「サラマンダーは焔の化身だ。この本を読んで君の謎を解く事ができれば僕は焔を制する事ができるんだ・・」
主が再び私を手にしたのはあの唐突な別れからかなり時間が経ってからだと思う。どういう訳かその間私は書棚ではなく何か大きい鞄のような物にしまい込まれていたのだ。そこには私以外に数冊の本と紙の束らしきものが収められていて誰も何故自分達がここにいるかを知らなかった。そうして片時も私を傍から離さなかった主の突然の心変わりにやはり子供には無理だったのかと落胆するしかなかった私を闇から救ったのは懐かしいあの白い手。
「錬金術師は真理を見つけるまで歩みを止めちゃいけないんだ。それを止めた時錬金術師は終わる・・この本にもそう書いてある」
ゆっくりと細い指が私をなぞる。けれどその指は初めてそうした時からくらべれば随分しっかりとしていて私は主と過ごした日々を思った。このまま彼は私をまた暗闇に戻すのだろうか?そうして又誰にも顧みられないまま朽ちていくのだろうか?そんな私の不安を吹き飛ばしたのは主の声。
「僕は君の謎を解きたい。そうして君を手に入れるんだ。いつか、きっと絶対」
それはもう弱々しい子供の声ではなかった。迷いのないそれは力に溢れていて
「そう僕は錬金術師になる。だから一緒に行こう、君も」
もしも私の身体が動けたなら、この時歓喜に震えただろう。

「親爺、ビールをくれ」
抱えてた革の鞄を無造作にカウンターに置いて注文をする男の顔は目深に被った帽子のふちに隠れて良くは見えない。がこんな場末の酒場では客の詮索は御法度で年期のいったバーテンは無言でグラスを滑らせた。と
「おっと気を付けてくれよ、親爺大事な本が濡れちまったらどうしてくれんだ」
僅かに雫がかかった鞄を慌てて男が抱え込んで抗議する。確かに鞄からは古い本らしき物がはみ出ていて溶けた氷の水で少し濡れている。
「ああそりゃすいませんね、旦那」
そんな大事な物ならちゃんとしまっておけ。腹の中でそう言いながらバーテンが乾いたタオルを渡すと
「おっ、悪いね。やっと手に入れた貴重な本だからつい神経質になっちまってな」
案外素直に頭を下げてその客は謝った。帽子のふちからはみ出た金髪が薄暗い灯りにキラリと光る。
「ほぅ、お客さん、あんた錬金術師かい?」
鞄から取り出された本は古ぼけた革の表紙の分厚い本だった。表紙には金箔で丸い円と幾つかの図形、それに爬虫類らしきシルエットで構成された紋様のようなものしか描かれてないがそれだけでこの国の人間ならそれが何の本ぐらいかは判る。それを丁寧に布で拭く男はへらりと笑って
「まぁ見習いレベルだけどね。それも独学だから大した事はできない。でもこの本のおかげでこれくらいはできるようになった・・さっきの詫びだ、特別に見せてやるよ」
カウンターにこぼれた水に指を突っ込むと丸い円の中に三角を2つ書いた。そこの両脇に無造作に大きな手を付くとばちっと空中で何かが弾ける。
「おおっ?」
さっきまで何も無かった中空に小さい蝋燭ぐらいの焔がゆらりと揺らめいて─そうして消えた。
「こりゃ凄いじゃないか、お客さん!あんたこりゃあのイシュヴァ−ルの英雄、マスタング大佐と同じ技じゃないのかね!」
ほんの一瞬の出来事だがバーテンを驚かすにそれは十分威力を発揮した。何しろ東部で焔を使う錬金術師と言えば思い浮かべるのはたった1人しかいない。狭い室内に響いたその名に客の反応も様々だが視線は本を抱えた男に集中した。
「いやいや、あんな偉い人と一緒にされたら俺が燃やされるって。俺にはこれが精一杯だしこれだってこの本読んでやっとできるようになったんだから」
「そりゃ大した本なんだな」
「ああ偶然手に入ったけど俺達の間では有名な本なんだ。なんたってあの焔の錬金術師様の師匠が書いたって噂らしいからな。おかげで贋作が結構出回ってるらしいがどうやらこれは本物だ・・とヤバい約束に遅れる、リンデンでダチ、じゃない友人と待ち合わせしてんだっけ」
何かの約束を思い出したのかグラスの中身を飲み干し数枚の硬貨をカウンターに置くと男は大事そうに本を抱え込んで店を出て行く。その大柄なシルエットにバーテンは
「けど錬金術師というより軍人みたいだなあれは」
と呟き崩れかけた水の錬成陣を布で拭き取るともう注意は次の客に移ってしまう。だからその数分後一番ドア近くに陣取っていたコート姿の客が静かに立ち去ったのにも気付きはしなかった。

「・・どうでしたか、大佐」
酒場を出てすぐ横の細い路地に身を潜めていたハボックはやって来たロイに期待を込めて首尾を聞いた。が
「お前の演技は下手すぎる、この駄犬」
返ってきた返事は不機嫌そのもの。
「大体お前には錬金術師の持つ真摯な雰囲気がまるでない。真理を探究する研究者があんな頭が軽そうなあんちゃんの訳ないだろう」
「ひっでー、俺一生懸命やったのに・・」
「やはり次は私が行くしかないか」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!それは絶対ダメだって最初に俺言いましたよね!この作戦をあんたが立てた時から。まぁもう少し様子見てみましょうよ」
今にも次の店に行きそうなロイをハボックは必死に押しとどめる。その顔には絶対ロイを前に出さないぞとはっきり書いてあって
・・こいつも扱いにくくなったもんだ。前は口八丁で丸め込めたのに。
頑固に言う事きかなくなった忠犬の姿にロイは苦笑する。最初にこの計画を言い出した時もこの点だけはハボックは頑として譲らなかった。
そもそもロイの立てた作戦はこうだ。ハイドリッヒ・ランゲと関係があるとされるテロリストのメンバーが出入りする酒場にまずロイが入り目立たないが全体を見渡せる席に陣取る。次にハボックが問題の本の偽物(ロイが古新聞と革袋から錬成した)を持って入る。そしてわざと目に付くようにして自分が錬金術師だとアピールし焔の錬成を人前で演じるのだ。もちろんロイがこっそりタイミングを合わせて指を弾く訳だがこれで大抵の人は驚き客の視線はハボックに集まる。そこで本の履歴と贋作の話を声高にし頃合を見計らって店を出るのだ。そうすれば
「ランゲに関係してる、あるいは本を知ってる人物が聞いたら後を追けるとか何らかのリアクションがあるはずなんだが」
隠密行動ではこんなまどろっこしいやり方しかできず成果は今だゼロだ。だけどハボックにしてみれば絶対囮役をロイにする訳にはいかない。いくら素通し眼鏡と帽子で変装しても焔を扱う錬金術師が黒髪黒瞳では正体はすぐにばれるだろう。
「ヒューズに聞いた店はあと1軒・・どうしたものかな」
手詰りにロイは小さくため息を吐いた。とその袖をハボックが小さく引っ張る。
「今出てきた男、誰かを捜すみたいにあちこち見回して通りを渡って行きました・・ちょっと気になりません?」
指差す方向には派手な革のジャンバーを羽織った若い男、それが通行人何人もを捕まえては何かを問い質している。
「ふむ、確かにあのジャンパーには見覚えがある。カードをやっていたがお前の話を首を伸ばして聞いていたな」
答えが得られなかったのか苛立たしげに壁を叩いた男はそのまま角にある電話ボックスに入る。
「何処かに連絡して指示をあおぐのか、それとも我々の勘違いか..」
「あのまま右に曲がってレ−ニ−通りに向かうなら当りです。もしあいつが俺を追ってリンデンに行くならそっちの道しか無い」
固唾を飲んで見守る2人の視線に気付かず数分でボックスを出た男は足早に歩き出す。それはハボックを見てハボックは小さくビンゴと呟いた。

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