「僕に何か御用ですか、ロイ・マスタング中佐?」
薄暗い袋小路にたどり着くと男は振り返りもせずそう問うてきた。
「ええ先程の爆破事件について2、3質問がありますので、失礼ながら後を付けさせてもらいました。しかし御存じですか、私を?」
尾行がばれてたのも驚かず、慇懃にロイは返す。
「ロイ・マスタング中佐の名をこの東部で知らない者などいるわけないでしょう?イシュヴァ−ルの英雄、赤い悪魔と言われたあなたの名を。」
答えるその声には嘲笑の響き込められていた。真直に見る男の印象はさっきと変る事無く、平凡な特徴のない顔だちをしている。
生気の乏しい顔に掛けられた銀縁眼鏡がかろうじて個性を主張していて、平凡−そんな印象を万人に与えるような、まるで影、影が厚みを得て人になったらこんな感じかもしれない。
「ほぉ、ずいぶんと懐かしい呼び名だ。しかし私は一介の国軍中佐に過ぎません。この通り現場を走り廻るのが仕事ですよ。おまけに上からは叩かれ下からは突き上げられる、気苦労の多い中間管理職でね
・・・・・そうだろうハボック准尉?」
「アンタがそれを言いますか?ホークアイ少尉に聞かれたらただじゃすまないスよ・・・」
戯けたような呼び掛けに答えて背後の角から音も無く現れた金髪の男の手には既に銃が握られており、その照準は行き止まりに立つ男にしっかりと合わされていた。そのまま守るように上官の斜め前に立ちふさがる。しかし予想外の援軍にも影の男は慌てない、むしろ楽しむ様な表情が始めてその青白い顔に浮かんだ。
嫌な感じがする−その灰色の笑みを見てハボックの首筋に馴染みの危険信号が走った。こいつは危険だ、何よりも中佐にとって。
「それで質問は何ですか、銃なぞ向けなくても抵抗なんかしませんよ、私は。」
「中佐、尋問なら司令部に連行してからの方がよくありませんか?」
どうにか男を引き離そうとハボックはロイの耳に囁くが、素直に聞き入れる上司ではない。
「ああ御手間はとらせません、すいませんがその手袋をとって、こちらに手のひらを見せてくれませんか。」
穏やかな要請に男は逆らわずゆっくりと黒い手袋をはずし見せつける様に両の手のひらを前に突き出した。
右手には硫黄を表す三角形に囲まれた太陽、左手に水銀を表す三角形に囲まれた月が刻み込まれている。かつてロイが砂漠で見たのと同じ呪わしい練成陣。
瓦礫の破片にあったのと同じそれを見てハボックは息を飲み、一気に張り詰めた空気に銃を持つ手に汗が滲んだ。
「何故貴様がその練成陣を知っている。」
問いただすロイの声からもさっきまでの偽りの穏やかさが消え失せていた。
「僕も錬金術師の端くれでね。もちろん国家錬金術師の貴男の足下にも及びませんが。ただ良い師匠に巡り合えましてね、その方に教えて頂いたのですよ。」
「いい加減な事をいうな!あの男はセントラルの刑務所にいる、外に出る事などできる訳が無い。」
その言葉の何処に激昂したのか灰色の頬を紅潮させ男が叫ぶ。
「そのとおり、貴男と同じ国家錬金術師で同じイシュヴァ−ルの英雄である紅蓮の錬金術師キンブリ−は謂れのない罪で終身刑だ。おかげで貴男は功績を一人占めして英雄の名を欲しいままにしているじゃないか!」
迸る言葉には悪意の毒が染み渡っていたが、それに対して伶俐な表情は少しも揺るぎはしなかった。ただ主人の受けた痛みを代弁するように傍らの犬が吠えた。
「やかましい!言いたい事あるんなら司令部でじっくり聞くぜ、さっさと両手を後ろの壁につけろ!」
「下がれ准尉、錬金術師に不用意に突っかかるな。たとえ自称でも端くれでも、な。ところで貴様の記憶は間違っている。キンブリ−が投獄されたのは命令不履行と殺人罪のためだ。証拠も証人もある立派な犯罪だよ。それに英雄のが欲しいならこの場でお前に呉れてやる。お前は軍人だな、答えろ。名前と階級は!」
放たれた声には鞭の強さと鋭さが籠り、それに打たれた様に反射的に男は答えてしまった。
「・・ヨハン・フォークス、階級は小尉。・・・貴男は憶えてもいないでしょうが、僕もあの砂漠にいたんですよ。同じ錬金術師の部隊に補佐として従軍してました。そこで我が師と巡り会ったんです。ああ憶えがない事を気にする必要はありませんよ。僕はそういう人間です。子供の頃からそうでした。何をしても目立たない、人の記憶に残らない、両親でさえそうでした。だから僕は自分の存在を主張する一番目立つ術を師に教わったんです。」
この男は毒を持っている、淡々と話す男の様子にハボックはそう感じた。こいつはまるで猛毒を隠し持った蛇だ。目立たない外見からは想像もつかない悪意の澱が内に黒く渦巻いている。
「だからあんな爆破事件を起こしたのか?自分の存在を主張するために?大体あの男に弟子が居たなんていう記録は無い。」
「ああ、あれはほんの悪戯ですよ。貴男がイシュヴァ−ルを忘れているようなので、思いださせてあげただけです。記録が無いって?そりゃ正式に弟子入りはさせて貰えませんでしたが、質問すれば教えてくれましたよ。あの戦場で僕が唯一彼に殺されなかった部下なんだから。弟子を名乗ったって良いでしょう?いつも忠実に仕えてましたよ。どんな命令にも逆らわなかったし、なんでもやった。そうそう貴男は気付かなかったでしょうけど
あの晩は僕もテントに居たんです。」
最後の言葉を紡いだ男の唇がにやりと笑った。獲物を見つめる蛇の視線に毒が籠る。
「貴様・・」
怒りか驚きか震える身体からはそれ以上の言葉は出ず、ただ青白い顔で相手を睨むだけだ。その視線にもさっきまでの強さは無かった。
止めなければ。これ以上こいつに喋らせるのはダメだ、こいつの毒は中佐を苦しめる。命令も無いのに引き金にかかった指を気配を察したのか、『よせ、ハボック』囁く声がそれを止めた。ぎりっと音がするほど歯を噛み締めどうにかその命令に従う。重苦しく張り詰めた空気の中に男の声が淀み無く続く。
「もっとも残念ながら僕は参加させては貰えませんでしたけどね。ななにしろ御相手は3人もいましたから。僕は下っ端らしくテントの入り口で見張り番でしたよ。でも声はよく聞こえたっけ、あまり激しいので周りに聞こえやしないか、ひやひやしました。おまけにその場にいない男の名をずっと叫んで・・っ!」
「黙れ!」
怒りの叫びと共に獣が獲物に飛び掛かった。しかし相手に驚く様子も無く向かい入れる様に両手を広げる。
「止めろ!ハボック!」
「うわっち!」
白い手袋が閃き獲物に手を掛けようとしたハボックを焔の固まりが阻止する。反射的に避けようと後ろに飛び退った時、鈍い爆発音と閃光が起き土煙をあげて袋小路の壁が崩れ落ちた。
「しまった!」
今の一瞬の隙をついて男が壁を破壊し逃亡したのだ。あたりに満ちる土煙の向こうに逃げ去る灰色の影を追ってハボックの銃が火を噴いたが、視界の悪さが男を助ける。こんな町中で曖昧な目標に向かって焔を飛ばす訳にもいかずロイも挙げていた白い手を下げた。
「何だって止めたんです!」
収まらない怒りのままハボックが喰ってかかるのとロイが再びその手を挙げたのはほぼ同時だった。
「・・ぐっ!」
何が起きたか一瞬判らなかった、気がつけば手加減なしの力でロイに殴り飛ばされ地面に倒れ込んでいた。飛び散った瓦礫にしたたか腰を打ち付け、痛みに息が詰まる。じわりと口の中に鉄錆の苦い味がひろがった。

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