野戦病院と言えばテントで少ない薬に床に横たわる負傷兵のうめき声が相場だがここは違った。建物はきちんとした煉瓦作りで病室も戦場にしては清潔、そして何より─患者は殆どいなかった。このイシュヴァ−ルの地にありながら。

何故ならそこは病院ではなかったから。正確に言えば─実験室。

「無事かヒューズ!」
報告を受けて戦場からすぐこっちに来たのだろう。飛び込んできた青年仕官の軍服は埃と幾つかの赤い染みで汚れて羽織ったコートの裾は焼け焦げていた。そんな相手を
「よぉ、ロイ。見ろよ、運良く助かっちまったぜ」
笑って迎えた男の左側のレンズはヒビが入って顔色も悪いがオリーブグリーンの瞳にはいつもの茶目っ気が残っている。ベッドの上の体はあちこち包帯だらけだが上半身起こしていられるのだから重傷とは言えないのだろう。
幸運な事だった
「・・よかった」
捕虜の男が自爆したのに巻き込まれたにしては。
「なんて顔してやがる」
その姿を見て気が抜けたように項垂れる黒い頭を包帯を巻いた手がぽんぽんと叩く。
「愛しのグレイシアと美しい未来を築くまでは死なんよ、俺は」
「馬鹿、お前がこの研究所に送られたって聞かされたこっちの身にもなれ」
医療系錬金術師の研究室を兼ねたこの診療所は一般の兵士から畏怖の混じった噂が囁かれていた。何人もの患者が生きて帰ってこないとか、それなのに死体がみあたらないとか。錬金術を知らない人間の戯言だとロイも今まで気にはしなかったが親友がそこに運び込まれたと聞いて背筋に冷たいものが走ったのは事実だった。そこに
「御友人がモルモットにされると思ったかね?マスタング少佐」
明るい声がロイの心境を正しく言い当てた。
振り向いた先には白衣の人物。戦場に不似合いな初老の穏やかな顔は育ちの良さを伺わせ、きっちり撫で付けた銀髪と銀縁眼鏡は見る人を安心させる効果がある。誰が見ても立派な医師と言う風情のたたずまいにロイは慌てて頭を下げた。
「マ−ス・ヒューズの命を救って下さって感謝します。ドクターマクガリティ」
下らない噂話をして申し訳ありません言外にそう言って恐縮したように俯くロイを気にする事は無いと言って近づいた相手はヒューズの怪我の様子を確認するとおもむろに一枚の紙を取り出して包帯を巻かれた腹に当てる。紙には複雑な紋様が円を中心に描かれていた。
「大体外側の傷は塞がったようだね、ヒューズ大尉。後は内臓を自分の力で修復できる様身体の細胞を活性化するだけだ」
すっとそこに手を置くと淡い光がそこからほとばしる。包帯の下だからどんな変化が起きているか判らないがさっきまで蒼ざめていた患者の頬に血の気が差してくる。初めて目の当たりにする医療系錬金術にロイも感嘆の色を隠せない。そうして腕に注射を打つと点滴の液を変え医師は患者に横になるよう指示する。
「さ、後は君自身の力が必要だ。それには休息が何よりの薬だ。ともかくゆっくり休みたまえ」
「ありがとうございます。ドクター。あなたのおかげで俺は死なずに済んだ。この恩は忘れません」
「私は医師だ。傷ついた者を治すのが私の仕事だよ」
打たれた注射のせいだろう、半分目の閉じかかった患者にそう言うと白衣の男は傍らにいたロイを無言でドアに促す。
最後にロイが振り返った時親友は安らかな寝息をたてていた。

「本当にありがとうございます、ドクター、いえ再命の錬金術師殿」
容態を説明しようと案内された医師の部屋でロイは改めて頭を下げる。それに困ったように笑う紳士はまぁお茶をどうぞとMの飾り文字が入った白磁のカップを差し出した。医師が手ずから煎れた紅茶からは戦場とは思えない程香り高い芳香が湯気と共に立ち上っている。
「私が彼を助けられたのは偶然現場に居合わせたせいだよ、マスタング少佐。瓦礫の中で発見し応急処置を出来たのが幸いだった。それに彼は一番爆発から離れていたらしいからね」
「しかし私は事故現場を見た時半ば諦めたんです。あの爆破から助かるのは不可能だと」
戦場から戻ったロイを待っていたのは捕虜が自爆を謀り、ヒューズがそれに巻き込まれたという報告だった。そのまま司令部として使われていた建物に向かったロイが見たのは半壊した部屋と血に染まった瓦礫の山。友人の姿を求めて視線を走らせた先には千切れた腕が転がっていた。
あの時の魂を引きちぎられるような感覚は今だ身体のどこかに残っている。士官学校来の親友。自分を追って前線まで来た友をこんな形で失うのかという恐怖を思い出してロイは無意識に身を震わせる。それを誤魔化そうと口にしたカップから流れる液体の暖かさと甘さが冷えた身体をゆっくりと宥めた。
「ヒューズ大尉は良い友人を持ってるようだ。安心したまえマスタング少佐。彼の傷はすぐに治るよ。後遺症の心配もない」
まだ顔色の悪い彼を友情厚い青年と思ったのだろう。安心させるように言った言葉にはいたわりが感じられた。
「ありがとうございます、ドクター。ところで私は医療系の錬金術を間近に見たのはこれが始めてです。噂には聞いていましたがこれ程とは」
本来ならヒューズは重傷だった筈だ。ヘタをすれば障害残る可能性もあったのにあの様子では1週間くらいで復帰できそうな有り様だ。ただ負傷兵として後方に下がる機会を逃した事はヒューズにとって幸か不幸かは判らない。
「私の術は肉体の持つ生命力そのものを高めるものだ。ただのタンパク質の固まりと命ある肉体を別けるもの。それが生命力だよ。負傷した部分を分解し再構築する・・より生命力を強めたものに。人間本来の治癒力の手助けをするわけだ」
「再命の銘はそこからきているのですね、ドクター。私とは大違いだ」
全てを焼き尽す焔の銘を持った錬金術師は自嘲気味に笑う。だが医師は首を振った。
「私には難病を患った息子がいる。何とかあの子を治したくて国家錬金術師になったのだ。そうすれば普通では行えない実験もできると思ったから。だから私はこの戦場にいる・・・この意味が判るだろう?マスタング君。罪深いのは君だけじゃない。君は私のやっている事のほんの一部しか見ていないのだよ」
兵達の間に囁かれる噂をこの人物は知っているのだろう。
皺の刻まれた口に浮かんだ笑みはさっきと違ってロイと同じ様に少し歪んでいた。

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