「ちょ、待って下さいよ!大佐」
「ハボック?」
咄嗟にハボックが暖炉の中に手を突っ込み本を取り戻す。ちちっと走った火花は目標を失って灰の山に突っ込みそして消えた。
「馬鹿、錬成中に手を出すな、危ないじゃないか、ハボ!」
「馬鹿って、でもこれまで燃す事はないじゃないですか!大事なモンなんでしょう?」
小さな子供が捨てられそうになった玩具を離そうとしない。しっかりと守るように本を抱えながらそんな表情でハボックが訴える。
「ずっと今まで持っていたんだからこれからもそうすりゃ良いじゃないですか。ここに置いておけば誰も見る事はできないんだから」
「誰かがこの書庫に忍び込む事だってある。国家錬金術師の書庫なら命の1つや2つ賭ける術師は沢山いるんだ。それにもし本の存在が軍部に知られたら?研究資料として提出を命じられる可能性だって零じゃないんだ」
「あんたの家に侵入の許す程あんたの護衛は間抜けじゃないっス。それにそんな命令だってそんな本は無いっていつもみたいに舌先三寸で丸め込めばいいでしょうが」
「お前の私に対する評価は一体どうなっているんだ・・」
駄々こねる子供を前にロイは軽く額を押さえる。一体この大型犬は古ぼけた本1冊に何をこんなに必死になっているんだと。
「大体これは私の問題だろう、ハボック。百歩譲ってお前に文句言う権利があったとしてもなんでこの本を燃やしてはいけないんだ?燃やさなければいけない理由はもう説明しただろう」
「う・・」
理詰めで問われてハボックは答えに詰った。正直彼にも良く判らなかった。この革表紙の本が燃やされる事がなんでこれ程嫌なのか。判っているのはロイのために嫌だという事。これを彼がこんなあっけなく燃やしてしまうのは絶対良い事には思えなくて。
「今までだって何度も同じ本を燃やしてきたんだ。それと同じ事をするだけだ。さ、それを返せ、ハボック」
くわえたスリッパを離さない犬を宥めるみたいだなと思いながらロイは手を差し出した。がそれでも金の頭は横に振られる。
「ハボック少尉いい加減に・・」
階級を出したのは最後通告のつもりだった。だがそれでも男は本を手放そうとせず
「同じじゃないっスよ!」
きっと青い瞳がロイを見上げる。
「この本はずっと大佐と一緒にいたんでしょう?それにお父さんの形見じゃないスか!おまけに師匠とあんたを結び付けたそれこそ運命の本じゃないか。例え同じ事書いてある本でも同じ本じゃ絶対ないんです。あんたその事判ってますか?」
「ハボック」
「ねぇきっと後悔しますよ、これそんな簡単に燃やしてしまったら。試しにちょっと想像してみて。これが燃えてしまってあんたの手から消えてしまう事を」
「それはそうだが」
「無くしたものは2度と手に入らないんですよ、大佐」
「・・・」
そんな事はロイも百も承知している─はずだった。そもそもこの本を地上から消しさる事がヘイゼルの瞳の少女との約束だったのだから。いつかはこの本も他のものと同じ運命をたどらせなければならないと思っていた。だからこそ最近は書庫の奥にしまい込み滅多に手にする事はなかったのだ。いずれ無くしてしまう、この手から失われるのがこの火蜥蜴の定めなんだと思っていて
「・・そんなの言われなくても判っている!」
なのに今ハボックの言葉にロイの胸はずきりと傷んだ。それは奇妙な感覚だった。それまで何も感じてなかったところが急に傷みを訴えてくるような、怪我をしていたのに麻酔のせいでそれまで意識しなかった傷みが突然襲ってくるような感覚にロイは戸惑うしかない。
「ずっと一緒にいたんだ。他の本と同じ訳はない。子供の頃から私の世界にはこれしかなかった。これ以外必要なかった・・」
どくんと心臓の鼓動が早まる。喉にひどい乾きを感じながらなおロイは言いつのる。
「これがなければ今の私は存在しない。焔の錬金術師ロイ・マスタングは生まれなかった」
ハボックに語った話が鮮やかに脳裏に蘇る。いつどんな時もこの古びた革表紙の本は自分の傍らにいたのだ。忠実な僕のように─それを自分はあっさり燃やそうとしたのだ指先一つで。
「私だって好きで燃やしたい訳じゃない!」
高ぶる感情のままロイは叫んだ。まるで子供のヒステリーだと心の片隅で苦笑する自分を意識しながらそれでも抑えきれなかった。そのロイの体を逞しい腕が包み込む。
「良かった・・ちゃんとあんたがその事に気が付いて」
「ハボック・・」
「大事なものを無くすのは辛い事っスよ。なのにあんたときたらまるでその事に気付かないみたいだったでしょ。ダメですよ、自分の傷みは自分で気付いてあげないと。後でもっと辛い事になる」
あれだけ大事にしていたものを何の躊躇いもなく焔の中に投げ込もうとしたロイにハボックはふと不安になったのだ。もしかしてこの人は自分の感情を無意識にマヒさせていたのではないかと。それまでも時々そう思う事はあった。セントラルのお偉いさん達の嘲笑、イシュヴァ−ル人の罵倒、軍内の嫉妬と羨望の声。思えばロイの周りにはそんなものが沢山あり過ぎて─それに怒ったり悔しがるのはいつもハボックだ。当事者の黒い瞳はさざ波一つたちはしなっかった。それが彼の強さだと思ってはいたが
「傷みは心の悲鳴です。それを聞いてやらないと傷はもっと大きくなる・・ずっと昔婆ぁちゃんが死んだ時お袋が言った言葉です。それ聞いて俺初めて泣く事ができた」
自分を被う鎧の傷を見ないだけだったら?それはとても不幸な事だとハボックは思った。だからロイに気付かせようとしたのだ
大事なものを無くして傷む自分の心を、その傷みを。
「・・それじゃこれは変な事じゃないのか、ハボ。古ぼけた本1冊燃やすと決めただけでこんなに辛い気持ちになるのは」
抱き締められてロイの声は少しくぐもって聞こえる。顔は見せたくないのか抵抗もせず逞しい胸に伏せたままの黒い頭をハボックは静かに撫でた。
「俺の姪ッ子は大事にしていた人形川に流しただけで三日三晩泣き明かしましたよ。俺だって大事にしていた模型飛行機なくした時は泣きわめいて姉に怒られたっけ」
「子供の玩具と深遠な知識の集大成である本を一緒にするな、この駄犬」
あんまりな例えにむっとしたようにロイが顔をあげる。その瞳に泣いた跡はなかったがどこか表情は柔らかい。
「大事なものという点では同じッスよ」
その額にそっとハボックは唇を落とす。と子供扱いが気に入らなかったのか今度はロイが煙草臭い唇に噛み付くようにキスを仕掛けた。
「痛て・・」
「ふん、子供扱いするからだ」
離れる間際にぎゅっと下唇を噛まれたハボックが顔をしかめるとロイは傲慢にそう言い放つ。そのまま2人は少しの間無言で見つめあいそして
「・・・決心は変りませんか、大佐」
根負けしたハボックは腕を解いてロイに本を差し出す。

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