辿り着いた先にあったのは古いがどっしりとした構えの山荘風の館だった。代々狩や避暑などに使われたらしいそれは半分錆ついた鉄の扉と蔦の絡まる煉瓦塀に守られて山から村を見下ろす位置に建っていた。きっと一番上の階からの眺めは素晴らしいものに違い無いが今、周囲は暗闇に沈んでいる。
「私、エリオット・W・マクガリティは来るべき死に備えここに遺言書を作成する。以下の文章は全て私の意志であり、何人の思惑も入っていない事をここに記す。これは・・」
低い声が淡々と続くそこは広く重厚な応接室だ。ただ建物と同じでひどく古めかしい。見事な寄木細工の床はきれいに磨きあげられているが無数の傷は隠しようがなく、案内されたソファーのビロードはひどく手ずれがしていた。夜の闇を締め出したどっしりとしたカーテンの光沢はすっかり失われている。
「・・・日に執事のノーマン・メイラーと弁護士のR・ブロードリブ氏立ち会いの下制作された。そして私の死後これを公開する時に東方司令部司令官ロイ・マスタング大佐に立ち会っていただく事を切に願う。彼が今ここにいると信じて私は最後の願いを語りたい」
語られるのは死者からのメッセージだ。厳粛な面持ちで聞くロイと紅い封印がされていた遺言書を朗読する執事、古びた応接間でのそれはまるで舞台のワンシーンのようで現実感が無い。内乱終結後殆ど交流の無かった人物に立ち会いを望まれたロイならなおさらだ。
何でドクターは私を立ち会い人に指名したんだろう。あの戦場ですらそれ程親しかった訳でもない。なのに何故?
ロイの疑問ももっともだろう。だが次の言葉でその疑問も吹っ飛んだ。
「私の財産、幾つかの地所と不動産、それにこの山荘とその中にあるもの、国家錬金術師として軍部に納めるもの以外の文献など全てをここにいるであろうロイ・マスタング大佐に贈る」
がちゃん。繊細な白磁のティーカップはぞんざいな扱いに抗議するように高い音を響かせた。
「ちょ、待ってくれ、君。今何と言った?」
「マスタング大佐、御質問には後でお答えします」
思わずあげた声に朗読を邪魔された執事は丁寧にしかしきっぱりとこう言って後を続ける。その取りつく島もない態度に国軍大佐も沈黙するしか無かった。
「マスタング大佐も御存じの様に私には後を継ぐべき息子がいない。唯一の息子ジェイムズが亡くなった今、マクガリティの名を受け継ぐ者はおらず、近しい親類も絶えてしまった。今さら家名の存続に執着もない私だが代々の家屋敷や蒐集された文献の行き先を決めるのは当主の義務だろう。国家に返納するのも一つの手段だが、私はこのささやかな財産をもっと有効に使ってくれる人物、そして私の願いを受け継いでくれる人物に託したい」
例え寂れたと言っても地方領主の末だ。不動産にしろ地所にしろ相当な価値はあるだろうし、錬金術関係の書籍は只でさえ高価なものだ。代々蒐集さえたそれらだけで一財産の価値はあるだろうにそれを赤の他人に譲るという遺言に異を唱える者はいなかったのか。想像もしなかった言葉にロイもただ相手の言葉を聞くしかできないでいる。
「私には生涯かけて研究してきた術がある。力及ばずこうしてその完成を見る事は叶わなかったがマスタング大佐にその研究を継いで欲しいのだ。マスタング大佐、君が優秀な軍人として多忙な日々を送っている事は承知している。だが同時に君は優れた錬金術師としての才能を持っている。君ならば私の術を完成し、長年の夢を叶える事ができると思うのだ。─イシュヴァ−ルの再生という夢を」
手にしたカップは静かに受け皿に降りた。呆然と目の前の執事を見上げるロイに向かって彼は静かに微笑んで言った。
「ドクターの願いを叶えてくださいますね?新しい御主人様」

「何を考えているんだ!ドクターエリオットは」
思わず口に出た声に上等な羽根枕は当然ながら答えない。それを責めるように拳をぶつけても柔らかな羽毛は苛立たしさを吸収するだけだ。
「イシュヴァ−ルの再生だと・・できる訳がないだろう!」
相手にならない枕に背を向けて見上げた先には凝った木彫りの彫刻が施された見事な天蓋だ。客用寝室が使われるのは久しぶりだろうに綺麗に磨きあげられたそれは暗闇でも僅かな月の光を反射して鈍く光った。そこから視線を壁に移せば暖炉の上には金細工の台座に乗った大きな置時計ある。長い針が指す先には2の文字があった。
「まさかこんな話を聞かされるとは・・思ってもみなかった」
明日は朝からあの膨大な研究資料を読まなければならない。手早く終えてさっさと司令部に戻るのが一番なのだが予想外の出来事に安息の眠りは中々訪れなかった。だって頭の中には公開された遺言書の内容と執事との会話が繰り返し再生されるのだから。

「この申し出を受けるか否かはマスタング大佐にお任せする。ただ私の研究を継ぐと言っても軍を辞める必要はないのだ。期限などないのだし君のペースで進めてくれれば良い。私と同じく生涯かけてくれれば良いのだ。誰もそれを責めないだろう」
遺言の条件は驚く程簡単だった。ただイエスと言えばそれで良いのだ。その後ロイがドクターの研究を継いだなんて誰もチェックしないらしい。
「無論私も何も申しません。執事の役目は主人のお世話をする事、ただそれだけですから。ですからマスタング大佐がドクターの遺言を受け入れられましたら誠心誠意お仕えさせて頂きます」
「もし、受け入れなかったら?」
「その時は全てを国家に返納せよと書いてあります。ただ御返事はマスタング大佐がお仕事を終えてからお聞きするようにと申しつかっております。大佐が旦那様の研究をきちんと理解なさった後で御返事をいただくようにと」
つまりその研究がどれだけ素晴らしいかを知れば気が変ると思っているのだろうか、この忠実な執事は。遺言の内容は全く知らなかったと言う男はその予想外の内容にも全く動ずる事は無かった。そこにはただ亡き主人への忠誠しか無いらしい。
「全ての資料は旦那様の書斎に用意してあります。どうぞ存分に御調べ下さい」
そうすればきっと気は変るでしょう。にっこり微笑むブラウンの瞳は確かにそう言っている。その信念にも似た思い込みにすっと背筋の熱が冷えるのをロイは感じた。

取りあえず状況を整理してみよう。
混乱した頭を整理しなければ眠りは訪れない。ため息一つ吐いてロイは目をつぶるとドクターの遺言を簡単に纏め直す。
1つ、遺言に強制力は無い。NOと言えばそれまでだ。あの執事は職を失うが結構な額の信託年金と村に家をもらってるから気にするなと言っていたし。
2つ、YESと言えば相当額の財産を相続することになる。土地と有価証券それに膨大な量の錬金術関係の本が自分の手に入る。
3つ、相続の条件はドクターの研究を引き継ぐ事。でも軍を辞める必要も無いし研究の成果を誰かに報告する義務も無い。
これだけなら予期せぬ幸運と思って良いだろう。ロイは国家錬金術師で国軍大佐だから金に困る事は無い。だが自分の『望み』のためには資金はいくらだって必要だ。財力だって立派に武器の一つとなる。ただ
最後の条件・・・これが問題だ。一体何故ドクターは私にこんな事を託したのだろう。
『イシュヴァ−ルの再生』
そうしてロイは思い出す。ドクターエリオットの銘を。彼は「再命の錬金術師」だった事を。
ロイが彼と出会ったのもイシュヴァ−ルの「診療所」だった。

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