「あっさりお帰りになりましたよ。ハボック少尉は」
あの駄犬・・
カーテンを寄せながら執事が言うのを寝台に横たわったロイは絶望的な気分で聞く。夕べから彼の声は封じられたままなのでこの男が彼をどうするか問いただす事もできない。この男がハボックを東方司令部にすんなり帰すとはとても思えないのだ。帰せば彼がハボックについた嘘だってばれる。その間に彼の計画どおりロイの身体にドクターマクガリティの魂を移したとしてもどう言い繕うつもりなのだろう。第一あの真面目なドクターがロイの真似などできるとも思えない。
すぐに司令部の部下達に気付かれるはずだ。
私が執務室で1日中真面目に仕事していたらそれだけでおかしいと思うだろうよ、鷹の目は。
自虐的でもなく真面目にロイはそう考える。立ち居振る舞い、会話の癖、例え姿形が同じでも中身が違えば回りの人間は必ず気がつくはずだ。
そう簡単に身体の乗っ取りなんてされてたまるか。
身体の自由を奪われ声も封じられてもなお屈しない漆黒の瞳に気がついたのか。執事は諭すように話し始めた。
「まだ諦めていないようですね、マスタング大佐。さっきの彼が司令部に戻れば私の嘘に気がついて助けにくるとでも?残念ですが、彼はイーストシティに帰り着く事はできません」
その言葉の意味する事はたった1つ。
「後少ししたら私は車に乗って山を越え近道をしてハイドォクの鉄橋まで行きます。ハボック少尉が乗ってるはずの汽車がそこに着くより先にね。後は簡単。鉄橋の強度を脆いものに変えればどうなるか判るでしょう?」
あっさり話す内容は列車転覆の予告に等しい。いくら田舎の路線とは言え乗客はそれなりにいるのだ。その全てを犠牲にすると話す顔にはためらいなど微塵も無かった。
「生体錬成にくらべれば物質錬成など単純なものです。後はその現場に貴方の軍服を着たダミーを置いておけば良い。私がこの計画のために錬成したんだ。検屍したってばれませんよ。どうせ事故でぐちゃぐちゃになってるんだし。後は私がこう証言すれば良い。マスタング大佐は確かに迎えに来られたハボック少尉と一緒に事故に遭った汽車に乗り込みましたとね。なぁにハボック少尉が行き違いを司令部に連絡していたとしても適当に誤魔化しますよ。そうしてロイ・マスタングはこの世から完全に消えてしまうんです。残るのはドクターマクガリティただ1人」
要するに彼等が欲しいのは器としてのロイの身体だけなのだ。ロイの名も地位も切って捨てるつもりなのだろう。確かにこれなら中身が別人になっても誰も気がつかない。身体の主は死んだ事になるしそのまま何処か遠くへ行くつもりなのだ。
「だから誰も貴方を助けには来ないんです。判ってくれましたか大佐殿」
揶揄するような言い方にも視線の強さは変らない。
そう簡単に全てを諦める様な男に焔の錬金術師が勤まるものか。
強情な相手に肩を竦めると執事は持参した革のケースから銀色の筒を取り出した。先端には細い銀の針が付いたそれは注射器で。
「生きた人間に他人の魂を移すのに最大の障害は何だと思います?」
茶色のアンプルを折った中に男は針を差し込むと中の液体を注射器に吸い込ませる。
「本人の意志ですよ。マスタング大佐。肉体の正当な持ち主の意志はそれだけ強い。操魂の錬金術師も成功例はほんの2例ぐらいだったそうです。しかも相手は瀕死の病人だったそうで、あとは全て無機物に移す実験しか成功しなかったとか。彼が言うには相手に迎え入れる意志があれば別だが、そうで無ければ魂を移しても主導権は本体が握る事になると。確かに私に移したドクターの魂は私が呼ばないと出て来れませんし、長い間の活動も無理なようです。夕べ大佐が御覧になったように」
でもそれでは困るんです。言いながら執事はロイの腕をとるとシャツをめくってアルコールの染みた脱脂綿で二の腕の辺りを消毒する。身体は動けないが五感はなんでもないのでロイはその冷たさを感じた。あの注射器に入ってるのが何をもたらすのか。それを想像してロイの全身を同じ冷気が走った。
「この優秀な頭脳を使えなくする訳にはいかないし、かと言って貴方が大人しくドクターを迎え入れるとは思えない。そうすると残る手段はただ1つ─精神だけを弱めるしか無いでしょう」
ピンと銀の筒を弾いた手はそのままむき出しの二の腕を押える。それに全身で抗おうとするロイの頬を冷たい手がそっと撫でた。
「そうやって抗う気持ちもこの薬を注射すれば消えて楽になれますよ。これは一種の抗精神薬みたいなもので貴方の自我を弱める作用がある・・自閉状態にすると言えば良いでしょうか?なにしろ魂に関しては私もドクターも門外漢だ。操魂の錬金術師が協力してくれればもっと苦痛の少ない方法がとれたと思うんですけどね。あの男、これ以上罪は重ねたく無いとか言い張って。囚人とはいえ生きた人間の魂を鎧なんかに定着させるような男が何を今さら」
腹立たしげに呟いた執事はそのままゆっくりと注射器を押す。透明な液体が白い肌に送り込まれていくのを確認した男は針を抜くと丁寧に腕をベッドに戻し羽根布団を元の様に整えた。
その姿を見詰めるロイの視界が急に陰った。目は確かに開いているのにまるで世界が光を失ったように辺りは闇に沈んでいく。そして彼の心も。
「さようなら、マスタング大佐。心の闇に捕われて眠ってしまいなさい。永遠に」
決別の言葉と共に冷たい感触が額に触れる。それがロイの最後の記憶となった。

「こちらはマクガリティ邸のノーマンです。ちょっとお尋ねしますが今朝の9時発イーストシティ行きの汽車に金髪で長身の軍人さんが乗ったのを御覧になりましたか?駅長。いえうちの客人なんですが忘れ物があったのでもし、まだそっちにいるようでしたらお届けしょうかと・・・ああそうですか。確かに汽車に乗ったのを見た。それは仕方ないですね。・・ええありがとうございます」
チンと受話器を置いた男は密かに微笑むと準備しておいた車に向かう。山を迂回して走る汽車に追い付くのは簡単だがその後が大変だ。色々工作しないといけないし不愉快な作業もある。帰りはきっと遅くなるだろう。だけどそれがすめば彼はまた大事な主に仕える事ができるのだ。それを考えると雨で湿った泥道を運転するのだって苦にはならない。ほとぼりがすむまでさて何処に隠れていようかと考えならが彼は軽快にハンドルをきった。
きっと研究は完成するだろう。そうしてやっと自分はドクターを取り戻す事ができるのだ。過去の悪夢から。

ぽたぽたと何処かで水音がする。戦場では水は貴重なのにと振り向けばそれは瓦礫の上に重なった死体の山に降る雨の音。辺り一面に漂う死臭と脂でべた付く唇の感触はもうすっかり馴染んだもので。
「作戦終了だな、ロイ。帰るぞ」
いつもの様に眼鏡の友人がそう言うとロイはぽつりと呟いた。
「何処へ帰ればいいんだ、ヒューズ」
こんな大罪を侵した自分に帰るべき場所はあるのだろうか。

ゆっくりとロイは自分が心の闇に沈んで行くのを感じた。そこは今まで封印していた果のない迷宮でその深淵に彼の魂は迷い込んでいく。
そこから逃れる力は今の彼には無かった。

今回受難続きのロイです。囚われのお姫様状態の大佐をハボはちゃんと助けにこれるでしょうか?

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