チャンスは一瞬。例え心臓を打ち抜かれたって意識はすぐに失わないはずだ。冷静にロイは黒い銃口を見詰めながらそう考えた。羽根布団の下に隠された手にはハボックが託したライター、これさえあれば目の前の男を一瞬で火だるまにする事ができる。
胸を打ち抜かれてあふれた自分の血をインクとして使えばいいのだ。そしてその後自分の手当てを自分ですればいい。成功する確率は限り無く低い。だけどハボックがあんなに必死になって守ってくれた自分をそう簡単に他人にくれてやる訳にはいかないのだ。ここで諦めたらハボックの戦いは全て無になってしまう。
待ってろ、ハボック。何が起きたか判らんが、お前がここにいないんだ。何かトラブルが起きたに決まっている。私が助けに行かなければ─。
諦めたように項垂れながらぎゅっと唇を噛み締めて衝撃に備える。例えどんな痛みがあろうと意識を手放さないぞとロイは自分に言い聞かせた。

そうして別れの挨拶と共に銃声が木霊する。


どうして・・
流れる血を眺めながらロイは呆然と呟く。激痛は覚悟していたものだが位置が違った。決して外す距離ではないのに執事の撃った弾はロイの右腕をえぐっただけで柔らかい布団に黒い穴を開けた。
「逃げ・・るんだ、マスタング君」
掠れた声は若い男の声ではない。年月と懊悩が染み付いた老人の声だ。
「私が・・彼を抑えていられる間に」
まるで何かに邪魔されているようなぎこちない動きで男はロイの腕に手を伸ばす。何をするつもりかと身体を固くする男に構わず腕に触れた手から淡い光がほとばしった。
「うっわ」
傷ついた腕から何かが身体に流れ込む。それは熱となって素早く身体を駆け巡り細胞1つ1つがその熱に歓喜の声を上げるのをロイは感じた。
「ドクターマクガリティ・・あなたですか?」
するりと封じられていた声が出る。あわてて腕を見れば盛り上がった皮膚が傷口を薄く被い、鈍痛は残っているものの気づけば出血はすっかり止まっていた。
「こんな事になって本当にすまない。ノーマンがここまで思いつめていたなんて」
長い間力の通わなかった身体は上手くバランスが取れずよろけるがそれでもロイは支えようとする手を振り払って
なんとか自分の足で立ち上がりまだ自分を狙ったままの黒い銃口に目を向けた。
「ドクター」
「勝手な願いだがこのまま出ていってくれ、マスタング君。彼を犯罪者にしたくないんだ。これまでの事は全て私を思ってした事だ、罪は私にある」
「ノーマン・メイラーはハイドゥクの列車転覆、セントラルにおいて操魂の錬金術師殺害及び、ロイ・マスタング大佐拉致監禁の容疑者です。ドクターこれらの罪を全て無かった事にしろと?」
深い黒の瞳は言葉より雄弁だ。一体何人の命がこれまで犠牲になったか考えないのかと銃を握った男を問い詰める。
それでも銃口はロイの心臓に向けられたままだ。
「判ってる!彼がどれだけの罪を犯してきたか私が一番良く知っている!でも止められたのも私なんだ!それができなかったのは私の弱さに他ならない。・・恐ろしかったんだ。あれ程の罪を抱えて死に臨むのが。もし研究が完成すればその恐ろしさから解放されて今度こそ安らかな眠りにつける。・・その誘惑に打ち勝てなかった」
「ドクター我々の罪は他人に肩代わりさせる事も、他人を犠牲にして償う事もできない!目を背けず全て自分で背負う事─それこそが我々に科せられた罰だ」
それがあの荒野でロイが得た結論だ。でもそこから彼は長い道程への最初の1歩が踏み出したのだ。
「あなたにそれが判らないはずはない・・・」
そっと手に隠されたライターを握りしめる。腕についた血はもう乾いていてインク代わりにはならない。術を発動させるためにはもう一度傷口を破るかしないとダメだが果たして目の前の男がそれを許すだろうか?たった今ロイを助けたその手が彼を再び傷つけるだろうか?

「君は強い」
ぽつりと漏れた言葉は弱々しく銃を握った手は今にも下に下りそうだったが
「だが私には無理だ。それに私はノーマンを守らなければならない。こんな私に尽してきてくれた彼を犯罪者にする訳にはいかないんだ」
そう言ってきっと眦を上げた顔は何かを吹っ切った男のものだ。そのまま鋭く口笛を2度吹くと階下でそれに応える獣の鳴声がする。
「キメラに送らせるよ、マスタング君。少しでも逆らえばすぐに噛み殺されるし、いかに君でも丸腰であれに勝つ事はできないだろう?すまないがさっきの山中に戻ってもらう。そこで君が助けを待つ間に我々は逃げる・・そして2度とアメストリスの地には戻らない」
「そうしてまた誰かの身体に移ろうというのですか、ドクター」
「そのつもりはない。私はこのまま彼の中で研究を一緒に続ける。彼もそれを望んでいるはずだ。・・最初からそうすべきだった。他人を巻き込んだりせずに」
けれどその研究成果は多くの人命を巻き込むはずだ。その矛盾に目を背けている男をロイはこのまま行かせる訳には決していかない。
でも
「行ってくれ、マスタング君」
銃の脅しにロイは仕方なく背を向けてドアへと向かう。そのまま階段に向かうと階下の広間にはキメラが立ち上がって彼を待ち構えている。大きさは普通のライオンの倍はあろうかと代物で伝説のキメラに忠実にしようとしたのか尻尾の部分は蛇となり、それが鎌首をもたげて威嚇するように牙をロイに向けた。果たしてこれが大人しく自分をエスコートしてくれるのかとロイが思ったところで
「止め・・止めなさい、ノーマン!」
背後の男の声が乱れた。振り向けば引き金に掛かった指をはずそうと銃を持った右手を左手が必死に押さえている。
「彼を生かしておく訳にはいきません!ドクター」
それはあの狂気に彩られた執事の声だ。自分に向けられる銃口が揺らいでる間に咄嗟にロイは左手で腕の傷口をえぐる。
「つっ・・」
朱に染まった指で手の甲に火蜥蜴の紋章を描きだす。その意図に気がついた男が
「彼を噛み殺せ!」
と叫ぶとそれに応えるように獣の咆哮が部屋中に響いて忠実で獰猛なしもべがロイに向かってジャンプする。
鋭い牙は正確にその白い喉を目がけて迫ってくるのにまだ錬成陣は未完成で、焔は生み出せない。咄嗟にその顎から逃れようとロイが床に身を躍らせた、その瞬間だった。
けたたましい音響と共に広間の窓が割れた。そして
「伏せて!」
黒い姿がそこから躍りこんでくる。その両手に握られた銃がキメラに向かって火を吹き、巨体はそのまま壁に叩き付けられるが人の手によって創られた怪物は強靱だった。血にまみれた姿のまますぐに反転し襲撃者に向かって牙を剥いて飛び掛かる。
「ハボック!」
「行かせません!」
「ダメだ!」
「大佐!」
様々な声と銃声が交錯する中ロイは床に身をふせたまま手の中にあったライターを弾く。かちっと乾いた音をたてて開いたそれから小さな火花が獲物目がけて宙を走った。

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