このまま上官の護衛としてすぐイーストシティに戻ると言った時勝手にしろと怒った顔が目に浮かんだ。気の強い姉だからいつもの事だと思っていたけどロイの言う通り心配してくれていたのだろう。
─だって家族なのだから。
「それは判っているんだけどね」
ごろんと寝返りをうてば目に入る写真の数々。子供の頃から使って来た父親手製の机の上に不在の主の代わりを勤めるかのように並べられたそれには金髪で垂れ目の子供が写っていた。そして彼を囲む同じ髪と瞳の人々も。
「家族が大事ってのは今も変らないさ。けど会っちまったもんなぁ」
親爺にお袋、姉2人と彼女等の子供達。腕白盛りの双児にまだ小さな姪っ子。どれも大事で代われる者などないはずだった。
あの漆黒の瞳に会うまでは。
「大佐に言われるまで家に帰るなんて考えもしなかった」
これがもし南部にいた頃の自分なら。なんとか言い訳を考えて家に帰っただろう、例えほんの短い間でも家族の顔を見て一緒に過ごしたいと思ったはずだ。
「今は・・大佐といる方を選ぶ」
だって家族より友人より大事な人だ。もしこの先2度と家族に会えない事になっても俺は多分大佐を選ぶ。あの人の抱えている野望を考えればその可能性だってゼロじゃないけどけど、それでも─離れたくはない。
もうとっくにその選択は済ませたつもりだ。
「なのにあんな顔するんだものなぁ、大佐は」
家へ帰れと言った時、あの黒い瞳は僅かに揺らいでいた。まるで罪悪感を抱いてるようなその表情に心が痛む。俺は望んであんたの傍にいるのだとどうしてあの人は信じてくれないのだろう。そう言って抱き締めたかったのに
「ったくあんな顔するなんて反則だ。しかも無自覚にやってるし。もうホント俺の事どう思ってるんだよー」
あの笑みに惑わされてライターに寄せられた唇を奪った時の熱が蘇る。抵抗はなかったけど深く貪ろうとしたらいきなり髪の毛を引っ張られてあの部屋を追い出された男としてはどうにも中途半端な気分が気になる。
「あーもう!犬でもいいから傍にいてぇ。ラックレーの爺さん余計な事言ってないだろうな」
言われちゃまずい事を数限り無く知ってるあの老医師がどうか口を噤んでくれる事を窓から見えた一番星に祈りながらハボックは煙草に火を着けた。

「あの馬鹿息子のしでかした事ならよーく知ってるさ。何しろそのたんびに儂の世話になっとるんだから」
老医師の口は思いきり軽かった。差し入れられた、シェパーズパイやシチューの美味しさもそれを助けたかも知れない。
「木登りで一番高いところに登った挙げ句降りれなくなったり、納屋の上から飛び下りたり、雌牛に乗ろうとしたりまぁ数えきれんよ」
「ガキ大将と言う訳ですね、ドクター」
ロイもすっかり話に夢中になって相槌を打つ。差し入れられたシチューの味はやはりハボックの作ったのと味が似ていて兄妹はこんな所も似るんだなとちょっと感心した。
「まぁ、下の者の面倒は良くみたがな。何やってもケロっとした顔して3日経ったら忘れよる。あんたも苦労しとるだろう?」
「ええまあ。でも彼は優秀な部下ですよ」
ここは上官としてフォローしておくところだろう。本人の前では絶対口にしないセリフを言えばそうかと老医師は本当かねと子供のように笑う。狭いが居心地のよいダイニングで繰り広げられるハボックのイタズラ話の数々にロイは久しぶりに心から笑った。

「アレが軍隊に行くって行った時は家族総出で止めたらしいんだがまるで聞きやせん。あの内乱に若造1人何ができるかと儂も言ったんだがな・・」
食事の後、紅茶にブランデーを注ぎながら医師は昔を思い出すようにぽつりと言う。その横顔、額のあたりにはかすかな古傷の痕。
「失礼ですがドクターは従軍の経験がおありでは」
「ふん・・やはり判るかね、大佐殿。言っておくがイシュヴァールには行っておらんよ。南部と西部の国境紛争でもう十分と思って退役したわ。あんたの名前も顔も新聞でしか知らんかった。だから驚いたよあの馬鹿息子があんたを抱えて駆け込んできた時は・・おっと何も言う必要はないよ。儂は医者であんたは助けを必要としていたただの患者。それで十分じゃないか」
イシュヴァールの英雄がこんな所にいる理由なんて聞く必要はないよと手を振る元軍人にロイは黙って頭を下げるしかない。
「それより大佐殿。あんたのような優秀な軍人の下であの馬鹿息子はちゃんとやっているかね?あいつ仕事の事は親にもろくにしないし、仕官学校出たらいきなり南部の最前線に飛ばされ、その次は東方司令部勤務だ。どうなってんだと思ったよ」
同じ軍人だったから余計に気にかかるのだろう。馬鹿息子呼ばわりしてもその顔は息子を心配する父親のようだ。
でロイは
「ハボック少尉はよくやっていますよ、ドクター。自分の指揮する小隊の面倒も良く見てるし私の護衛も勤めています。いつも部下の先頭に立って働く男ですし私も彼を信頼しています」
率直に自分の考えを話す。これは本心だ。もうとうにハボックに対する信頼はロイの中で確固たるものになっている。
「そうか・・あの腕白坊主がな。儂も年をとるはずだ」
ロイの言葉にうんうんと何度も頷いた男は冷めかけた紅茶をぐいと飲み干した。そうしてお互いのカップに新しいお茶を注ぐとすいと茶色い瞳をロイに向けた。
「なぁ大佐殿。あんたはジャンを信頼してくれてるようだし、あいつもあんたを尊敬してるのだろう。上官として部下としてお互い良い関係を築いていると儂は思う。あいつが軍で上手くやってるのは喜ばしい事だがその・・あいつは何かこの村の事で悩んでるような事言わなかったろうか?」
思いも掛けない言葉にロイはきょとんとする。だけど相手の顔は真剣だ。
「いいえ、全く。ハボックは良く私に故郷の話をしてくれますがどれもさっきみたいに楽しい思い出ばかりですよ」
空の瞳そのままに故郷の話をするハボックに屈託なんぞまるでなかった。それはロイが一番良く知っている。あの男に限って腹芸なんかできっこないって事も。でも老医師の瞳は真剣だ。
「彼があまり故郷に帰れないのは申し訳ないが私の力不足のせいです。イーストシティの治安のために今だ軍の力は不可欠なのに現場に馴れた人材の数は少ない」
もしかしてハボックが滅多に帰省できないのを心配してるのかと思ってそう言えばそうかと頷いた相手の顔には今だ憂いの影がある。
「ドクター、私で力になる事があれば・・」
ハボックのために。その言葉に込めた思いを感じとったのだろうか。1つため息ついて医師は話し始めた。
「そうだな。取り越し苦労かもしれんがあんたの口から言ってくれればあいつも安心するだろう。儂やあいつの家族は心配しとるのだよ。あいつがあまり実家に帰って来ないのは変な遠慮をしとるんじゃないのかとな。あの事件のせいで」
そうやって語られる話にロイは静かに耳を傾ける。

それは内乱終結直後の話─ロイの知らないハボックのイシュヴァール。


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